201
目を開けた瞬間。 自分の家ではない事が直ぐに見て取れた。 それはまるで現代より二、三百年ほど遡り、北欧へと緯度経度を東にスライドさせた地を連想させる内装だ。 高そうな調度品に真っ赤なカーペット。 天井からはシャンデリアまでぶら下がり、壁には西洋風の絵画が並べてたてかけてある。
変わらないのは部屋に居た時のままの服装をしている自分だけ。 そんな自分だけが場所を移動したみたいだと季人は視線を彼方此方へと忙しなく動かしていた。
「初めまして水越様。 ようこそロズベルグ邸へ」
声のした方に目を向けると、部屋の窓際に燕尾服を着た初老の男性が直立不動で立っていた。
それを見ただけで、季人の頭の中であのお嬢様の関係者だと、即座に関連付けが行われた。
「気絶させられたことは前にも一度会ったけど、拉致されたのはこれが初めてだ」
捉えたものに対しての扱いにも流儀があるのか、手枷といった類は嵌められていない。
季人が座らされている椅子も、華美な装飾は無いものの、それなりに上質な物であることが座り心地と撫でるだけで分かった。
「手荒な真似をして申し訳ありません。 何分時間も余裕も無かったので、強行手段をとらせていただきました」
拘束していた少女に乱暴でも働くと思われたのか。 それとも、お嬢様と同じで、それだけ事態が切迫していたからということなのか。 どちらにしても……。
「何て言うか……あんた達は少しせっかち過ぎるような気がするな」
執事は「仰る通りです」と頭を下げる。
どうにも馬耳東風というか、リアクションに困る対応だ。
「話はどこまでお聞きになりましたか?」
「どこまでも何も、触りの部分しか聞いてない。 確信に迫ろうとしたところで、スモークグレネードを投げこまれたんだよ」
映像などで見た事はあるが、本当にあそこまで視界が利かなくなるのかと、半分は感心した。
その後、恐らく薬品を使われたのか、首元に刺激を受けたと思った瞬間、意識が無くなった。
確か、その意識の切れ間に見たのが、今目の前に居る執事だったはずだ。
「左様でしたか。 申し遅れましたが、私は当家に御使いしているゼリアス・ヒュルケンベルクと申します」
お辞儀一つとっても絵になる。 頭の天辺から爪先まで、純度の高い執事であると、一目でわかる。
それだけ、使える主の事も、今の自分の立場も誇りに思っているのだ。
例のお嬢様の事もそうだが、執事でさえもここまでステレオタイプだと、自分がタイムスリップでもしたかのような錯覚を覚える。
ただ、いつまでもそんな映画の中に居るわけにもいかないのも確かだった。
「電話を一本いいかな。 弁護士に電話したい」
とりあえず、テンプレートを口にする。
「それは出来ません。 その弁護士の方が危険にさらされます」
当然却下される。 ただ、危険にさらされるというワードだけ引っかかりもしたが……。
「いや、まぁ冗談だけどさ。 なら友人に……」
「なりません。 ご友人にも危害が及びます」
自分は一体どれだけの事に首を突っ込んでいるんだと肩を落としつつも、内心では高揚感が沸々と湧き上がってくる。
「……物騒な話だ。 それじゃあ、今の俺が行使できる権利はなんだ?」
ともかく、八方ふさがりであるということは理解できた。 記憶が途切れるまでは拘束していた側なのに、現在は逆の立場と言う急転直下の身の上変化は中々味わえるものではないが、それでも今の自分に許される事があるのなら聞いておくに越した事は無い。
「お飲物でもお持ちいたしましょうか?」
「いや、それ以外で」
「誰かに今の状況を知らせるという事以外でしたら、大抵は大丈夫です」
思ったよりも自身に許されている自由度は高そうだ。
季人は意外に思いつつ、現状の待遇から鑑みるにそういう可能性もあると米粒くらいの可能性として思っていた。 まさか本当にただ歓待されているとは思ってもいない。 だが、それならそれで好都合。
「なら、質問させてくれ。 どうして、俺があれを持っていると?」
グーグルで検索でもかけたか? そう続けようとしたところで、荘厳な部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「それは私から説明しましょう」
視線をそちらに向ければ、上流階級の貴族が着ている様な、装飾が派手すぎず、しかし気品を感じさせるアメジスト色のドレスに身を包んだ妙齢ご婦人が入室してきた。
ダヴィンチの絵画にでも出てきそうなその女性と、後に続いては言ってきたのは、既に顔見知りと言って差し支えないお嬢様。 二人は優雅な足取りで歩を進め、季人の据わっている椅子の対面に距離を置いて止まった。
「……俺って今相当場違いな空気出してないか? こういうところって、ドレスコードとか無いよな?」
季人は自分の今の姿を改めて確認する。
自分がベッドで横になっていた時と全く変わっていない。 上下ともにスウェットのままだ。
「初めまして、水越様。 私はカバーリ・ロズベルグ。 ロズベルグ財団の当主です」
カバーリが「よろしくお願いします」と頭を下げるのにあわせ、季人は「ども」と会釈をする。 誰かと思えばいきなり此度のトップと思われる者の登場に、季人は多少面喰っている。
「この度はマリアンがご迷惑をお掛けした様で、大変申し訳ありませんでした」
カバーリと名のったご婦人が頭を下げ、それに倣うようにして、隣にいた少女も頭を下げた。
「……マリアン・ロズベルグ、です」
やや俯き、視線を合わせないようにしたまま頭を下げるマリアン。 その表情は陰りを見せていたが、それでも整った顔立ちをしていると思わせるのは、やはりそれを補って余りある令嬢という演出が利いているせいかもしれない。
「ようやく名前が聞けたな。 女性らしくも気品のある、いい名前じゃないか。 ますますここが16世紀あたりなんじゃないかと思えてくる」
それは皮肉でもなんでもなく、季人の本心。
「申し訳ございません。 我々を知る事が、水越様にとって危険だと判断したためでしょう。 どうかご容赦ください。 それと、この娘の事はマリアンと」
取りあえず、俺の名前は既に知ってるんだなと季人は独り言ちた。 次いで、年頃のレディにいきなり呼び捨てはどうかと思った季人だったが、御党首の顔色と、そのことに対して特に異論を挟もうとしないマリアンの様子を見て、それならばと承服する。
「まぁ、テラスの時もマリアンから似たようなことを聞いたな。 名を明かすことが危険につながるって。 だが、その後で男の寝所に忍び込むってのは、危険じゃないのか? それとも、淑女の嗜みなのかな?」
おどける様に言ったその言葉に一瞬、カバーリの表情が引きつり、それと同時にピシッと氷が軋む様な音が季人には聞こえたような気がした。
「……マリアン?」
ビクッと肩をすくませ、「あ、あの……」とゼリアスへと目配せをするマリアン。
どうにか便宜を図ってもらいたそうだったその思いは、カバーリにぴしゃりと咎められる。
「ゼリアスに助けをこおうとしてもダメです。 今の話は本当ですか?」
鉄の響きを持ったカバーリの追及。
「は、はい……」
マリアンはシュンと俯き、強制的にも近い自供が成された。
「貞操観念をこの場で説く気はありませんが、あなたはもう少し、次期党首としての自覚をお持ちになりなさい」
「で、ですが……」と食い下がろうとするマリアン。
しかし、それは当然ながら許されるような雰囲気ではなかった。
「で、す、が?」
カバーリは笑顔のままだったが、聞き返す声の調子は微笑ましさからは程遠い。
「な、何でもありません……」
有無を言わせないカバーリの迫力に、マリアンは押し黙るしかない。 これが現当主の貫録であり、長年の付き合いからくる上下関係という奴だろうかと、季人は面白く感じていた。
「御見苦しい所をお見せいたしました。 私の教育不足です」
申し訳なさそうに目を瞑って項垂れるカバーリだったが、むしろよく行き届いているように思えた季人は苦笑しながら首を横に振る。
「いや、ようやく年相応らしいところが見れたなと思ったよ。 まぁ、マリアンにとってはそれだけ切羽詰ってたってことだろ」
だからと言うわけでは無いが、マリアンに対するさり気ないフォローを入れておいた。
「お察しいただけて幸いです」
「というか、あれだ、あんた達は俺のことをご存知だったみたいだけど、 まさか自宅まで把握されてるとは思わなかったぜ」
セキュリティーレベルの高い季人とセレンのマンションだったが、マリアンには易々と侵入されてしまった。 それ以前に、ウィルによって役所に記録されてある住民登録票には、表向き二人の名前は記載されていない。 その一番の理由はセレンの身の安全を確保するためだが、この程度の情報はその辺の探偵でさえ突き止める事が出来る範囲だ。
だから、問題なのはその突き止められるための理由だ。 マリオンはあの時計が自分達の物だと言っていた。 その真偽は今でも定かではないが、実際御付きを引き連れて彼女は季人に迫ってきたし、例え失敗してもその日の内に再び……今度は単独で自らがやってきた。 言うなれば、敵陣の真っただ中にだ。 そこまでやるからには、確かな目的と譲る事の出来ない意志力が必要となる。 マリアンにとって、その価値があの時計にはあるという事になるが、しかし、あそこまで強硬策に出る必要性がある物なのか未だに疑問が残る。
資産的価値があるのは承知しているが、財力に不満がなさそうな彼女にはどう考えてもその目的にはつながらない。
「はい。 水越様の事は存じ上げております。 インターネットを媒体に活動していらっしゃる、ワールドアパートの責任者であられることも」
「お、マジで? ちゃんと見てくれた? 中々よくできてるだろ」
そこのところは、運営責任者としてはぜひとも気になるところだった。 大体サイトに訪問する人間はその道に関心がある者が殆どであり、あとは面白い検証作業に興味を持ったネットサーファーが訪問してくる場合が殆どだ。 しかし季人としては、SFやオカルトに興味がなさそうな人々にこそ見てもらい、その反応を直接聞きたいと思っていた。
「はい。 とても良く考察されており、感服いたしました。 その成果が評価され、現在ではその検証結果の利用権から報酬を得たり、様々な機関から調査目的の依頼を受けていることも存じております」
現在のワールドアパートの運営資金や季人とウィルの生活費は、スポンサーであるセレンの音楽活動による援助が大部分を占めているが、いつまでもその体制を続けることは大人の矜持として面白くない。 よって、以前より続く臨時報酬を得られるルート《依頼先》は残してある。 それが結果的に、今回のアンティキティラ・デバイスの件に繋がったのだ。
「でも、本当に存じ上げているっていうのは、正確には俺の事というより、俺たちが所有していたケースの中身だろ。 マリアンの話じゃ、もともとそちらの物だという話しだし、その辺を詳しく聞きたいね」
踏み出すのは季人の方から。 この現状を引き起こす事となったアンティキティラ・デバイスの事を知らない限り、理解は先に進まない。
「仰る通り、私たちにとっては水越様がお持ちであった懐中時計が目的であり、水越様の事を知ったのはあくまで副次的なものでした。 まずは、その事情からお話いたします……ん?」
その時、室内に備え付けれれたアンティークと見間違うほど豪奢な電話からベルが鳴り響く。
しかし、執事であるゼリアスも、御党首のカバーリも、令嬢であるマリアンも、誰一人その電話を取ろうとしない。 その様子が気になる季人だったが、当然自分が電話に出るわけにも行かず、ただじっとしているしかない。
「カバーリ様」
執事のゼリアスがカバーリに伺いをたてる。
「構いません。 スピーカーに繋ぎなさい」
「かしこまりました」
ゼリアスは受話器を持ち上げるのではなく、その下の台座にあるボタンを操作した。
『初めましてロズベルグ財閥の皆様。 僕はウィリアム・フレイザー。 どうやら僕のところのリーダーがそちらにお邪魔しているみたいだね』
若干の驚きに目を見開く季人。 それはほぼ毎日聞いている聞きなれた声。 何とも緊張感に欠けるその声は、まるで日常会話をするような抑揚でスピーカーから流れてきた。