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眠れない夜のための音楽  作者: 枯枝折子
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小鳥とか杜の蝶とか、いわれても 3





 そもそも。そもそものことだ。

 セシルは十四歳。

 思春期も真っただ中の少女なのだということを看過してほしい。

 それゆえの放言だと加味して聞いてほしい。

 

 ――――自分が両親の不始末の末、できた子供だと知ってしまったら。

 

 そう。セシルは知ってしまった。知ってしまったのだ。

 そして、両親に対して、この上ない嫌悪感をもって対立している、そのさ中である。

 イルーフ学院は全寮制寄宿学校。

 週末でもなければ、少女たちは後見家庭へ帰宅などしない。

 居心地のいい楽園、まるで理想郷そのもののシェルターに、セシルがひとかたならぬ依存心を持ってしまったとして、それはセシルだけの責任ではないはずだ。


 そもそも。そもそものことだ。

 あの両親のことだから、とセシルは意地悪く思う。

 年頃になった娘がこうなることを見越してイルーフの杜に送り込んだのでは、とどうしても勘ぐってしまうのだ。

 もう十年も前から、いずれ自分たちの娘がこうなってしまうと見通して、とセシルは思ってしまうのだ。

 なぜセシルが、学芸院女子部ではなく、イルーフ女学院にいるのか。問題はそこだ。

 イルーフは深い森の中。杜の中だけの楽園を形成する、閉ざされた空間。



 有名な恋の逸話がある。

 ニーベルジュールの国民なら、とくに王都ガルクの市民なら、町屋の子供でも知っているようなロマンチックな恋の悲喜劇だ。

 オペラにもバレエにも、舞台演劇にもなった。

 シシーとジェラルドの『百一夜』。

 双方の親も反対して反対して、到底叶いそうにない難しい恋。


 海辺の町で出会ったシシーとジェラルドは一目惚れ同士で恋に落ち、戦火が迫る中、思いを遂げようと必死になる。

 ジェラルドは海軍将校であり、出征から戻ったら結婚しようと言い残し、やがて片脚をなくして帰還する。

 戦争犠牲者のひとりとして、ジェラルドは戻った。

 シシーはまだ学生。そして片脚を喪ったジェラルド。

 二人の恋に、結婚に、シシーの父親とジェラルドの母親は猛烈な反対をする。


 両家には、ある種の確執のようなものがある。

 元は両家の仲は良好だったのだが、シシーの父親は、昔の戦役で部下であったジェラルドの父親の命を失わせる原因を作ったことを悔いていた。

 まるで、かつての部下の姿にジェラルドが重なり平静でいられない。

 罪悪感ゆえにシシーの父親は、夫の死の原因であるシシーの父親を忌避するジェラルドの母親もまた二人の結婚には反対する。

 ジェラルドは母親にとってたった一人で育て上げた亡き夫の忘れ形見。

 まだ学生身分のシシーには、脚を喪ったジェラルドとの結婚は難しいと姑根性をフル回転させて挨拶すら許さない。


 それで、愛し合う二人は百一夜にわたって王宮に通い、国王陛下の許しを請うのだ。

 

 国王さえ頷けば、結婚は許されるに違いないと、王宮全体を騒動に巻き込む、公爵令嬢のシシーと、侯爵位を持つジェラルド。

 二人の真剣な訴えを百一夜にわたって聞き続けた国王陛下は、両家の反対の声をそれぞれに聞きながらも、ついに百一夜目にとうとう根負けして二人に結婚の許しを与える。

 両家の親たちはめいめいに不満を口にするけれど、それでも熱烈恋愛中の二人は陛下の許しの翌日には教会聖堂に駆け込み、二人だけの結婚式を敢行してしまう。

 そして大団円。フィナーレ。

 街中の人々に祝福されて二人は一緒になる。

 ――――そんな二人の恋愛の悲喜こもごも。



 セシルだって、わけもわからず夏の音楽祭で桟敷席から三度観た。

 二人の『百一夜』は夏の夜の出来事。夏に開催される音楽祭では人気の演目なのだ。

 それはオペラだったり、バレエだったりした。――――そして気がついた。


 このシシーとジェラルドは、もしかして。

 私のママとパパなのでは?


 セシルの父は、ジェラルドという。

 ここはイルーフの杜だから、両親の話なんてご法度。もちろん知ってる。当然、お友達にだって話さない。

 セシルの母は、エリザベスという。愛称はシシー。

 まるで『百一夜』の主人公たちみたいでしょうなんて、誰にも打ち明けたことなんてない。

 放校処分の対象になってしまうから。

 

 セシルの父は侯爵位にある。ドリュー侯爵。父親を昔の戦役で喪って若くして爵位を継承した。

 今は海軍府に軍籍のある幕僚。そして、片脚は義足だ。

 セシルの母は、公爵令嬢。父親は公爵位にあり、自身も母系のシンクレア女公爵位にある。


 どれほどの偶然が重なって、そんなシシーとジェラルドが結婚するものだろう。

 そして、恋物語『百一夜』の初演は、わずか十年と少し前。

 ドリュー侯爵領は海辺の町をいくつも抱える領。王国直轄地の軍港だってある。

 そして、シンクレア女公の別荘もある。

 セシルもかつて何度も夏の保養で訪れたことがある。


 『百一夜』の公爵令嬢シシーも、夏の静養のため海辺の別荘に出かけて『百一夜』の海軍将校、侯爵ジェラルドに出会うのだ。

 そして、セシルのママのパパ、お祖父様とセシルのパパのママ、お婆様は大層仲が悪い。

 遺恨どころか、家風や家業の在り方まで、両極を行くような両家だ。

 そんな二人と、母シシーと父ジェラルド。

 バレエもオペラも初演はたった十年と少し前。舞台演劇はもっと後。


 まさか、『百一夜』の主人公が自分の両親だなんて、そんなわけある?

 否定できる材料がセシルにはない。そしてある時、母の弟である叔父様に訊ねたことがある。


「『百一夜』の『シシーとジェラルド』は、私のママとパパなの?」

  

 セシルの叔父様は、否定しなかった。

 それどころかやっと気がついたのかとでも言いたげに、満足そうだった。

 いたずらがばれて安心した、子供みたいな表情に、セシルは察した。

 あの『シシーとジェラルド』はセシルののママとパパなのだ。


 思春期を兆したセシルの頬にはその時きっと朱が走った。

 だって、あの時、セシルの頬はかっとなった。

 

 ――――恥ずかしい! あんな身勝手なジェラルドとシシーが、王宮まで巻き込んだ恋愛物語の主人公が、私のパパとママだなんて!

 だからお祖父様とお婆様は、いつまでたってもあんなに仲が悪いんだ。

 会えばいつも大揉めに揉めて収拾がつかなくなるんだ。

 だって『百一夜』の仲が悪い舅と姑なんだもの!

 別々にいれば優しくてなんでもご存知で大好きな二人が、仲が悪いのはパパとママのせい。

 シシーとジェラルドが『百一夜』したせい!


 最後にセシルが『百一夜』のオペラを見たのは王立劇場の桟敷席からだった。

 朗々とジェラルドの帰りを待つシシーのアリアを歌いあげる、母とは似ても似つかないふくよかなプリマにオペラグラスを投げつけた。

 セシルは両親とお着きの侍女たちによって桟敷から退場させられた。

 苦々しい思い出だ。


 セシルが、『百一夜』や『シシーとジェラルド』を、ひいては父と母を嫌うのはそんな理由だ。

 国王陛下や王宮まで巻き込んだ、見苦しいほどの大恋愛、その末に産まれたのが私!

 セシルには耐えられない。身勝手極まりない、父と母の娘でいることが。

 だからこそ、毎週末いろいろな理由をつけて、帰宅を回避し続けていたのだ。

 知ってしまったから。

 この一年は!

 

 だって後見家庭にはシシーとジェラルドがいるんだもの!

 杜の中の方が安全で穏やかで健やかでいられるんだもの!

 あの後見家庭はきっと子供の成長によくない場所だもの!


 セシルには理由がある。れっきとした、理由があるのだ。

 

 その理由さえ一顧だにされなかった。学院長。ヘイゲン教授。

「お婆様も、ルー様も、嫌いよ!」

 ぐずぐずとぐずるセシルの心は、だからいつまでたっても癒されない。

 それに家には、もらわれっ子の従兄や食客や書生が大勢いる。ちっともくつろげない場所なのだ。

「パパもママも、ローガンも大っ嫌いよ! お客さんたちもよ! みんな嫌いよ! 大っ嫌い!!」

 杜の中、セシルの絶叫は誰にも聞こえない。いつも神出鬼没の監督生も、ここには現れなかった。

 

 誰にも言えるわけがない。

 自分がシシーとジェラルドの娘だなんて、馬鹿みたいな話。

 それがセシルが『リーヴィー』として胸の内に形成した核の中心にほかならず、セシルの最大の秘密ごとの一つだった。

 

 セシルの父はドリュー侯爵ジェラルド。海軍府の幕僚長。次の海軍大臣候補、義足のジェラルド。

 彼は『あのジェラルド』。

 セシルの母はシンクレア女公爵エリザベス。法学教授で、王立学芸院で教えている。

 シンクレア教授と呼ばれる人がもう一人いるから、ドリュー教授と呼ばれているそうだ。既婚女性が夫の姓を名乗るのはごく普通のこと。

 でも彼女は『あのシシー』に他ならない。

 

 セシルはそんな二人のたった一人の娘。馬鹿げてる。

 放校覚悟で話したとしたって、誰も信じてくれないような話だけど、事実だ。

 セシルはあの『シシーとジェラルド』の一人娘。

 血が繋がっている。事実は変えられない。

 事実だから、笑えない。

 笑えないから、避けるしかないのに。今週末は帰宅しなければならない。『後見家庭』へ。


「もう! 信じらんない!」


 だからセシルは絶叫する。

 誰にも聞こえない場所で、誰にも聞こえないように大声で叫ぶ。

 明日の放課後には、後見家庭へ帰らなければならないのだ。

 だって、寮から寮監先生に追い出されてしまうから。

「恨みますからね、聖フリーダ!」

 何の罪もない聖人にさえ悪態をついてしまうほど、その日セシルは怒っていた。

 寮に戻っても、エルや同級の子たちに口説いた。

「罰は来週に持ち越されたわ! 週末に終わらせたかったのに!」

 

 セシルの、『リーヴィー』の、うっぷん晴らしにつき合わされた彼女たちは実に気の毒だと思う。

 けれど、温情は欲しい。なにしろセシルはまだ、十四歳の小娘に過ぎないのだ。

 世の中の仕組みになど、盲目だったのだから。

 社会や世界がどうやって回っているかなんて、想像もできない。

 幼なびたひとりの少女に、過ぎないのだから。

 

 少女たちは、真深き森の中にいて新しい知識に飢えている。

 少女たちはの魂は、ひたむきで高潔。一途で、美しい。


 とんでもない。セシルだけは違った。

ひたむきでもなければ、高潔だなんてとても言い切れない、そんな少女が一途で美しいわけがない。

 イルーフの杜の『リーヴィー』。

 

 セシル・リヴィエラ・イドラ・イングリッド・シンクレア=ドリュー。

 侯爵令嬢にして女公爵令嬢。やがて母系から二つの爵位を受け継ぐ者。

 でも今現在、少女はその高邁なはずの貴族子女としての意識は低く、社会や世界について広く無知だった。


 やがて思い知るその時が来るまでは、少女は少女のままだ。

 世界を知らぬ小鳥、大空を知らぬ蝶のままでセシルは一向に構わない。

 

 ――――けれど、世界はそれを許さない。

 少女が少女のままでいることを、世界は決して許さない。


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