入学の洗礼
少女は立ち止まり、目に掛かる赤茶けた髪をかき分けて見上げる。鏡のように青空を映す湖のほとり、眺め続けていると首を痛めそうなほどに高い壁に囲まれた要塞に似た建物を前にぽかんと開いた口が塞がらないでいた。
「ほえー。やっぱりでかいなこの学園」
「ちょっと邪魔!」
少女は自分と同じ、自身の手のひらに収まる小型の金属のエンブレムを付けた青いローブを着た女に突き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。新品の服があっという間に汚れてしまい、むすっとしながら壁のように巨大な鉄の門を潜る。
王立シルド魔導学園。ここで力を付け、姉に追いつけるようにと親が入学させた。姉の名は世界中で知られていて、単独で兵器と同等以上の力を持つ者で世界で10人もいない貴重な人物。その妹がこの少女、フレイミア・バーメインだ。 屋敷を出たことがほとんどない彼女にとってここに来るまでの道のりでさえも新鮮に感じられた。
「うわぁ、こんなにいっぱいの人初めて見たかも」
学園内には入学生が通路で列を作って大きな箱のような建物の中へ入っていく。フレイミアも中に入り、隅っこの方に並び入学生を眺める。ゆうに500人は超えている。
周りの者は友人同士で集まっているらしく、話し声がうるさく耳に入ってきた。
「獣族に植族、人間だけの学園じゃないのな」
犬や猫のような耳を生やした男女や髪が緑色をした者がちらほらと目に映る。彼らは人であって人間ではない異種族だ。フレイミアは腕力の強いと聞く獣族の男とは目を合わせないように気をつける。
壇上に立つ数人の教師らしき大人達が静かにするように大声を張り上げると少しして静かになる。教師達の中心にはフレイミアのよく知る顔があった。
腰に届く程長くさらさらとした赤毛と力強さを秘めた目をした女が堂々と中心に立つ。静まった今なら端に並んでいようともその存在感はかすむことはない。女が何者か気がついた者はじっと見つめていた。
その女は、フレイミアの姉であり世界にとって重要な存在、プロミナだった。
「姉さま、この学園で働いていたんですね」
キラキラと輝かせた瞳で列の隅から熱い視線を送る。それに気が付かないプロミナは声を張り上げるために大きく息を吸う。
「私が学園長のプロミナだ。君達にはこれから立派な騎士や魔術師になってこの国だけでなく世界のために活躍できるようになってもらう。その第一歩として、共に助け合う4人の班員を選考させてもらう! その方法は……」
ごくり、唾を飲んだフレイミアは不安から胸の前に出した拳をもう片方の手で撫でながら姉の口元を注視する。遠すぎて何を言うか分からないが、そうせざるをえない。
「今から! 新入生全員で! 戦ってエンブレムを集めて見せろ!」
左腕を目一杯に広げ宣言する。それを合図に数人の教員が自分の身長と変わらない大きさのロウソクを中央に持ち出す。プロミナが左手を掲げるとロウソクに火が灯り「始め!」の合図と共にフレイミアの周りは爆音と轟音に包まれた。
「遠慮はいらんぞ、危なくなれば教員が止める。殺す気で戦え」
ある者は火炎を纏い隣に立つ者と殴り合い、ある者は水を出現させて操り目の前の相手を溺れさせようとする。自身を鼓舞する声や攻撃や痛みに絶叫を上げる激しい戦いを繰り広げていた。そんな中、フレイミアは……。
「ヒィィィィィ!! 無理無理、怖怖!」
転がり悲鳴を上げ、姿勢を低くしては逃げ惑っていた。しかし、いつまでもそうしてはいられない、流れ弾の火球が足元で弾けた火の粉がローブにかかり着火する。
慌てて叩き、消し止めると立ち止まって安堵のため息を吐いて壁にもたれかかる。動き回る者が多い中で歩みを止めれば当然目立つ。フレイミアは死んだふりをしておけばと後悔することになる。
「お~、弱そうだな。そのエンブレム寄越しな、そうすれば痛い目見なくて済むぜ」
「い、嫌だね! 誰がやるか」
獲物を見つけ迫る男に抵抗するように立ち上がって拳を構える。男も自身の腕より二回りは太い灰色の石棒を構える。いつの間にか握られていた武器にフレイミアは相手の能力を察した。
「うぅ。武器を具現化する地の魔性か、相性悪くはないんだけど」
「へへっ。覚悟しな」
「女の子をいじめるなんてカッコわりーぞ」
「はっ、魔力が多いのは女だろ、この場においては対等!」
男は石棒を大きく振りかぶって迫る。男の気迫に圧され、壁際だったこともあり逃げ場を失ったフレイミアは自棄になって目をつぶって体当たりを仕掛けた。
「ぐえ」
「あ、あれ?」
気がつけば男は倒れ、石棒が足元に転がっていた。はっと気が付き石棒を拾う。
「くそ、悪あがきしやがっ……」
「えい」
「うわ、こいつ。や、やめっ」
拾った武器で男の頭を殴りつける。制止するように手を突き出しても弾き、必死の訴えも耳には届かず、結局気絶するまで殴り続けていた。
持っていた石棒が崩れ、破片も消滅する。男の地の魔性によって作られたこの物体は意識を失うことでなくなってしまうようだ。
動かなくなった男を見下ろし確認すると勝利を確信し、静かに口元を綻ばせる。
「勝った。はは、ザマァーーー見ろ! 弱いものいじめしようとするからバチが当たったんだよこの野郎」
弱々しい態度を一変させ堪えていた笑いを解き放つ、意識をなくした男にありったけの罵倒をする。再び大きな爆音がすると我に返り、エンブレムをむしり取って走り去る。
まず1個と浮かれている所に背後から人が飛んでくる。一緒に飛ばされて壁に激突してしまう。
「ぶべぇ」
激突の瞬間に光の膜が展開されてダメージを和らげるも、額と背中には激痛が残る。
涙目になりながらも立ち上がり、足元に視線を移すと気絶した女子が仰向けになっていた。左胸に付けたエンブレムが周囲の炎の光を反射してギラつく。
「私ってばラッキー、2個目ゲット!」
「あ、こいつアタイの獲物を」
学園の前でぶつかった女が眉間にシワを寄せて怒りをあらわに駆け寄る。その身体からは白い魔力の光が塊となって煙のように溢れていた。よく見ると彼女の頭には猫のような耳がある。
「あ、やば。この人強い」
溢れた魔力だけで周囲で戦う生徒を上回っているのを肌で感じ、フレイミアは冷や汗を流しながら脚が震える。加えて獣族、種族の特性上たとえ女性であっても通常の人間の成人男性を遥かに上回る怪力でもある。
「覚悟は出来てるだろうな!」
「ヒィ! ごめんなさいごめんなさい。返す、私のもあげるから許して」
床にバッジを置いて頭を地面に擦り付け謝罪する。
その様子に呆気に取られ、女は魔力を引っ込め人差し指で頬をぽりぽりとかいて困った様子を見せる。
「そんな態度されると、殴れないだろうが。くそ、やるよ。獲物はまだ沢山いるしな」
フレイミアはほっとして胸をなでおろすとエンブレムを回収して立ち上がり時間を確認しようと巨大ロウソクを確認する。まだ半分以上は残っていて愕然として肩を落とした。
「まだこんなに時間が、逃げ切れる自信ないよ」
「はぁ、アタイが守ってやってもいいぜ。組んでるとこは他にもいくつかあるみたいだし」
そう言って女は親指で自身の背後を差す。3人がまとまって戦っている様子が見えた。
フレイミアにとってはこれ以上なく嬉しいことだ。周囲の者とは一回り以上の力を味方につけられる、優位に立てる。
「私、フレイミア・バーメインって言います。よろしく」
「アタイはレビィよろし……待て、その名前は、まさかあのプロミナの妹か?」
にこやかに頷き握手を求めて手を出す。レビィは握りしめた拳を顔面に向けて放っていた。
「わぁ!」
「さすが、妹なだけはあるな」
「な、なんで攻撃を」
「あいつの妹なら強いだろ? アタイは強い奴と戦うのが好きで、クッソ苦手な勉強してまで入学したんだ」
フレイミアは額に手を当て、小さく「またか」と呟く。まだ数回しか聞いてはいないが、前もって姉から聞かされていた。
「後悔しないでね」
そう言って自身の右手に火の魔性を発現させる。負の性質を持つとされる火、負火と分類される彼女の火は黒く周囲の戦いの光を飲み込むようで、しかし普通の火と変わりなく揺らめき不気味さをまとう。
それを見たレビィはさらに興奮して拳を振るう。
「わわ、ひゃっ、おっとぉ!」
「そらそら、避けるだけか? 見せてみなよその黒い火の力を」
紙一重の所でかわし続けるが、それに手一杯になり反撃の機会がない。下手に攻勢に出て拳に当たれば即、脱落は免れない。
レビィの拳は一向に掠りもせず、空振りが続くも表情に焦りはなく、むしろ高揚する気分を抑えきれずに顔を綻ばせる。
「ははっ、割りと本気でやってるのに当たらない。さすがだな!」
「本気ぃ!?」
ますます当たるわけには行かない、と回避のキレが良くなる。しかしフレイミアの体力も長くは続かない。元々真面な訓練も受けていない、自身の魔力によって増強していたがそろそろ限界に近付いていた。
「今度こそっ! あれ?」
「あ、いまだ!」
拳を振り抜いて背中を見せた僅かな隙を突いて右手の黒い負火を放射する。
「あ、熱……くねぇ! 不発か?」
身体のあちらこちらを確認するレビィだが、火傷も熱さも感じない。全くの無傷。
だが、フレイミアの口元は弛んでいる。
「なんだ? 一泡ふかせたって感じだな。この程度かよ、フレイミア」
「さぁ、どうなんでしょうね」
「やっぱり何かあるんだな、あの黒い火は。次に仕掛ける前にぶっ倒す」
再びレビィによる一方的な攻撃が始まるが、避けるフレイミアに余裕が生まれる程に動きが悪くなっていく。
手足に重りを付けて、それが重量が増していく感覚。それに合わせて徐々に背中から熱を感じるようになってきた。
首を回して背中を見ようとすると黒い火が大きくなり、確かな熱を頬にも受ける。
「アチチッ! 力が抜けたと思ったら背中が熱くなりやがった」
「これが私の魔性! 力を奪う黒い負火の魔性」
膝を着くレビィの前で腕を組み態度を大きくする。追撃にフレイミアは両手に黒い火を出して突き出す。
「獣族にしては体力がないんだな! それくらいでへばるなら、次で終わ……」
「ばーか、ちょっとバランス崩しただけだっての。油断したな、フレイミア!」
立ち上がったレビィの頭が迫る。油断の隙を突かれ、身体が固まったかのようになり動けないでいた。
ゴッ。光の膜を突き破りフレイミアの額に直撃、衝撃が頭の中を暴れまわり、入れ替わるようにレビィが立ち上がるとフレイミアが白目を向き、仰向けに倒れる。
そのままであればさらに床に頭を打ち付ける所を肩を掴んで引き寄せ、ゆっくりと床に寝かせた。
「奥の手を使うはめになるとは。それにしても小物過ぎるだろこいつ、本当に妹か?」
辺りを見回し、気絶したフレイミアを見下ろす。深くて長い溜め息をつくと仕方ないといった様子で腕を引っ張り壁際まで引きずっていく。ついでにフレイミアへ殴り飛ばした女も隣へ並べる。
寝かせたまま、レビィも側に座り込んで戦う者達を眺める。残り時間が少なくなると激化していき、流れ弾の石が飛んでくる。
「はぁ、アタイがやったんだし置いてくわけにはいかねぇよな」
拳程の大きさの石が数個、狙い済ましたかのように真っ直ぐ飛来するが、立ち上がり腕を広げて受け止める。その際にフレイミアのような光の膜は現れないにも関わらず当たった石は粉々に砕け散る。
しばらくは大丈夫だと判断し、もう一度座る。
「身体を硬化させる地の魔性、か普通に魔力膜で防ぐより固そうだ」
「うおっ、何時からいた!?」
「君がそこの子を引きずってきた時からだよ」
緑の髪をした細身の男が立てた膝を抱えて座っていた。細い目はどこか眠たげで、気迫どころか気配も薄い。
レビィは気がつかなかったのも無理はないと納得する。
「僕はもう十分に集めた。だから戦わない、安心していいよ」
「お、おう。その髪からしてあんたはアレだ、“木の人”だろ?」
なにも言わずただうなずき、庭先に生えた木の様に静かにしている。
進まない会話にレビィが苛立っていると顔をパンパンに腫らした男が石棒を持って目の前に現れた。
「お前ら、その女をこっちに寄越せ」
「あ? やだね」
「だったらお前らのエンブレムを貰うぜ!」
ぴくり。レビィの背後に座る男は顔を上げて腕を前に出すと袖口から植物のツタが這い出て石棒の男に絡み付き動きを止める。
「がっ、てめっ」
「“植族”の能力を見るのは初めてか? 次は見慣れた力を見せてやろう」
そう言って立ち上がり、両手を合わせると水が溢れ出す。あふれる水の勢いに弾かれるようにして手を離すと、固まった水の塊が男に向かって飛んでいく。水は男の身体に触れる前に魔力膜に当たって散っていくが、衝撃をすべて防御できるわけではなく、当たる度に苦痛の表情を強めていく。
「ナイス、後はアタイに任せな」
「ちょ、待って!」
力を込めた拳を何度も男に叩き込む。獣族特有の怪力と、硬化の力が合わさり男の魔力膜に亀裂を入れる。
一発一発が重くそして速い。縛り付けていたツタも張り詰め、ミシミシと音を立て始めていた。
「や、やめろ! 痛い、止まれ、待て! アッ!」
「まだまだ……これで、最後だ」
引き止める植族の男を無視して渾身の一撃を放つ。ツタは耐え切れずにちぎれ、男の魔力膜も砕け散って集団の喧騒の中へ溶けていった。
息を吐き、達成感に満ちた清々しい顔で振り返ると植族の男がフレイミアの隣でうつ伏せになって気を失っていた。新手の攻撃か、と周囲を見渡すもその様子はない。
「いったい誰が? まさか、ツタに感覚通ってたんじゃ」
腕から生えたツタは人間の指程の太さをしていて、レビィは指をちぎられる想像が頭を過ぎると口元を押さえてうずくまる。
「マジすまん! あぁ、荷物が増えちまう。仕方ねぇけど」
こうして、レビィは余力を残しながらも巨大ロウソクがなくなるまでの間2人の側を離れず護衛し続けたのだった。