#8 敗者と弱者
神崎 昭が抱えるトラウマとは。
※今回は三人称視点で進んでいきます。
「──神崎 昭です。よろしく、お願いします。」
今からおよそ3年前の事。
市立 御波中学ソフトテニス部に、
神崎を含めた15人の新入生が新たに加わった。
「あれ、あきらじゃん。来てくれたんだ。」
「何なに、啓司の知り合い?」
「おう、ちょっとな。」
久し振りに会った谷川 啓司は小学生の頃よりだいぶ背が伸びていた
主将が小学生の頃から仲の良い啓司だったこともあり、一部の3年生からは可愛がってもらえた神崎はしかしながら、同級生や2年の先輩から好かれるような人物では決してなかった。
更にその原因はそれだけではなく、神崎の他とは卓越した能力にも関係している。
「おい、そんなんじゃボレーの練習にならねえって!」
中学最後の大会が迫り、ピリピリとした緊張感の中で3年生の佐々川が2年生に怒鳴る。
試合に出られる者だけが練習に参加でき、他のものはボレー練習のための球出しかボール拾いをするという運動部では当たり前の光景の中に1人、1年生にも関わらず既に"レギュラー"として練習に参加する異端の者がいた。
その人物こそ神崎 昭である。
「佐々川先輩。あの、僕が球出しします…」
「ああ──、…いや。神崎はいいよ。お前にこそボレー磨いてもらいたいから。」
「……はい。」
超攻撃型前衛プレーヤー。
以前からラケットに触れる機会はあったものの入部してまもなくしてフラットはもちろん、アンダーカット、バックカット、ショルダーカットのサーブを全て身につけるという超人的な能力を他に見せつけた。
もちろんそれは、基本という土台を築いた上で、である。
広範囲のボレーやスマッシュの威力の向上スピードも相当なものであった。
前衛選手の勢力がなかなか強化できない中、神崎ほど貴重な人材は居なかったし、故にそれほど顧問やレギュラーの先輩には重宝されたのだった。
しかしそれを良しとしない者も当然出てくるわけで、部活中に神崎に積極的に話しかける同級生はまずいない。ペアが主将の啓司だというから近寄り難いという事もあったのかもしれないが、2年生にはまず毛嫌いされた。
少なくとも1年以上は長くテニス部としてやってきて、培ったものもが、一瞬で、しかも入ってきて半年も経たぬヤツに抜かれるのだから当然の反応と言えば当然なのかもしれない。
神崎から部員へ会話を自らしようとしないという点にも原因は有ったわけなのだが──。
「ゲームセット、ゲームオーバー!集合して下さい。」
大会2ヶ月前の他校との練習試合での出来事。
スコアは2-1で実力的には完封できた筈の相手に、神崎・谷川だけがゲームをとられ負けという結果に終わってしまった。
原因は神崎のサーブの他、小さなミスによる失点にあった。
「すみませんでした…、先輩方…!」
御波中に帰ってからの反省会で、神崎はレギュラー陣に頭を下げた。
「んなことドンマイだって、神崎!なあ、啓司!」
「そうだぞー、まだ練習試合なんだからさ。」
佐々川が神崎の背中を叩き、他の選手らも明るく神崎を慰める。
その時は神崎も笑顔を見せていたものの、帰り道で出血するほど唇を噛み締めて悔しがったのは当然本人自身なのであった。
練習試合といえど数少ない貴重な試合である。
それなのに自分のミスでそのゲームを台無しにしてしまうのは絶対に許せない失態である、と。
「おーい、神崎、水筒忘れてるぞー!」
1年生のそんな声も、思考する神崎には近距離であれ全く届くことはなく。
「──チッ。また無視かよ……。」
「いいよ、ほかっとけ。"才能ある"神崎サマには俺らなんてクズみてえな存在なんだろ。」
1、2年生と神崎の溝は、本人の知らないところで深まっていくばかりなのであった。
周りの話が聞こえなくなるほどに物事に集中する神崎と、それを知らぬ周りの生徒らのスレ違い。
その溝が浮き彫りになるのはもう少し経ってからの話になる。
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「「「ありがとうございました!!!!」」」
涙ぐむ3年生らの最後の挨拶がこだまする。
2か月後の県大会。
雲ひとつ無い青空の下、12名の生徒の御波中ソフトテニス部としての試合がその幕を閉じた。
市大会、地区大会と順調に歩を進めた御波中だったが県大会という大きすぎる壁を乗り越えられることは、虚しくもなかった。
「─よっし、あきら。後はエースのお前に任せた!」
「ぜってー全国行けよ!」
レギュラー陣が神崎を囲んで和気あいあいと最後の言葉をかける。
ペアである谷川啓司が部活を卒業するわけであるから、当然神崎のペアも変わるわけなのだが…。
恐るべきは、まさに3年生が卒業したこの後である。
まさに"タカが外れた"ように神崎への嫌悪が本格的に露呈し始めるのは。
新人大会、レギュラーメンバー。
───神崎・久遠ペア。
久遠涼太。
元レギュラー。
つまり、神崎 昭の入部によってその座から転落し誰よりも屈辱をダイレクトに受けた2年生。
神崎がそんな事情を気にかけていたはずもなく。
「…………。」
しかし神崎が全てを悟るにはあまり時間はなかった。
放課後の部室にて、無惨にも根本から折れた自分のラケットを前に神崎は1人呆然と突っ立っていた。
思わず持っていた水筒を床に落とす。
「どーしたの、カンザキ君?」
背後から誰とも分からない生徒の声と、複数の笑い声。
──悲痛よりも、驚きと絶望。
振り返る事もなく、冷静な態度でそのラケットを拾った瞬間右手に鈍痛が走った。
「っ、……。」
投げつけられたラケットはそのまま神崎の物の上へと落下する。
激痛と共に神崎の腕は小刻みに痙攣していた。
今まで共に練習してきた仲間が一瞬で敵となった。
「お前のせいでチームが乱れる。元々俺もペアいるしさ。そっちの方がやり易い。なあ?───…おい。」
いや、"敵"は寧ろ俺の方か──。
よく考えてみれば当然の事だ。
「じゃあな、カンザキ。」
神崎の耳にはもう、何も届いてはいなかった。
全治してからでも、一週間後の新人大会には間に合う。
しかし、それ以前に神崎が"部活に"行く理由は無くなった。
「どうしたの!?その傷!」
言えない。
「……転倒してぶつけました。」
言えない。
「しょうがない、久遠のペアは交代か。」
すみません、啓司さん。先輩方。
俺のせいで、チームは乱れていた。
言えない…。
大会前日の夕方。
神崎はもはや部活にさえも行けなくなっていた。
誰もいない公園で1人、神崎は壁を思いきり完治したその拳で殴り付けた。
真っ赤な点が地面に咲く。
神崎はただ、その壁に無数につけられたボールの跡を眺めている他なかった。
毎朝ひたすら走り続け、部活帰りにはこの公園でひたすら打ち込み、部活中の休憩すら谷川を巻き込んで。
文字通り血の滲むような努力を重ねてきた結果は、才能以上のものを他に見せつけたに他ならない。
その努力を、チームはあっさりと手放し見捨てたのであった。
突然訪れた絶望。
神崎にとってそれは、まるで氷山のクレバスに落ちたかのような一瞬の出来事であった。
でも言えない。
逆に自分は一体何が言えないのか。
俺は何を言えば良い。
考えるうちに周りの話は次々と転換されていく。
己の弱さと性格が招いたもの。
耳の奥で笑い声が歪む。
いや、チームの邪魔者が消えたので、寧ろこれで良いじゃないか。
チームの乱れの原因がなくなったんだ…。
よく考えてみれば、これは部活だ。
"調和"よりも"己の技術"を優先した者の罪。
調和を乱すものは、排除される。
当然の事じゃあないか。
もう神崎の目からは既に、希望という光は失われていた。
「──神崎?」
すると突然、公園の道路側から聞き覚えのある声が聞こえた。
咄嗟に地面の血を砂を蹴り覆い振り向くと、そこには先輩の佐々川の姿があった。
「どうした?こんなとこで…。」
自転車を降りた佐々川がこちらへと歩み寄ってくる。
神崎は思わず後方の壁へ後ずさりした。
「最近部活行ってないんだって?どーしたんだよ。一体。」
聞くな。
「部活は?大会近いんだろ?」
俺には何も出来ることはない。
「何かあったのかよ…?」
何もない…!
俺に先輩の期待に応えられるようなものも持っていなかった…!
「何か言えよ…神崎!」
ふと。
神崎は視界に映る佐々川の表情が変わるのを感じた。
あの頃の明るさは微塵もなく。
────失望。
ただそれを神崎は受け取ってしまった。
世界が歪む。
違う、違うんだ先輩。
今まで見たことの無い顔。
啓司さんにもこんな反応をされるのだろうか。
それは嫌だ。
あの人に、迷惑はかけたくない。
ダメだ、もう耐えられない…。
「あ、おい…!」
佐々川が神崎の元へ辿り着くよりも先に神崎はその場から走り去ってしまった。
もし今佐々川に相談すれば、問題が即刻解決されるのは目に見えていた。
その些細な打ち明けるということが、神崎には出来なかったのだ。
混沌とする思考の矛盾が神崎を腕の傷以上に苦しめる。
言えない。
結局俺は逃げたんだ。
情けねえなぁ。
たったの一言で救われるのに。
苦しい。
それらの傷を受けて、
トラウマを負って、
解決できないまま、
……現在に至る。