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「そうと決まったら、悠長に事を構えている余裕はなさそうだな」
パンっと場を仕切り直すようにして季人が手を鳴らす。
『うん。 一刻も早く次元観測装置のデータを回収しないと』
「フレイザー様、まず確認したいのですが、そのデータというのは一つの媒体にしか入ってないのですか?」
『その通りだマリアン嬢。 渡したフラッシュメモリには特別なプログラミングを施してあるから、コピーしようとすればデータは消滅する。 クライアントの依頼でそういう風に作ったんだ』
「なら、そのフラッシュメモリさえどうにかすれば……」と、マリアンが言い切る前に、ウィルが言葉を挟んだ。
『いや、それもあるけど、連中は既にカルディアをデータを元に完成させている可能性があるんでしょ? だから、組み上げられてしまったカルディアを回収、もしくは破壊しないと』
そうする事で初めて、この件に決着をつける事が出来る。 トラヴィス達にとって、次に繋がってしまうようなものは一つも残しておく事は出来ないのだ。
「そうですね。 この問題は早急に幕を下ろさねば、尾を引くことになります。 出来るなら、今回のごたごたは今回の内に終わらせたいと思います」とカバーリが頷く。
「確かにその通りだ。 よし、それじゃあどうする? 何から探す?」
季人は椅子から立ち上がり、座り続けて疲れた腰を伸ばす。
「そもそもフィラデルフィア計画の再現っていうくらいだ。 どこかに艦を用意してあるんじゃないのか。 もしそうだったら、怪しい軍艦でも探せばいいんじゃないか?」
フィラデルフィアで行われた実験では、駆逐艦エルドリッチが用いられた。
全長100メートル近い大きさがある船体が何の痕跡も無くポンと現れるはずがないのだから、もしこの国に存在するのであれば、なにかしら手がかりがつかめるはずだ。 ……いや、一度はどこからともなく現れた前歴があるのではあるが。
『本物のエルドリッジは今もギリシャで老後を過ごしてるはずだ。 けど、連中は目的の為に手段を選ばないみたいだし、安心できない材料がそれなりに揃ってるのが問題だね』
「ん、なんかあったけ?」
「……フレイザー様が仰っているのは、恐らく先日起こった、上野の博物館であった盗難事件のことでしょう」
数日前に起きた、上野にある国立科学博物館で起きた盗難事件。 一般人が入場している最中に、突如として消えてしまった、ある展示物。 その日は普段は起こりえない停電というアクシデントが館内を暗闇へと導いた。
それは時間にして十秒も無かっただろう。 だが、再び館内を明かりが満たした時、本来あるべきはずのものが、そこにはなかった。
その後の捜査でも、失せ者は発見されていない。
『その通り。 あの時失われたものこそ、誰もが知るオリジナルのアンティキティラギア。 なにせ、モナリザよりも価値があると言わせたほどの代物だ。 まぁ、ブラックマーケットで売りさばけば、結構な小遣いにはなるだろうね。 売る気があればだけど』
中高の美術教材などを開けば、恐らくその写真くらいは出てくるくらいに有名だろう。 世界で最も有名な、錆びついた歯車が、何らかの目的を理由に奪われた。
「ああ、売る気があればな」
「ありえません。 私たちは此度の件を懸念し始めたのは、それが始まりです」
カバーリに続き、マリアンが先を続ける。
「そして、先日ウブロ社社員を狙った殺人事件により、事は決定的となりました。 その瞬間から、我々は警戒態勢を強めたのです」
ウブロと言えば、高級時計メーカーとして有名なブランドだ。 一千万単位の時計など珍しくも無い、複雑な機構を用いた時計や様々なブランドとのコラボを実現し、希少価値の高い時計をいくつも世に生み出している。
だが、時計に対してそれ程興味の無かった季人には聞き覚えのないブランドであり、今初めて聞く事件だった。
「ん? それは知らないな。 どんな事件?」
その疑問には、脇に控えていたゼリアスが答えた。
「MP-04アンティキティラという名の、アンティキティラギアの機構を用いた腕時計。 世界に四つしか存在しない、ウブロ社が作った特別モデル。 それが何者かに強奪され、その際に死傷者が出た事件です」
そして、マリアンが置いてあったタブレットを操作して季人手渡した。
「日本でもその腕時計は公開されたことがあります。 新宿の伊勢丹で」
季人はその画像をスライドさせながら見ていく。 当時その事をとりあげていた雑誌の掲載画像と、精細な写真が何枚も用意されていた。
「それってやっぱり、業界では重要な物なのか? その、時計としてではなくて」
「はい。 ERBを研究する上で、インベスティゲーションモデルとして作られたのです。 そのうち一つはオークション品として出品されましたが、それも現在は研究目的での所有が確認されています」
―――インベスティゲーションモデル。
調査目的ということは、初めから時計としての利用を想定しているのではなく、アンティキティラ・デバイスとして作られていたという事になる。 企業として作成された、カルディアの一部。
「その盗まれたやつは、トラヴィスの計画にどう関わってくるんだ? 必要なのは、三つのアンティキティラ・デバイスなんだろ? それに、上野の博物館のやつもそうだ」
本当に必要な物は既に手に入っているはず。 それ以外のアンティキティラ・デバイスをどう使うつもりなのか。
『それはきっとあれだ、カルディアそのものを観測するために必要なんだよ。 ERBでどこに跳んだか知るためにね』
「フレイザー様の推測は正しいかと」
カバーリはウィルの推測を肯定する。
確かに、ERBが発生してその場から消失してしまったカルディアを観測するレーダー……観測機器が必要だ。 そうでなければ、もし何らかの理由で予期しない場へと転移した際、全てを失ってしまうのだから。 あらかじめ重要な物に紐をつけておくことは、何ら不思議ではない。
「着々と必要な物をそろえていってるな。 あと必要なのはなんだ、やっぱり戦艦くらいか」
聞けば聞くほど、後手後手というより、既に現状が最終段階へと手を掛けているように思えてならない。
どうやらトラヴィスと言う男は存外に仕事が出来る男の様だ。
「そもそも、退役したエルドリッチがギリシアの管轄になった本当の理由は、フィラデルフィア計画の研究をするためでしたから、当時彼らが研究所を構えていた場所を考えると、仮に船体が必要だったとしても、もう手に入れていたも同然でしょう」
「それじゃあ、もしウィルのデータがもっと早くに手に入っていたら、ギリシアでフィラデルフィア計画が再現されてたのか」
その季人の疑問に、カバーリは首を振って否定した。
「いえ、先ほども言ったように、あらゆる研究機関がERB関連の情報に目を光らせています。 前々から注目を集めていたギリシアの研究施設は、今回の一件で強固なマークが付きました。 そんな所に重要なアイテムが揃っていれば、あらゆる機関が手段を選ばず押し寄せるでしょう」
一体、どれだけの人間がERBに関心を持っているのか……。
今日はじめてその事に触れた季人にとってはまだまだ実感の湧かない事であったが、自分の与り知らぬところで行われている秘密の研究など、それこそ至る所で行われているだろう。
「なるほどね。 っと、話が逸れた。 で、何処を探すんだっけ?」
『というか、誰をって話だね』
「そうだった。 けどその辺のリサーチは済んでるんじゃないのか?」
季人はカバーリとマリアンに視線を向ける。
「もちろんです。 御二方も……正確には、ウィリアム様も一度会っているはず」
『ああ、トラヴィスか。 まぁ名刺ならもらってるけど……』
名前を聞いて情報を関連付けを行う季人だったが、直接顔を合わせた事が無かった為、それほど印象が強く残っていなかった。
ただ、ワールドアパートとロズベルグを繋いだ人間であることは間違いない。 良くも悪くもだが。
「なら話は早い。 そいつの所に行って、実験をやめてもらおうぜ。 この際、それこそ手段は選ばなくていいだろ」
「実は、そう簡単にはいかないのです」とカバーリが嘆息まじりに言い、マリアンがその先を続けた
「彼がいるのは、ギリシャ大使館の中なのです」
「国内であって、国外に居るってか……」
それで簡単ではない事に納得がいった季人。 日本であっても、ギリシア大使館内はこの国の法が通用しない。 そして、トラヴィスはギリシアの外務次官だ。 自分に捜査の手が回るような気配があれば、直ぐに手をまわして痕跡を消すだろう。
最悪の場合、実験開始まで姿を眩ましてしまう可能性もある。
「なら、渡したデータもそこに?」
「どうでしょうか。 ギリシアのERB研究活動に関しては、国内の財政問題から、風当たりは強くなっていたはず。 ここに来て、それを匂わせる物を認知させるとは考えにくい」
それはつまり、国としてはアンティキティラ・デバイスに関連したものを管理するようなことはしていないということ。
「肌身離さず持ち歩いてるってことか。 なら、その男が研究目的にしろなんにしろ、次のステップに移行するのを待つ必要があるのか? いや、まてよ……」
それ以外に、可能性があるとしたらあともう一つ。
自分の庭に置いておけないなら、別の場所に置いておけばいい。
厳重で、怪しまれ無い場所へ。
「なぁ、もしそんな大切な物を預けられるとしたら、予想できるのは?」
例えば、木は森に隠せと言う言葉のように、そういった遺物が多く保管されていて、かつトラヴィスの政治的優位性がいかせる場所……。
『……分った。 上野の科学博物館だ』
直ぐにウィルから返答が来た。 それも明確な場所も含めて。
「上野?」
『一週間前にトラヴィスはそこの入館証を作ってる。 博物館側のデータベースに名前があった。 ログも確認してみたけど、基本的には毎日通ってるようだ。 それに……』
「それに?」
『今行われている催しは、よみがえる地中海の神秘、海を航るギリシアだったよね』
「まさに木を隠すなら森の中だな。 というか、盗みを働いておいて再度利用するとか、もうむちゃくちゃだな」
だが、確かにそこはトラヴィスにとって実に都合がいい厳重な金庫だ。
出入りに関して博物館側は異論も出ないだろう。 疑問すら浮かぶかどうか……。
博物館であれば他国の遺物を扱う以上、最新の注意を払って取り扱うだろう。
もしトラヴィスがなにかを持ち込んだとしても、展示する市内にか変わらず、遺物である以上指示を仰ぐために厳重な保管体制は他と同様なされるはずだ。
それが展示するしないに関わらず。 短期の保存場所として機能すればいいのだ。
『ロズベルグ財閥の見解は?』
「フレイザー様とそれほどの差異はありません。 我々も、アンティキティラ・デバイスは上野にあると見ています」
二者から同じ意見が出たのであれば信憑性は高いだろう。 少なくとも、ウィルがそう判断したのなら間違いないと季人は確信している。 例えスーパーコンピューターが何日もかけて導き出した答えと天秤にかけたとしても、自分が選択するのはジャンクフード好きの相棒の出した答えなのだ。
「よし、上野の国立科学博物館だな」そう言ってカップに残っていた紅茶を飲み干した季人。
「OK。 それじゃあナイトミュージアムに探検と行こうか。 きっとアフターファイブで入場料も格安だ」
部屋に掛けてあるアンティークの時計を見れば、時刻は牛の刻を迎えようとしている。 展示品が動き出してくれるかもしれないなと季人は若干の期待をもっていた。
『あ、それじゃあそこに行く前に、ちょっと家に寄ってくれる? 渡しておきたいものがあるんだ』
「ああ、いいぜウィル。 俺だってスウェットのままで行こうとは思ってないよ」
人目を気にしない時間帯とは言っても、身だしなみを整えて行くのは展示されている遺物に対するマナーというものだ。
それに、今の季人は靴すらはいていないのだ。 どの道一度は帰らなければならない。
「では、参りましょう」
その声の主……季人はてっきりゼリアスのものだと脳内で処理しようとしたが、実際にはロズベルグ家次期当主のものだった。
「……」
「水越様?」
再度マリアンが季とに声をかけるが、未だに戸惑いを隠すことはできない。
「いや、俺はてっきりそこの執事さんと行くもんだとばかり……」
その疑問には、口を開きかけたマリアンではなくカバーリが答えた。
「確かにこれまで、水越様はマリアンの攻勢を機転を用いて受け流してきました。 印象としては心配や不安が募るかもしれません」
「……」
実際、それもある。 しかし、比率としては些細な物だ。
季人が憂慮したのは、これから荒事が待っているかもしれない場所に、年端もいかない少女が赴くのはロズベルグ側としてありなのかということだ。 だが、そんな心配はカバーリにとっても杞憂らしい。
「この娘は私が次代を任せられると心から思っています。 今は多少お転婆ですが、それは先程水越様が仰られたように、年相応の愛嬌と言うもの。 言い換えるなら、若さという力でしょう」
そこにどんな思惑があるのか……カバーリの目からはうかがい知る事は出来ない。
場数を踏ませたいのか、それともマリアンにはそれに足るだけの何かがあるのか……。
どちらにしろ、ここで問答していてもらちが明かないことは明白だ。
「……いいぜ。 別に俺だって、マリアンに対して不安感を抱いてるわけじゃないさ。 ただ、ちょっと荒事というか、危険な状況が起こった時、ロズベルグ財閥として大丈夫なのかなと思ってさ」
「マリアンなら問題ありません。 ご安心を」
ちょっと前に俺に組み伏された気がしたけど、それは言わないでおこう……。
季人はマリアンの前に右手を差し出した。
「オーケー。 頼りにしてるよ」
「はい。 よろしくお願いいたしますわ」
その手を、マリアンはしっかりと握った。