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 午後の柔らかな日差しが窓から入り込み、アンティーク調のインテリアが目立つ喫茶店。 その大正時代を思わせる店内の窓際でコーヒーを飲んでいた男が店の入り口を見てカップをソーサーに戻す。


 そして、グレーに細く淡いパープルのストライプが入ったスーツ姿をしていたその男性が立ち上がった。


「初めまして。 トラヴィス・サルバトーレです」と人当たりのいい笑顔で手を差し出したトラヴィス。


 それが彼の本来の人間性なのか、職業柄のものなのかは分らないが、その笑顔を向けられた男も気さくに手を握り返した。


「どうも。 ウィリアム・フレイザーです」


 富士額から触覚のような前髪を垂らし、眼鏡の奥で笑顔を浮かべた中年の男。 友人からはウィルと呼ばれている彼は、今日に限っては部屋のどこから引っ張り出してきたのか分らないネイビーのジャケットに白の綿パンという、普段部屋に籠りきりの人間からしたらかなりオシャレに舵を切ったコーディネートだった。


 トラヴィスが手振りで席へと着席を促す。 そして腰を下ろしたのを見計らったかのように、店員の女性がウィルの下に水を運んできた。


「フレイザーさんはもうお食事はお済ませですか? 先に何か食べますか?」とトラヴィスが聞いた。


「いえ、さっきチーズバーガーを山ほど食べてきたので」


 ジャンクフードジャンキーのウィルは今朝食べたハンバーガーとコーラの味を思い出しながら首を振る。 


 ウィルにとっては特に珍しくも無い朝食メニューだったが、トラヴィスにとっては数瞬だが間をおく程度には意外性を受けたようだった。


「失礼いたしました。 それでしたらこういうところでは無く、ファーストフード店のほうがよろしかったでしょうか?」


「いえいえ。 たまには百円以上のコーヒーを飲んでみるのも悪くは無い。 それに、ジャンクフードは好きだけど、ガヤガヤしたところは好きじゃないんで。 だからむしろ、こういうところの方が僕にとっては落ち着きますよ」


「でしたら、この機会に是非。 お呼び立てしたのですから、ここの支払いは当然私がさせていただきます。 ここはオリジナルブレンドのコーヒーも紅茶も上品で味わい深いですよ」


 トラヴィスは自分の舌で感じた事をウィルに進めた。 それを聞いていた店員も笑顔で注文を待っている。


 メニューには店自慢のブレンドコーヒーが淹れ方から選択出来るようになっており、他にも軽食メニューが名を連ねていたが、既に食事を済ませていたウィルはそこには目を向けず、店内に漂うコーヒーの香りに釣られるようにして、“おすすめのコーヒー”を店員に告げた。


「こういう場所って、内装が格式ばってるから妙に場違い感を感じてしまいますよ。 ドレスコードでもあるんじゃないかってね」


 百年近く次代を遡った内装に時代錯誤を感じ、自分では服に着せられていると感じていたジャケットのラペルを引っ張った。 普段はラフな部屋着くらいしか身に着けないウィルにとって、襟が付いている服を着ること自体が珍しく、これでネクタイでもしていようものなら、どこを歩くにも借りてきた猫の様になっていたかもしれないと自覚していた。


「素敵なジャケットですね。 テーラードですか?」


「ええ、まあ。 古い友人がファッションデザイナーをやっていて、大分前に作ってもらった……ほら、一張羅ってやつです」


 着ている本人は電子機器等には造詣があるが、服飾関係は完全に門外漢だったウィルには生地やデザインの良さは全く分からない。 感じ取れることがあるとすれば、触ってみた時の感触がサテンかそれ以外かの区別が辛うじて出来るという大雑把な物だった。


「なるほど。 ぜひ私も一着仕立てていただきたいですね」


 トラヴィスは社交辞令の様にそう言って気さくに笑いかけ、ウィルも「その時は口添えしておきますよ」とはにかみつつ笑って答えた。


 しかしウィルからしてみれば、目の前の男の方がよほど上質そうなスーツを着ているように見えた。 


 現代において、スーツは紳士の鎧とも呼ばれている。 そしてその下に切るシャツが盾であり、ネクタイが矛なのだ。


 日本では夏場になるとクールビズと称してネクタイを締めないスタイルが政治家によって広められたが、そういった方針を取っているのは日本くらいなもので、世界的には良く言えばユニーク、悪く言えば社交界における冒涜ととられているらしい。


「きっと周りの連中も羨んでくれるでしょうからね。 一つのステータスですから」とトラヴィス。


「政界の人はやっぱりそういうのも気にするんですか?」


「もちろん。 我々の業界は、一生の内でスーツを着ない日の方が少ない。 常に目の触れる物には、気を使っておいて特こそあれど損はありません」


 肩をすくめてネクタイを少し絞ったトラヴィス・サルバトーレ。 現ギリシア外務官。 それが今回、ワールドアパートと接触したいと言ってきた依頼人の素性だった。


 普通であれば、恐らく会談するまでに多くの段階とアポイントメントが必要であろう政府の要人が日本の喫茶店でテーブルを囲っている光景は、傍から見てもそうだったが、お互いも多少なり不釣り合いを感じていただろう。


 そこへ、「お待たせいたしました」とウィルの注文したコーヒーがテーブルに置かれ、一口だけ口をつけた。 確かに、普段飲んでいるものよりは風味や香りは違っていたような気がした。 しかし、それがどう違うのかを表現するにはコーヒービギナーのウィルには語彙力が足らなかった。


「では、そろそろ本題に入りましょうか」


 口に運んでいたコーヒーカップが元の位置に同時に、トラヴィスがそう口にする。 空気が切り替わり、穏やかな店内に流れるBGMはそのままだが、ウィルとトラヴィスのテーブルだけ音量が気持ちばかり下がったかのような錯覚を引き起こした。


「貴方たちが以前取り扱ったアンティキティラの歯車に関するレポート、拝見させていただきました」


「アンティキティラ……ああ、確かにやりましたね」


 数瞬思考を巡らせ、直ぐに該当項目にヒットしたウィルの脳内に、当時オカルト版や雑誌、研究所や大学が公開しているレポートを参考に、デジタル上に再現したアンティキティラの歯車を再現し、様々な検証を行った情景が思い起こされた。


 アンティキティラの歯車は、名が示す通りギリシアのアンティキティラの沈没船より回収された、歯車式天体観測機と言われている。 発見当初はそれほど重要視されていはいなかったが、後に製造された時代に対して大きく進んだ技術力によって作られたものだという事が判明し、として世界的に名を知られる事となり、世間で言うところのオーパーツとして知られる物の一つとなった。


「実は、私達もフレイザーさん達の発表したものと似通った研究をしておりまして、独自の機関で日々研究を積み重ねているのですが、我々はワールドアパートが公開した検証内容と考察に大変興味を惹かれました」 


 そう言われたウィルは、トラヴィスの言う当時発表したレポート内容を思い出し、意外そうな顔をしたまま一度口を噤んで、「という事は、僕らの出した検証結果と、あなた方の研究している内容が、少なからず重なった部分があったということですか?」と怪訝な顔を浮かべた。


「はい。 我々の研究内容と類似した題材を取り扱っていて、同じ方向性の考えを持つ人達がいた事に内心驚きました。 恥ずかしながら、初めてその報告を聞いた時などは、耳と目を疑ってしまいましたよ」


 表情は崩さないが、若干興奮気味に話すトラヴィス。 それに自分自身で気付いたのか、一度咳払いしてからコーヒーで喉を潤した。 そうして落ち着きを見せたトラヴィスに、ウィルは軽い調子で切り出した。


「始めは僕達も天体観測装置の方向からアプローチを始めたんですよ。 そして、確かに座標を観測するものであることは間違いないと結論したんです。 現にいくつかの機械はまさに天体観測装置でした」


 世界中の研究者や技術者が長い年月と心血を注いで出した結果に沿うような形となるのは、客観的に評価しても当然の結果と言えるだろう。 それは同時に、多数の出した“より正解に近い結果”が出たという事になるのだから、自分達の検証方法は大筋で間違ってはいないという事になる。


「……しかし、中には例外があった。 ですね?」


 同意を得るかの様にトラヴィスはウィルに視線を向け、ウィルは首肯でそれに応えた。


「独自の計算式と、合致しない部品、精細な写真や情報を吟味したうえでも、憶測の域を出なかった。 しかしそれでも……限りなく遠く、しかし可能性を捨てきれない結果が最終的に残った」


「ええ。 そして、私たちの研究内容と、あなた方の最終的に下した検証結果は、大まかな部分で重なる」とトラヴィスは頷く。


 互いに探るような――しかし、何が言いたいのかも、何を語りたいのかも、話の流れから既に確証を得たも同然のやりとりだという事は二人とも分っていた。


「では、あなた方もアンティキティラの歯車は、世に言う天体観測装置ではなく……」とウィルは口を開き、ただ、その先を口にするには、互いに一拍の間が必要だった。


「アンティキティラ島に眠っていた機械。 あれは言うなれば、時空座標観測装置とも呼べる代物。 あなた方ワールドアパートは、次元観測装置と呼んでいましたね」


 トラヴィスが口にした、時空座標観測装置。


 その単語は、ウィルがネット上に載せたアンティキティラの歯車を呼称した時のものだった。


 時空と次元。 この際呼称に対する差異はウィルにとってさほど重要ではなかった。


 観測とはすなわち、文字通り観察し、測定すること。 そして、それを数字として残し、計算し、表すまでが観測といえる。


 この世のあらゆる事象は数字で表す事が出来ると言われており、実際現代において様々な形で観測結果は日常社会に溶け込んでいる。


 世界標準時、天気予報、為替や物流の流れ。 それを太古の人々は自然を読みぬくことで、感覚的に身に着けていた。


「現在発表されているアンティキティラの歯車を調べている機関は、それこそ大なり小なり山ほどいるというのに、その答えに行き着く根拠や理論を順序立てて説明しているのは私達と、あなた方だけ。 少なくとも、表向きはですが」


 トラヴィスの言う通り、他の大多数が天体観測機との見解を示した中で、圧倒的少数……それも荒唐無稽に近い解を導き出した自分達ではあったが、それが他にもいたという事に、ウィルは素直に驚いていた。


「アイテムに対するアプローチが違うだけで色々な見方が出てきますからね。 まぁ、私たちはオカルト検証サイト……最近じゃオカルトシンクタンクなんて呼ばれるくらいなんで、面白い方向に確度をもっていったにすぎませんけどね」


 謙遜でも冗談でもなく、ウィルはただ事実を口にした。


 誰もが鼻で笑うで笑うであろうことを本気で取り組む。 それが、ワールドアパートというSF・オカルト検証サイトであり、管理人である彼の友人が決めたモットーだ。


 結果、誰も食いつかないであろうと思った検証内容に多数の閲覧者が訪れ、今現在もこうして興味を持った奇特な人物とテーブルを挟んでいる。


「それでも、限られた情報の中であそこまで調べる事が出来るのは、正直驚きを通り越して恐れさえ抱きました」


 今まで温和な表情だったトラヴィスの顔が、とらえどころのない笑顔に変わった。


「我々が何年もかかって到達した真実に、たった一人で到達してしまったのですから」


 その一言で、両者の視線が互いを探る為の緊張状態へと瞬時に切り替わった。


「……なるほど。 ここからが本題になりそうですね」


 ウィルは椅子に背中を預けながら、眼鏡の位置を直す。

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