203
「改めまして、私はロズベルグ財閥の現当主、カバーリ・ロズベルグと申します」
それはウィルに向けてのあいさつだろう。 場を仕切り直す意味もあったかもしれない。
「ロズベルグ財閥は、世界中で時を刻んでいる機械式時計、特に三大複雑機構が組み込まれた時計のオーバーホールや、独自ブランドの展開を資本とし、現在では工業、商業、福祉など、様々な事業を行っている由緒ある財閥でございます」
脇に控えていたゼリアスが簡潔に、しかし誇らしく口上を述べる。
財団と聞いた時から手広く事業を起こしているだろうと想像していた季人だったが、どうやら思っていた以上に社会的な貢献をしていると知り、もうただただ驚くしかない。
「もしかして……いや、もしかしなくても、その財閥トップとこうして席を同じくしてるって凄い事じゃないか?」
社交性と言う名の処世術が欠如していると自他ともに認識されている季人にとっては、何をしても失礼にあたるのではないかと思案するが、かといって身の振り方を今更変える事などできない。 とにかく今は軽い調子を維持して、何事にも即時対応できるよう、精神に余裕を入れておくだけのブランクを作っておく。
「私は世襲で今の地位に居るだけで、私に付いてきてくれている家族が優秀なのです」
「周りが担いでくれてるって事は、それだけ好かれてるって事さ」
従業員を自然と家族と呼べる当主には好感が持てた。 少なくとも、今のところカバーリに対して季人はマイナス面のイメージは持っていない。 礼節がその人と印象を作るとはよく言ったものだ。
「ちなみに、その事業の中には、諜報活動専門の部署もあるのか? なぜ俺達が時計を持っている事を知っていたんだ?」
あの機械式時計にはGPSといった類は無かった。 それはウィルの調査によって確認済みだった。 となると、他にピンポイントで季人に接触してきた要因が他にもあるはず。 かと言って外部から漏れる様なワールドアパートとしての落ち度は考えられない。 クライアントは当然漏らさないだろうし、自分達もその点は守秘義務の観点とプライドに賭けて漏らす事は無い。
ならば、あとはロズベルグ側が優秀な諜報員を持っているか、ウィルと同等かそれ以上のハッカーを抱えているかになるのだが……。
「……わかりました。 ではまず、説明の前にご覧いただきたいものがあります。 ゼリアス」
「はいカバーリ様」
呼ばれたゼリアスの手には液晶タブレットがいつの間にか用意されていた。
「タブレット?」
カバーリに手渡されたそれは、はじめは真っ暗だったが、そこにノイズのような線が入り始める。
怪訝に思っていた季人だったが、それが徐々に形を結び、一つの映像になるまで、そう時間はかからなかった。
「水越様は先程、どしてあの時計を所持していることを知っていたのかと問われましたが、それは簡単なこと」
カバーリが手にしたタブレットのディスプレイには、部屋を俯瞰で映し出した映像が若干ノイズ雑じりで映し出された。
「私には、媒体を通して現在より過去を映し出す力があるのです」
「これは……録画映像じゃないのか?」
季人は上を向いて仮にカメラがありそうな場所へ焦点を合わせようとしているが、それらしいものは見当たらない。 改めてタブレットを見ると、ワンテンポ遅れて今の動きが映像として流れた。
「水越様、この部屋をいくら探してもカメラは出てきません。 身内だけのプライベートルームですので」とカバーリがほほ笑む。
しかし、季人は今まさに興奮が最高潮に達しようとしていた。
「これは、念写……ソートグラフィーか? いや、俺の知ってる念写とは勝手が違うみたいだ」
始めて見た、と季人がタブレットを凝視し続ける。
念写とは通常、閉じられた空間の中を外側から写したり、視界外にある遠くものをフィルムなどに感光させ、その様子を写し出す超能力。 ESPの中では透視に近いが、第三者にもその発現結果が分かるため、能力に対して信憑性……トリックかそうでないかが直ぐに分かる。 それでも、巧妙な手法でそれらしく見せる者もいるが、少なくとも今目の前で起こっていることは、どうやら本物のようだった。 というより、これはそれ以上のナニかだ。
液晶タブレットに動画として投影し、千里眼の自由な座標から観測が可能で、かつ過去を写し出すなど、既にソートグラフィーの領域を越えている。
「この力で現在水越様がお持ちである時計を念写した時、ウィリアム様とギリシャの外務次官、トラヴィス・サルバトーレが映り、そこから調査を始めました」
世界中の至る所にストリートビューよろしく、座標も自由にアクセス出来るということだ。 その区別に、公共施設も隔離施設も関係ない。
もし探偵業でも始めれば、ライバルたちの追随を許さないほど繁盛する事だろう。
「マジだとしたらすげぇな。 どう思うウィル?」
『確かに、それが本当だとすれば凄いことだ。 サイコメトリーの様に、残留思念を読み取る力の亜種になるんだろうか……』
サイコメトリーとは、物体に残った残留思念を読み取ることである。
言葉自体は心霊研究科であるジョゼフ・ローズ・ブキャナンが作りだした造語であるが、今ではメディアなどに多数取りざたされ、大分ポピュラーな超能力の一つとして知られている。
残留思念は流体に宿りやすいと言われ、とりわけ水等が読み取りやすいと言われている。
サイコメトリーの方法に関しては能力者毎に違いはあるが、やはり主観的に観測するものが殆どであり、能力の真偽を見極める事は極めて困難な事が多かった。
しかし、カバーリの能力は第三者にも観測できる。 それだけでもその力の偉大さが計れるというもの。
「ただちょっと不思議なのは、どうしてこんな軍事衛星も真っ青な力があるのに、あんな方法をとってきたんだ?」
あんなとは、マリアンに関する二件の接触のことだ。
「仰る事はごもっともです。 我が財閥の力を使えば、あらゆる事態に対処し、その力を行使できるでしょう」
カバーリは一度目線を外し、季人に向き直る。
「私の力は、情けない事ですが私の現状の位置から遠くのものや現在よりも遠い過去になるほど、体力の消耗が激しく、一度使うと再び使用するのに時間が必要なのです。 インターバルを置かずに使用すると、集中力が続かず極端に画像が乱れてしまうのです」
それが、万能とも思えた能力に対する制限ということだった。
「何事も過ぎたるは及ばざるが如しってか。 まぁ、そうでなけりゃ万能すぎるよな」
「はい。 そして、念写する事が出来るのは、私にとって印象が強く残っているものに限ります。 この映像の場合は、当家の所有物であった懐中時計に焦点を当てて映し出しました」
念写するにも、スポットが必要ということか。 季人は頭の中で自分なりにカバーリの能力を考えてみた。
距離や座標と言う概念はもとより、想念に対するアクセスが重要となると、ますますサイコメトリーに近い能力のような気がしていた。
「いやでもさ、過去を遡ってみる事が出来るなんて、万能ではないにしろ、正直とんでもない力だと思うぜ」
そう思った季人はマリアンに視線を向けた。
「マリアンもそういう力を持っているのか?」
「い、いえ、私は……」と、言葉を詰まらせ、視線を下げたマリアン。
「そうか……。 ということは、これは先天的なものではないのか」
良く聞く話では、身体能力の遺伝と関連して、超常的な力も遺伝されるケースは割と多い。
もしかしたら、ロズベルグ家特有の物なのかと季人は思ったが、どうやらそう単純な話でもないらしい。
「時計を弄りすぎた私に、神が気まぐれで授けてくれたものでしょう」とカバーリが言う。
「だとしたら、世界中の時計職人の趣味は卓上旅行になりそうだな」
「ただ、このような手段を取らねばならないほど、我々の事態は逼迫しているとご理解頂ければ幸いです」
そしてカバーリは一度言葉を区切り、「では、時計奪還の行使。 そして水越様の御身を当家へと移した理由をご説明いたします」と切り出した。
「ですがその前に水越様、フィラデルフィア計画はご存知ですか?」
その問いに季人は頷いた。 むしろ、彼の領分である単語だから直ぐに返事を返す事が出来た。
「ああ、知ってるよ。 ニコラ・テスラが提唱して、フォン・ノイマン主導で行われた戦艦エルドリッジ使った実験だろ。 そういうネタで飯食ってるんだ。 知らなきゃモグリだって」
―――フィラデルフィア計画。 正式名称をレインボープロジェクト。
ペンシルベニア州、フィラデルフィアの海上で行われた米軍による極秘実験。
第二次世界大戦の最中、アメリカ海軍は敵艦のレーダーに対するステルス兵器の開発をする為、テスラコイルを用いた実験を行った。
当時、レーダーの仕組みは船体の磁場を捉え、それがモニターに表示と考えられていた。 そしてテスラコイルは、その磁場を消滅させて隠密性を確立するための検証を行うために艦載され、艦内には他にも様々な実験機器が搭載され、1943年10月28日にその検証実験は行われた。
実験そのものは想定通りに磁場が消滅し、レーダーにも映らなくなった。 実験に関わった誰もがその結果に歓喜し、その後の戦いを優位に進めるための秘密兵器が完成したことを互いの肩を叩きながら湛え合った。
見事、フィラデルフィア計画は成功した……かに見えた。
歓声が沸いたのもつかの間、誰もが予想だにしなかった不測の事態が起こった。 大勢の軍関係者が観ている目の前で、エルドリッジは、レーダーからどころか、視界からも消滅してしまったのだ。
海面が淡く光り、その光は船体を徐々に包んでいき、エルドリッジは透過していくように、見ている者たちの視界から消えていった。
その後の調べでは、艦は遥か2,500kmも離れたノーフォークまで瞬間移動していたことが分り、再び時をおいた後、エルドリッチは元居たフィラデルフィアの海上に戻ってきた。
「アメリカ海軍によって行われたフィラデルフィア計画。 世間では、単なる都市伝説で片づけられているエルドリッジの消失。 その結果は世に知られている通り、乗船員達の複雑怪奇な惨状ですが、それでも実験そのものは半分成功していました」
何をもってして成功と語るのかは人それぞれであるだろうが、カバーリの言うそれは、磁場の消滅という主題以外にありそうだった。
「半分て……、船体の磁場を消失させる以外に、何か実験の主題があったということか?」
「はい。 そして、人知れず、実験は継続して行われていました。 フィラデルフィア計画 の本当の主題は、アインシュタイン・ローゼンブリッジを発生させることだったのです」
一般には聞きなれない単語がカバーリから出てきた。
「……それは、ワームホールの事でいいんだよな?」
季人は齧った事のある記憶を頼りに、その名に関連した情報を脳内HDDから引っ張り出す。
ワームホール―――別の時空へと繋がっている通り道。 ブラックホールとホワイトホールの関係性もワームホールと呼ばれることがある。 それは、場所や時間、そして別の世界や他次元へと繋がっていると言われている事象だ。
「はい。 その名で呼ばれるずっと前から、アインシュタイン・ローゼンブリッジ、通称ERBの存在は提唱されていました。 そして、数多くの物理学者、科学者が様々なアプローチでERBの発生に挑んできました。 その内の一つが、フィラデルフィア計画 と呼ばれる、エルドリッジを用いた実験の真相です」
「……」
駆逐艦ほどの巨大な質量体が消失した都市伝説の裏付けとしてカバーリの説明した理由は、確かに興味深いものだった。 それが本当だったとしたら、人類史に残る世紀の大実験が秘密裏に行われていたという事になる。 まさにSFの世界。 様々なフィクションで登場するテレポーターやタイムマシンにはワームホール……この場合はカバーリに合わせるとERBと密接に関係している。 それが現実に研究されていたというのだから、その筋に対して異常なまでに執着する季人にとっては猛烈に惹かれる題材だったろう。
実際、それが真実だったのなら驚愕の下で聞くのが普通だ。
季人もウィルもそういった畑で飯の種を育てているのだ。 むしろこの場合、新たな事実の発覚に胸を躍らせていると言った方が正しい。
「はぁ……なるほどなぁ……」
しかし、まだ確証となる情報がカバーリからの説明しかない。 話としては興奮を覚える位には面白いと思っている季人だったが、今はそれ以上に自分達が何に巻き込まれているのかを知る必要がある。
自分に密接にかかわっている現状こそ、より自分を興奮させるものだろうと確信して……。
「フィラデルフィア計画の真意がそうだったとして、それが今回の話……あんたらが必死で探していた時計とどう関係があるんだ?」
季人の問いに、カバーリでは無くその隣に控えていたマリアンが口を開いた。
「ERBが発生した時、もしくはそれに類する事象が発生した時に制御するための観測機器が必要なのです。 それが、カルディア《心臓》と呼ばれるアンティキティラ・デバイスが組み込まれた観測装置なのです」
「カルディア?」と聞きなれない言葉に思い当たる節が無い季人。 それにマリアンが答えた。
「カルディアとは、イタリア語で心臓という意味ですわ。 エルドリッジに搭載され、実験の要だったこともあり、総称されていました。 そして、そのカルディアの根幹を成す三つのファクター……そのうちの一つが、水越様が持っていらっしゃた懐中時計です」
季人は少し前まで自分が預かっていた、そしてウィルが調べていた調査対象の時計を思い浮かべた。
「あの時計が、そうだって?」と、季人の問いに対し、マリアンが簡潔に答えた。
「はい。 超絶機構である“ミニッツリピーター”が組み込まれた懐中時計が、アンティキティラ・デバイスの内一つを構成する物ですわ」
そしてカバーリが説明を続ける。
「そして現在、他の二つの内、トゥールビヨンを管理していたフランスのキャビノチェが自宅で死亡しているのが確認され、同時にアンティキティラ・デバイスを奪われました。 その数日後、次はパーペチュアルカレンダーを管理していたスイスのキャビノチェが行方不明に……」
世界には超絶三大機構と呼ばれる機能を有した時計が存在する。
パーペチュアル《永久》カレンダーは、数年先までの月日を見て取る事が出来る機構。 トゥールビヨンは時計本体にかかる加速度から秒針の狂いを防ぐ機構。 そして、季人達が借り受けているミニッツリピーターは鳴り物と呼ばれる時計で、現在の時刻を時計の内側を小さなハンマーが叩く音によって知らせてくれる機構で出来ている。
「時計職人の不幸が二回続けば、そこに偶然はあり得ないって事か」
「我々の調べでは、この二つの時計に関わっていた者たちが襲われているのです」
季人は納得し、カバーリはそれを捕捉した。
「今の俺みたいな感じにか?」
季人の皮肉交じりの問いかけに、マリアンは目線を伏せ、カバーリは苦笑を浮かべた。
「そう思われるのも無理はありません。 ですが、我々としては、水越様やその周囲の方たちを二件のような危機から救うために……その時計を狙う者たちから遠ざけるために、多少強引ではありましたが、このような手段を取らせていただきました」
聞けば、道理は通っているように思える。
「なるほどね、手元にさえなければ襲われる心配はないってか。 だけど、だったらもう少し会話っていう手段も講じてほしかったな」
ロズベルグ家の処置は緊急を考慮すれば妥当な判断なのかもしれない。 しかし、当事者にとってみれば、抵抗の一つもとらざるを得ない事態ばかりだったのだから、当然とも言えた。
「申し訳ございません。 マリアンには穏便に事を運ぶよう申し付けたはずだったのですが。 この娘は思い切りがいいというか、まだお転婆が抜けきらないのです」
先ほどからバツの悪い事でしか矛先が向かないマリアンとしては、非情に肩身が狭かった。
「本当に、すみませんでした」今日何度目かになるかもはや分らないマリアンの謝罪。
流石に引け目を積み重ねられるとこれからの人間関係の構築に支障が出ると思った季人は、それを不憫に思ったからではないが、務めて気にしてない様に前向きな考えを示した。
「いや、行動力があるっていうのは長所だと思うぜ。 若さの特権ってやつか」
『君がそれを言ってもね』
「はは。 まぁウィルが言う通り、俺みたいな年になってもお転婆が抜けない奴もいるんだ。 その思いきりっていうのは大切にした方がいい。 ただ、それを使い分ける経験というか、場数は踏むべきだろうけどな」
今でこそ次期当主と言う肩書があるが、いずれ正式に家督を継ぐことになるだろう。 そうなれば、今のような思い切りに頼る行動は流石に慎まなければならなくなってくる。 当主としてそれは必要な事であり、人の上に立つという事はそういうものなのかもしれない。
だから、自由に動ける今にしか出来ない行動というのはとても尊く、そして面白い事なのだと季人は思った。
『ちょっといいかな』とウィルが区切りを入れる『話を聞く限り、その時計を持っている限り危険が伴うらしいけど、ここであなた方に返却したら、その心配もあなた方の懸念も無くなるのかな?』
そうなれば、ここでロズベルグ家との関係性は綺麗に終了する。
その後多少の情報提供を求められるだろうが、一先ずの危険性からは脱した結果になる。
「はい。 しかし、それも杞憂に終わりました。 もう皆様が狙われる心配はありません」
杞憂……その言葉の意味は、時計の所持に関わらず、季人に危険が及ぶ事は無かったという事。
「どういうことだ?」
だが、その理由が掴めない季人は率直に聞いた。
「一つは、先程調べてみたところ……このミニッツリピーターは我々が探していた物の純正レプリカ。 オリジナルではありません」とカバーリが言う。
「……本当なのか?」
「はい。 オリジナルは私が組み上げたもの。 一目見れば、寸分たがわず同じであっても、ゼンマイの伸縮、歯車の動きから、私が組み上げたものとは違うと断言できます」
「だけど、ソートグラフィーは印象に残っているものに限られるんだろ? なら、偽物が観えるのはおかしくないか?」
カバーリは目を瞑り、思考をまとめる様に一拍置いてから目を開いた。
「恐らく、行方不明となっていたスイスのキャビノチェに作らせたのでしょう。 これだけのレベルで複製できるのはその者をおいて他におりません。 私の能力も、その精密な出来栄え故に意識を引っ張られたのかもしれません。 もしくは……いえ、こちらの方が可能性が高いのですが、既にミニッツリピーターが、私の知っている形を模していないかのどちらかになります」
カバーリの能力が質に引っ張られるのではなく、側に影響されるのであればそういうこともあるのだろう。
もしもその能力で自身が育てた花を探そうとした場合、既に散ってしまっていれば探せない。 かわりに、記憶に残る花の形をしたものが液晶に映ることになるのだろう。 より記憶に近く、形も同じような花が。
その時に該当する者の取捨選択がどのように行われるのかはわからないが……。
「なるほど、そういうことだったのか。 確かに、それだけ重要な物のコピー品があるなら、秘匿性を考慮してそれを渡すだろうな」
「加えて、もう一つ水越様が襲われる心配が無くなった理由があります」
季人は沈黙で先を促した。
「彼らは、次の段階へと駒を進めたようなのです」
「……と、言うと?」
なんとなく、予想される答えが返ってきそうな気がしたが、季人は敢えて問い返した。
「恐らく、既にカルディアは完成したのでしょう。 注力する点を本題に移したという事です」
誰も次の言葉を発しない。 沈黙がこの広い部屋を覆っている。 各々が何を考えているのか、それは口にしなければ分らない。
カバーリは視線をテーブルの上に落とし、マリアンはそんなカバーリの背中を見つめている。 ゼリアスは表情一つ変えず、壁際で中空を見つめたままだ。
そして、季人はそれを聞いて顔を伏せ、何かを考えていた。
だが、水越季人が何を考えているのか、どんな表情を浮かべようとしているのか、マイク越しに聞いていたウィルは察していた。
だからと言うわけでは無いが、その季人の表情をロズベルグ家の面々に読み取られる前に、おおよそ頭でまとめていた事で意識を自身へと向けるために口を開いた。
どの道、話さなければならない事でもあったのだ。
『皆、聞いてほしいんだけど……』
親友の声に、季人は顔を上げる。
「何か分ったのかウィル?」
『分ったと言うか、何と言うか……』
ウィルにしては歯切れ悪く、しかし、それが逆に“室内に響く、注力するような話し方だった”
『その時計が必要なくなった理由が、僕にある』
「フレイザー様に?」と問うカバーリ。
『僕は、トラヴィスから預かっていたその懐中時計とアンティキティラ・ギアの関連性を調べて、他二つの超絶機構の組み込まれた懐中時計との親和性、関連性、統合性をデータとして解析した』
その依頼された仕事を、季人の横でサイトの編集と検証作業を片手間に行っていたウィルだったが、それを終えたのが、今日の午前中だったはずだと季人は思い返した。
「流石でございますね、フレイザー様。 今日まで誰にもそれを解析出来なかったのですが……」というカバーリの言葉を聞いて、改めて季人はウィルがとんでもない能力の持ち主なのだと再認識した。
『僕が優秀である必要はない。 僕が作る解析ソフトが優秀であればいいんだ』
それは一体どういう違いがあるのかと問い返したい人間が何人かいたが、敢えて口にはせず、沈黙を貫いた。
『それで、その依頼されて完成したパズルを額縁ごと、データとして二時間前に渡した』
「比喩表現無しで言うと?」
『Readmeを添付して調査結果を渡した』
「おっと……」
「それを私達が知ったのが、マリアンが水越様のご自宅に侵入した時と同時刻だったのです」
タイミングってのはつくずく自分の思い通りにはならず、臨んだ時には都合の悪い方へと天秤が傾くようにできているようだと季人は溜息を漏らした。
「水越様の身柄を当家に移したのは、マリアンを回収する目的もありましたが、水越様の身柄を保証する代わりに、観測装置の情報と、クライアントの情報をフレイザー様から聞き出したかったというわけです。 今となってはそれも必要が無くなりました」
それはそれで物騒な話だとも思った季人だが、事が事なだけに、ロズベルグ側も必死だったと思えば別段不思議には思わない。
だがそれも、真っ正直に全ての話を信じればの事だ。
「聞けば聞くほどもっともらしく、納得できそうな話だ。 ただ、それが本当かどうかをこっちで裏付ける時間がないのが惜しいところだな」
「……ごもっともです」
カバーリからしてみれば当然の反応とみられていそうだが、季人本人からしてみれば、あくまで社交辞令的に言ったに過ぎない。
『季人はそんなこと言ってるけど、正直疑ってすらいないと思うから、そんなに真に受けなくてもいいと思うよ』と、ウィルが代わりに季人の本心を代弁してくれた。
「うん、まぁ、審議がどうであろうと、首を突っ込ませてもらわないと面白くないからな」
ここまで来たからには、知りたいことは話してもらう。
それが、水越季人にとってのこれまでにロズベルグが自身に行ってきたことに対する譲歩だった。
ここまで事態を聞かされて、お疲れさまでしたで済まされようものなら、それこそこの場にミサイルを撃ち込むのもやぶさかじゃないと、未知に対する貪欲さにかけては自他ともに認めている季人はなかば本気で思っていた。
『ちなみにさ、トラヴィス・サルバトーレの素性も調べてある?』
ここまで話が進み、そろそろ季人が聞きたかったことをウィルが先回りした。
もう大よその予想は出来ていたが、やはり言葉にして聞いておきたかったという事もある。 それに、共通の認識としてその事実を把握しておきたかった。
何しろ、どうあっても黙って看過しておくことは出来ない問題だったからだ。
そして、季人が感じていてウィルが質問したことに対しては、控えていたゼリアスが答えた。
「もうお気づきの事とは思いますが、此度の件―――キャビノチェ達に起こった一連の出来事は、ギリシア外務次官であるトラヴィス・サルバトーレによって引き起こされたものだという事が判明しています」
つまり、自分達は知らず知らずのうちに陰謀の片棒を担いでいたという事になる。 しかも、最悪の場合には雇われたクライアントにそのまま口封じをされていたかもしれないということだ。 もし本当にそうなっていた場合には実に笑えない。 B級映画だったら序盤で殺されていてもおかしくは無い役回りだっただろう。
『まぁでも、今となっては僕たちに関わる必要性は無くなっただろうから、もう接触はしてこないだろうけどさ。 確かな安全が保障されたわけじゃないから、まだ安心はできないね』
これから先、二度と関わってこないという確約を貰ったわけでもない。 絶対に干渉してくる事は無いと言い切れないところが問題だ。 形振り構わない連中というのは、それはつまりこちらの迷惑など一抹も考慮しないという事だ。
普通であれば、契約が終了した時点で綺麗に関係は終了する。 少なくともこれまでのワールドアパートはそうだった。 その後も仕事上で良い関係を保ちたかったらその限りではないが、その逆のパターンというのはこれまで考慮した事は無かった。
自分達の活動はあくまで趣味の領域に過ぎず、本来荒事につながるようなことはしないというのがワールドアパートの方針の一つだ。
しかし、今それが図らずも破られてしまった。 気付かなかったとはいえ、騙されたとはいえ、自らその戒律を冒してしまったのだ。
以前、セレンの件を巡って季人とウィルは自らキルゾーンへと踏み込んだことがあった。 その時は季人本人の性分と、セレンの身辺を知り過ぎた事による過干渉の結果起こった事。 つまりワールドアパートとしてではなく、個人として行ったものだった。 今回は、明らかにそれとは違う。
そこまで考えて、季人は一度目を瞑って頭を振り、話を進めることにした。 それが、自分達の事も、ロズベルグ家としての立ち回りもより明確にする事だと思ったからだ。 だから一息ついて先を進めることにした
「しかし、どうしてアンティキティラ・デバイスなんて名前なんだ? 確か本家の歯車は、天体観測機器だったはずだろ。 共通点は観測機器ってところくらいじゃないか」
デバイス、装置と呼称する意味。 時を測る以外の目的を内蔵されたコンプリケーションの価値を知りたい季人に、カバーリは頷いて説明を始めた。
「いえ、そもそもアンティキティラ・ギアは、様々な用途の物が存在しているのです。 世に言われている天体観測用の物はそのうちの一つにすぎません。 アンティキティラ・デバイスは、その中でもより量子的な事象を観測する事に特化した物を呼称します」
「量子的な事象を観測?」
『エヴェレット多世界解釈を観測できるものと思えばいいよ』
「……それ凄すぎない?」
エヴェレットの多世界解釈。
ヒュー・エヴェレット提唱した定理を元に発表された多世界解釈の一つ。
現代でも未だに賛否が議論されている議題ではあるが、一行で表すとすれば、決して触れあうことのない相対状態の平行世界は存在し、それを主観的世界から観測することは不可能であるという定理だ。
確かに現在いる世界の分子よりも薄い次元の壁を越えた先に別の世界が存在していたとしても、それを見ることも出来なければ触ることも出来ない。
それを可能とする装置……それがなのだと言う。
SF界、オカルト界の金字塔である未来や過去へ行けるタイムマシンや、現行世界の時間軸どころか別の世界へと繋がるポータル。
空想上の物でしかなかった、しかし誰もが焦がれた別世界への導線装置。
それが、この世界に存在する。 その意味を季人は静かに、誰にも興奮を悟られない様に胸の内へ落とし込んだ。
「我々キャビノチェは、代々その製法と用途、目的を受け継いできました。 今現存する継承者は片手で数える程度ですが……」とカバーリが言う。
「……それが消されたとなると、これ以降は作れる奴がいないってことなのか?」
「真に迫る事は出来ると思いますが……おっしゃる通り、直ぐには無理でしょう。 後続を育てるにしても、現状では引退した前任者に任せるしかない。 それでもやはり後継を育てる必要があるのですが、それにも長い年月がかかります。 それも十年単位での事です」
季人の問いに答えたカバーリの話しは当然であるだろう。 別段疑問には思わない。 職人の世界と言うのは、常人には想像もできない継承過程が存在するものだ。
職によって千差万別のやり方ではあるだろうが、それが生半可な覚悟で出来るはずも無く、それだけの思いを乗せたとしても、時間は途方もなく必要なはずだ。
「それもなんと言うか、やりきれないな……」
それだけ時間を掛けて次代を育てても、奪われるときは一瞬である。
他者の悪意には、どれだけ対策を立てたとしてもそれを上回る力の行使には抗えない。
狙いに指向性がある分、不運の一言では済ませる事が出来ないが、完璧な対策というのも、やはり難しいものなのだ。
「ええ、秘匿の為に継承者を厳選するのですが、こういった事態に陥るとそこで途絶えてしまうのが難点ではあります」
そうだ。 継承者を育てる以前に、その候補者の選別から始まるのだから、ますます此度の件はやりきれないだろう。
「現にこうして事態が起こってしまった以上、もうこれまでと同じというわけにはいかないな」
「ごもっともです。 現在は残ったキャビノチェ達にはいっそうの注意を喚起しています」
それがどこまで機能するのか……おそらくカバーリ自身も図りきれないだろう。 しかし、今はそれが最良であり最短で対応できる手段だろう。
『ちなみにミセス、一ついいかな。 その時計は、それぞれが同じ働きをするのかい? それとも、各自が別々の要素を持っているのかな?』
「ん? ウィルは知ってるんじゃないのか?」
『いや、確かに僕は次元観測装置として解析アプローチをしたとは言っても、実働させたわけじゃないからね。 それに、僕が調べたのは三つの内の一つだけだったし、それもレプリカだったみたいだからさ』
全体を構成する物の一つだとしても、歯車一つとってしても形や大きさは様々だ。 それこそ、トルクの増減からベクトルの変化など、同種を使ったとしても用途まで違う。
そして、完成されたと思しきカルディアには、世界三大超絶機構と名高い懐中時計が全て組み込まれている。
ウィルが問うた事だったが、改めて季人も興味津々となった。
「分かりやすく説明しますと、その三つはデカルト座標系の関係性に似ています」
「……ウィル?」
『三次元の直交座標系の事だよ。 えぇっと、X軸、Y軸、Z軸って言えば想像しやすいんじゃない』
「あ、なるほど、OK」
ウィルの説明に、季人は何となくではあったが理解を示した。
縦と横、そして+αによってより精密な観測と表現を可能とし、その+αに該当するものがその時々で大きな意味をもたらす。 現在の空間を表現する場合、そのZ軸に当たる+αには奥域というワードが当てはまる。
カバーリはそのデカルト座標系に該当する各々の懐中時計の説明を一つ一つ行っていく。
「ミニッツリピーターは現在を観測し、パーペチュアルカレンダーは過去と未来を観測し、トゥールビヨンは空間座標を観測します。 それぞれその技法は現行の作製法と同じだと思われがちですが、アンティキティラ・デバイスとなると話は変わります。 各キャビノチェにしか伝わらない技法も存在しているので、完全な再現は難しい。 そして、作り手にはその僅かな差異まで判別できます。 だから水越様たちに渡された物が偽物だとわかったのです」
あらゆる分野において、道を極めた者でなくても自分の癖というものは主観的にも客観的にも分かる場合がある。 それは運動であった、歌であったり、プログラミングで合ったりと例外はなく、そして自分だからこそその特色というのに敏感であったりもする。
それが職人芸ともなれば、自分から切り離された体の一部の如く、隅々まで熟知していることは珍しくも無い。 つまり、見る人が見れば、その真偽のほどなど簡単に見分けがついてしまうというわけだ。
「少し長くなりましたね。 ゼリアス、皆様にお茶をお出しして」
「かしこまりました」
話しとしてまだ長くなりそうだったことを見越して、カバーリは来客者である季人に休息をあてがった。