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「さて、それじゃあどうする。 お互い数時間前に顔は合わせたんだ。 初めは趣味の話からでもするか?」
季人とセレンが住んでいるマンションのリビング。 その中央で椅子に座らされ、後ろ手に縛られている少女は、しかし何も語らない。 ただ俯いて、黙秘を貫いている。
「それともいきなり警察コースか? まぁ俺としてはこれは避けたい」
なんせ生まれて初めて強盗なんて入られたんだから。 そう思っての事だったが、それを言うこと相手の混乱を招きそうだと思い、季人は言葉にはしなかった。
――さらにその真意が、滅多にない興奮する出来事だから……。
そんな正気を疑われてもおかしくない季人の性分からくるものだからなおさらだ。
だから季人は、「あのテラスを含めたら、二度目の略取にあったわけだからな。 こんな事、早々ないって思わないか? 俺は運命を感じるね」と言って、あくまで体裁の上での理由を挙げた。
正直、これも嘘ではない。 単身こんな所にお嬢様が乗り込んでくるのにはそれなりの理由があるだろうし、これは男としての弱みでもあるのだろうが、その少女が単純に美人であった事も少なからず含まれる。
物音一つしない無音のリビング。 季人は腕を組み、じっと少女の動向を伺う。
「……貴殿が今持っている時計は、正当な経緯でこの場にある物ではないのです」
ようやく口を開いて出てきた少女の言葉。 それがこの家に……季人の部屋に忍び込んだ理由らしい。
「その経緯っていうのが、どの辺から始まっているものなのかは分らないが、俺達はこれをあくまで調査目的で預かっているだけだ。 正式な契約の下でな。 まぁアンフェアな方法で奪われそうになったが」
「それは……」
テラスでの一軒。 まさに有無を言わせぬ強硬手段を取ろうとしていた身としては耳が痛かろう。 恐らく、少女の中ではほぼ間違いなく時計を奪う事が出来ると思っていたはずだ。 しかし、結果そうはならなかった。 加えて、今でもあの時に自分達の身に何が起こったか理解できていない可能性がある。
「……」
黙したまま、顔を伏せる少女。
もしかしたら、今でも頭の中でその時の事が思い起こされているのかもしれない。
それも当然だろう。 季人の手にしたスマートフォンから音楽が流れた途端に四肢の自由が利かなくなれば、普通なら動揺を通り越して恐怖が生まれる。
だが、彼女は今ここに居る。 再び同じ事になるかもしれないと思っていても、たった一人で時計を奪いに来た。
そう決断させた真意を、季人は知りたかった。
「どうした、舌でも噛んだか?」
少女は顔を上げる。 しかし、季人をじっと見据えたまま喋らない。
「まぁ尋問してるような形だが、そう構えるな。 こう見えて俺は狭量でもなければ偏狭でもない。 むしろかなり寛容な部類だと思う。 相手が女性ともなれば尚更だ」
「……普通は口でそう言っている方ほど信用ならないものですわ」
この状況下で普通を語る少女を季人は若干愉快に思ったが、なんとか笑わずに済んだ。
「まぁ……おっしゃる通り」
それにどうやら、時代錯誤の箱入り娘かと思っていたが、なかなかどうして、俗世の事情にも詳しいようだ。
「だけど、そっちの持ってる持ち札を切らないままだと、テーブルが停滞する。 それこそ時間の無駄だろ。 それとも、そっちの手の内はデットマンズ・ハンドなのか?」
西部開拓時代、保安官であるビルと言う男がポーカーを興じている時に背後から撃たれた。 その時ビルの手札が、エースと8のツーペアだったことから、その組み合わせの事を今では“デッドマンズ・ハンド”と呼ばれている。
つまり、既に手の内にある……彼女の抱えている問題そのものが、危険極まりない事態だという事なのかと、季人は聞いたのだ。
その意味が伝わったのかそうでないのかは分らないが、少女は顔を伏せたまま言った。
「……時計」
ぽつり、と少女は呟く。
「ん?」
「貴殿が受け取った時計。 あれは元々私達の物なのです。 だから、返して頂きたいのです」
また一つ、話が進展した。 それが方便であれ真実であれ、季人にとってはありがたい事だ。
「へぇ。 あんたの時計か。 そいつは知らなかった。 どこを見ても名前らしいものは書いていなかったしな」
「……っ。 本当なのです!!」
初めての感情の発露。 それだけ、必死だという事なのか。
季人は宥めるために腕組みを解く。
「落ち着け。 別に頭から疑っているわけじゃない。 そういう可能性もあるだろうとは、思うよ」
「でしたら……っ」
「けどな、この時計は今でこそ俺の手元にあるが、正確には俺達の所有物じゃない。 預かりものなんだ。 どっかでそれを聞きつけたんだろうから、当然君も分ってるんだろ? それを、何の確証も裏も取れない状況で渡すことが出来ると思うか?」
いくら自分がワールドアパートの責任者でも、季人にそんなこはとできない。
少なくともこの懐中時計の貸出は正式な契約の下で行われたものだ。 数時間前に初めて出会った少女に気軽にほいっと渡すことなど、出来るわけが無い。
ただ季人は「いや、そういう展開も、僅かにそそられるものがあるが……」と自分にしか聞こえない程度の小声で呟いた。
「……ええ、当然、そんな事は出来ませんわね」
世間知らずと言うわけでもない。 一般教養レベルの常識は持ち合わせている。 いや、恐らくそれ以上に学があるだろう。 だが……そこまでしても欲しい理由が、少女にはあるという事か。
「まぁ、だからこうして強硬策に出たんだしな」
「悔しいですが、その通りです」
そこまでしてこの時計に執着する理由。 もちろん、この懐中時計が特殊なつくりであり、高価な物だということは分っている。 ウィルから受けた説明、自分で調べた情報を鑑みても、納得のできる価値が、これには備わっている。
アンティキティラ島の機械は、モナリザ以上の価値があるとまで言われたこともあるオーパーツ。 その失われたはずの技法を用いて作成されたこの懐中時計の秘密をしれば、値段をつける事などそもそも出来ないだろう。。
世間に発表すれば、さらにその価値は上がること必定。 場合によっては、天井知らずな値が付くかもしれない。
しかし、少なくとも季人の目の前に居るお嬢様には、金目目的という理由は当てはまらないだろう。 なにしろ、どっからどう見ても金には困っていないという雰囲気がひしひしと伝わってくるのだから。
ならば本当に、ただ自分達の時計を取り返しに来たという理由なのか。 もしくはその両方――彼女たちが本来の持ち主であり、なおかつアンティキティラ・デバイスの秘密を知っているという事なのか……。
少女に目を向けながら考えを続けていた季人の思考を打ち切らせたのは、この場に居ない第三者の介入だった。
――ピンポーン
インターホンが鳴る。 玄関の方に一瞬目をやる季人。
現在の時刻は既に短針が天辺を過ぎたところ。 加えて、その様な深夜に来客の予定は入っていない。
「それでも、かろうじて私たちが上を行きました」
ベランダの窓ガラスが割れ、空き缶のような物が飛び込んできた。
「……っ」
それが手榴弾のような形をしていると季人が認識した瞬間、傍で驚いた顔のまま立ち尽くしているセレンの肩を掴み、近くの部屋に突き飛ばした。
「きゃ……!?」
そして即座に扉を閉め、声を張り上げる。
「セレン、ウィルに連絡を!! っぐ……」
部屋中に充満する煙。
同時に人の気配をいくつも感じる。
一呼吸しただけで急速に意識を持っていかれそうになったが、それでも気を張り、真っ白な視界の中で扉の前を死守しようとする季人。
「誰……だ……」
その問いに対しての返答は無く、季人はものの数秒で意識を失った。




