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ゼリアスが運転する黒塗りのクラシックカーの車中で博物館までの道中、後部座席に並んで座っていたマリアンから季人は現地に到着するまでに自分がまだ知らない情報してもらう事にした。
「水越様、ニコラ・テスラの研究成果がFBIに回収されたことはご存知ですか?」
「ああ、自伝書で読んだ」
発明家であり電気技師であったニコラ・テスラはホテルの一室で死亡しているのが発見された際、その部屋に残されていた資料の殆どが時を置かずしてやってきたFBIによって根こそぎ持ち出された。
後に母国へと押収された資料や発明品は返還されたが、全てが……というわけでは無いらしい。
そこに一体何がかかれていたのかは未だに公表されていないが、ニコラ・テスラは様々な科学的発明を世に生み出してきた事を鑑みても、世に変革をもたらせるだけの物が書かれていたとしても、何ら不思議ではない。
「世に知られているフィラデルフィア計画は、レーダーから船体の反応を消すためのものだった。 もちろんそれの実験もかねてはいましたが、本当の目的は、先に説明した、次元の観測と、質量転移です」
そして、その持ち出された資料に、フィラデルフィア計画……レインボープロジェクトの事が記されていた可能性も、否定できない。
「ニコラ・テスラ博士はこのフィラデルフィア計画の実行を恐れていました。 正確には、博士が計画していた実験に、外部からの介入があった事も関係していたようです。 恐らく、テスラコイルを用いた実験とは別の実験計画。 そして、本来望む形での実験が行えないと判断した博士は、計画から降りた」
「なるほどねぇ」
そう考えると、ニコラ・テスラの死が意図的に仕組まれたものと勘ぐってしまうのも仕方が無いと季人は思った。
「計画そのものを封印しようとした矢先、彼の命と計画書は奪われた。 魅力的すぎたって事か。 手段を選ばないほどに」
マリアンは頷き、続きを口にする。
「そして、彼の死後から十ヶ月後、1943年10月28日に、計画はフォン・ノイマンによって実行された」
そこからは、誰もが知っているエルドリッジの消失事件だ。
「都市伝説通りなら、実験は成功したみたいだけど? ちゃんと次元転移したみたいじゃないか」
「……乗員が異様な形で発見される事態は、成功とは言えません。 研究者達にとっては喜ぶべきデータは取れたのでしょうが」
「まぁ、確かに」
エルドリッジが再び元あった場所へと帰ってきた時、船体に変化は一つも無かった。 消えた時のまま、寸分たがわず元々の姿でそこに現れた。
しかし、乗組員はそうはいかなかった。
ある者は、全身が焼け焦げた状態で発見された。
ある者は、甲板や壁に埋った状態で発見された。
ある物は、外傷は無かったが、発狂し続けている状態で発見された。 ただ、彼らが正気に戻る事は無かったという。
無事だった者はほんの僅かだったという話だ。
「水越さんは、エルドリッチの乗船員の構成はご存知ですか?」
「……いや」と季人は首を振る。 何かに書いてあった気がしたが、それでも詳細が事細かに書かれたものは見た事が無かった。
「研究者を含め、百名程度。 しかし、実際に下船した者の中には、乗船名簿には無いはずの少女がいたそうです」
「女の子? 乗員の関係者か?」
「いえ、この極秘と言われた実験に関わった上官、下士官、研究者は全て管理されていました。 関係のない人間、ましてや子供などが乗船しているはずがないのです」
その実験、全ての人間が本来の意図を目的として集められた者達だけなのか、それとも磁場消滅を目的として集められたのかは分らない。
しかし、どちらにしても軍における極秘計画には変わらない。 それに携わる人員の精査に力を入れていないわけが無いのだから、名簿にない少女が乗船する隙などないはずだ。 それこそ、ネズミ一匹にすら注意を払うだろう。
「って、いうことは……?」
普通の方法で乗船したわけではないのだとしたら……。
エルドリッジにまつわる話を思い起こすと、限りなくゼロに近くも、あり得そうな話と言えば……。
「はい。 エルドリッジが消える前には存在せず、ERBを通り再び出現した時に少女はいた」
そんな馬鹿な。 と思いつつも、既にその実験内容自体が常軌を逸している事なのだから、何が起こっても不思議ではない。 ただそれが、全く意図しない斜め上の結果をもたらしたという事実が、その結果を受け入れにくいものとしてしまっているのだ。
「不安定なERBが、別の次元よりその少女を引き寄せてしまったのです」と、マリアンは話す。
「そんな事があり得るのか? 影響があったのは、エルドリッジだけなんじゃないのか?」
「影響下にあったのはエルドリッジの船体ではありますが、エルドリッジの周囲にまでその影響が及んでいたのなら、その可能性は十分考えられます」
「なら、再び現れたっていう二千五百キロ先で巻き込まれたと?」
半信半疑だが、それ以外に考えられない。 エルドリッジが転移した先で何が起こったかは定かではないが、その転移先は遥か彼方ノーフォークの海上だという事は判明している。 その際、もしも近くに他の船などが偶然通りかかっていたとしたら、何らかの事象に巻き込まれた可能性はあり得なくもない。
しかし、その季人の考えにマリアンは首を横に振って答えた。
「……それも正確ではありません。 私が聞いた話では、この世界で観測されたのがノーフォークだったというだけで、本当はさらに四回は次元を超えたようです。 その内二回は、この世界ではないどこかと……」
「マジかよ……」
俗に言われているフィラデルフィア計画でのエルドリッジの転移現象は一度だけ。 それ以外の話はどこにも残っていない。
もしもそれが本当だとしたら、都市伝説と言われているこの実験がどのような評価を世に与えるのか……季人は自身の沸き立つ興奮を努めて冷静を装うのに精一杯だった。
この世界以外というのは、つまり異世界……と捉えても差し支えない。
そしてその少女は、その異世界の住人と言うことになる。
もはや希少価値で言えばアンティキティラギアやモナリザなど話にならない。 季人にとっては偉人や大統領よりもさらに高次元の人間だ。
「その四回、空間転移した内の一回に、少女は巻き込まれた。 何の前触れも無く、唐突に、本来いた場所から、誰も知っている人もいない、言葉も分らない世界に引っ張られた」
唐突に表れた少女の悲劇を語るマリアン。 実際その通りだろう。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した駆逐艦に予期せぬ乗船を果たした少女の心情は計り知れないほどの恐怖で彩られていただろう。
ただ、季人はその少女の心情よりも、何となく会話の中に感じた違和感に対して思ったままを口にした。
「随分とその娘に詳しいんだな」
秘密のヴェールに包まれた少女の事をマリアンは知っていた。 それだけでなく、少女の内面を語る際に含まれていた感情の振れ幅に、どこか親密さを感じさせた。
しかし、その疑問に対して、マリアンはただ簡潔に答えた。
「ええ、本人から聞きましたから」
その返しに、季人は座席に背中を預け、目を見開いたまま意識を自身の内側へと向けた。
興奮冷めやらぬ胸の内と頭を一度クリアにして、これまでの経緯とその口ぶりを思い出し、もしかしたら……と泡の様に浮き上がってきた一人の名前。
「ミセスカバーリから?」
マリアンは一度目を伏せ、微笑を浮かべてから口を開いた。
「……おばあさまは、ただ帰りたいだけ。 いえ、たとえ帰ることが出来なかったとしても、自分の居たはずの場所を、一目だけでも見たいだけなのです。 ですが、例えおばあさまの能力でも、それだけは、見ることがかなわない。 ですが、アンティキティラデバイスのアシストさえあれば……」
「過去を見通すあの力を持ってしても、自分の居たであろう本来の世界を見る事は出来ないのか」
それは、能力の力が及ばない所に、カバーリの世界があるからなのか、それとも他の要因が働いているのかは、先刻出会ったばかりの季人には想像も出来ない。
故郷に対する認識は人それぞれだか、おおよそ蔑にするのはマイノリティだろう。
大抵の人間はその響きを大切にし、拠り所となる。 生まれた場所であり、思いを馳せる場所であり、帰るべき場所である。 その度合いは千差万別ではあるだろうが、少なくとも、自分の意志でその地離れたのでなければ、帰郷の念は人並み以上のものがあるだろう。
「当家では、ミニッツリピーターのみで稼働する限定的な観測装置があともう少しで出来るはずでした。 本当に、あと一歩というところまできていたのです。 それなのに……っ」
マリアンの表情からは、僅かに悔しさがにじみ出ていた。
きっと、その思いがあったからこそ、マリアンは先走りにも近い行動や、思い切った独善的行動に走ってしまったのかもしれない。
そう思えばある程度合点がいくし、何だか微笑ましい気持ちにもなる。
ただ思い切りがいいだけではない。 その根底には、親類に対しての思いがあったのだから。
「あんたらは皆家族思いなんだな」
俯いて僅かに頬を赤らめる目の前の少女は、年相応の表情をしていた。
「お嬢様」
運転していたゼリアスが後部座席の二人に声をかける。
バックミラー越しにマリアンはゼリアスに頷く。
「念のため、この辺りからは徒歩で行きましょう」
国立科学博物館。
日本の誇る国立の展示施設として、海外にも名の知られている施設であり、キャッチコピーを「想像力の入り口」と関している点が季人の心情と重なっている。
3つの主要事業である「調査研究」、「標本資料の収集と保管」、そして「展示・学習支援」が主だった活動であるこの施設は定期的に国内の遺物だけでなく、海外からの展示イベントも催され、常に一般人、専門家が足を運ぶ場所だ。
季人とマリアンは博物館の敷地外から並んで本施設を仰ぎ見る。
『じゃあ、回収した後のルートに関しては、さっき取り決めたとおりだから、ちゃんと頭に入れておいてね』
「はい、わかりましたウィリアム様。 ではゼリアス、よろしく頼みますよ」
「お任せくださいませ、お嬢様」
芸術のようなお辞儀を見せたゼリアスに見送られ、季人とマリアンは歩き出した。
ロズベルグ邸を出るときにはてっきりゼリアスも来ると思っていた季人は若干肩透かしを食らったような気になったが。 それはマリアンが頼りないと思っているわけでは無い。
どちらかと言えば、それだけマリアンに対する信頼があるという事なのだと前向きに受け止めた。
加えて、ゼリアスの隠れた一面を車内で聞いた時、納得のいく采配だと思ったからこそ、背中を任せる事が出来るのだ。
「本当に考えたよな。 ここなら、公的機関が黙っていても厳重な管理の下で大切な物を守ってくれる」
「はい、それに必要な物も、大切に運んでくれる」
それが、現在催されている展示品に関連性があり、かつ正規の契約に基づいて依頼されたアイテムなら当然だ。 例え本来展示予定が無かったのだとしても、ギリシア外務省と大使館からの依頼なら問題など些末な物だろう。
「各所で集めた物も、ここに集約されているのかもしれませんわ」
その可能性はある。 なにも重要なものはアンティキティラ・デバイスだけではない。 他にも何か重要な物が運び込まれているかもしれない。
「それじゃあ、さっそく入ろうか。 ウィル、チケット売り場はどこだ?」
季人は耳に装着してあるコードレスのヘッドセットを意識しながら遠くの相棒に話しかけた。
『今執事さんに警備システムに繋がるネットワークのラインを構築してもらってるから、パンフレットを見ながら待ってて。 回る順路とか、非常口の場所を把握しといたほうがいいだろ?』
「それはもっともだ」
探す場所の目星や、いざとなった時の逃走経路など、館内図を頭の中に絵として覚えておくことは必要だろう。
表だったパンフレットのMAPだけでも、位置関係などは正確に記されている。 季人とマリアンはスマートフォンから公式サイトに載っているその図を観ながらウィルからの続報を待った。
『お待たせ。 あんまり長くは持たないけど、監視カメラにはダミーを走らせてある。 動体探知機は移動先によってその都度無効化させるよ。 とりあえずは、東の資材搬入路から入場してくださいお客様』
「了解だ。 ……マリアン?」
先に動き出した季人だったが、その場で呆然と立ち尽くしていたマリアンに気付いて声を掛けた。
「いえ、その、普通侵入するでしたら、昼の内にその経路の扉や窓などの施錠を解除しておくものなのですが、ウィリアム様にはそんなもの関係ないのですね」
季人と同じようにマリアンも耳にイヤホンをセットしている。 そのままそこに居るかのようにウィルに賛辞を送ったマリアン。
『まぁ、初めてじゃないから……』
「え?」
再びマリアンから疑問の声が上がったが、それ以上は面倒くさいことになりそうだと季人の直感が働き、その立ち尽くしていた少女の背中に手を添えて進行方向へと促した。
「ほらほら、行くぞマリアン」