《二次創作》 365分の1日の恋〜僕に温もりをおくれよ〜
イン・ジュンさんに感謝します!
歩いていて、ふと思う。
――温もりが欲しい、と。
仲の良い友達が欲しいわけでは、決してない。
家族がいないわけでもない。
ただ、なぜか思う。
温もりが欲しい。
わぁわぁと楽しそうな声は、バックミュージックでしかない。
いつもかかっている、耳に自然と入ってくる音楽。
誰も自分に触れようとしない、話そうともしない。
……そんな日々には、もう慣れた。
「……ただいま」
「おかえり。今日も遅くなるけど、晩御飯は冷蔵庫にあるから」
途中からは、もう聞かなくても分かる。
返事もせずに階段を上り始めると、母親もなにも言わずに玄関から出て行った。
近くのスーパーのパート。
ありふれた母親の職業だ、と思う。
僕は部屋には行くものの何をするでもなくベッドに転がった。
木の天井。かすかな傷。
たったそれだけのことまで、自分を冷たく笑っているような気がした。
「もうすぐだぜ?」
ふと聞こえたその声。僕は声の方を見た。
もちろん、僕に向けて発せられた言葉じゃない。
向こうの方で固まって群れている男子軍。
その中でひときわ目立つ生徒が言った言葉だった。
「何がだよ」
「おいおい、分かるだろ? 今日は2月10日だぜ?」
あぁ、続きは聞きたくない。
僕は窓に視線を移す。
でも、言葉は嫌でも入ってくる。
「お、もしかして?」
「そう! 14日は?」
「バレンタインーっ!」
大声でぎゃあぎゃあ騒ぐ男子軍。名前なんて知らないけど、確実に言えることがある。
うるさい。
「やべぇなー、俺彼女いねぇわ」
「俺だっていねぇ。リア充共の祭典だろ?」
「でもちょっとは欲しいよな。本命じゃなくていいから」
「うわ、いいこと言うなお前!」
「俺なら絶対本命が欲しいもんな」
「友チョコとかあるじゃん? あれでちょっとはもらえんじゃね?」
「え、お前女の友達とかいんの?」
「あ、いねぇわ」
「もらえねぇじゃねぇか!」
……また笑い声。
腹が立つ。
別に、バレンタイン自体に腹が立つわけじゃない。
バレンタインに浮かれて騒ぐ奴が気に食わないのだ。
もちろん、僕にも好きな人くらいはいる。
まあ話をしたことはないし、その子の眼中にも入っていない。
期待しないのか、と聞かれれば、全く期待していないわけでもない。
漫画の世界ではないが、
「ずっと前から気になってたの。受け取って?」
……なんて展開を期待していないと言えば嘘になる。
でも、そんなことは十中八九あり得ない。
だって僕は。
カーテンの向こう側を見て、むなしくなった。
だって僕は、仲間と言える人さえいないのだから。
とぼとぼと歩いて、校門を出た。
生徒指導の先生の目の前を横切る。
まるで何も見えていないかのように、先生は僕の方に目を向けることもしなかった。
いつものことだ。慣れてる。
そう思っても、目のあたりが熱くなるのには、いまだに慣れなかった。
しばらく行くと、目の前に集団が現れた。
紺色のスカートが揺らめく。
女子軍だ。
僕は無意識に顔を上げ、女子軍の中を探していた。
「……あ」
何やってんだ、僕。
そう思いながらも、目は止まらない。
ぐるぐると似たり寄ったりのヘタな化粧をした女子軍の中をさまよっていた目が、一点をとらえて止まった。
僕はすっ、と顔を地面に向けた。
目が合わないように。合ってしまわないように。
いいんだ、これで。
また、思ってもいないことを言い聞かせる。
いいんだ。
たとえ君の目に映らなくても。目が合わなくても。
探してるだけでいいんだ。
……なんて言ってみたりして。
僕はひたすら歩いて、女子軍の横をすり抜けた。
すり抜ける時、もう一度顔を上げた。
『あの子』は軍団の中でひときわ目立っていた。
化粧なんかしなくても、持って生まれた整った顔。
教室中の目線を集めるのも、不思議ではなかった。
「ただいま」
……帰ってくる返事はない。
いつものことだ。
全てのことに、変化なんてない。
返事の返ってこない家、誰とも話さない教室、彼女のことを目で探し、目を合わさないようにして帰ってくる放課後。
全て、今までと同じ。
もう、変化が欲しいなんて思わなくなってきていた。
でも、ずっと欲しいものは変わらない。
そして、僕の嫌いな日が、やってきた。
「おい、チョコくれ!」
「えー、やだ」
2月、14日。バレンタイン、当日だった。
僕は一応席に座る。でも心はそわそわと辺りを漂う。
誰かが今日くらい僕のことを見てくれるのではないか。
――そんな期待は、報われないまま何年経っただろう?
「おはよー」
ふと聞こえたその声に、僕は反応する。ぴくりと肩を震わせるだけの反応だが、それは僕にとって大きなことだ。
「みなさんにご報告がありまーす!」
その声と一緒に教室に入ってきた女子が言う。
「何?」
「え、彼氏出来たとか?」
……そんな冗談はやめてくれ。
僕はそっと窓に目を向ける。たとえ僕に振り向いてくれないとしても、他の男のとこへ行くのはなぜか許せない。
人間っていうのは、都合のいい、わがままな生き物だ、とつくづく思う。
「違うよ!」
苦笑する『彼女』。よかったと心の中で胸を撫で下ろす僕。
「実はね、昨日男子全員分のチョコ、作ったんだー!」
えぇっ、とどよめく教室内。僕はさっきより大きく反応し、思わず『彼女』を見てしまった。
男子、全員分。それに僕は入れてくれているのか。
「全員に配ってくから! いつもはもらえない君たちも今日は1つカウントね」
「マジで! さすが俺らの天使!」
いえーい、と盛りあがって手を叩く男子軍。僕はまたうつむいた。近づいてくる『彼女』に、どういう顔をしていいのか分からなくて。
いつも目を合わせられなくてもどかしいのに、今はなぜか顔も見たくない。机に置くだけ置いてさっと行ってくれればいいのに、なんて思うけど、よりにもよって『彼女』は話しかけている。
「……い、これあげるね」
隣の席で喋っている二人組に話しかける声がする。
来るな。
なぜか強張る体。跳ねる心臓。震える手。
別に自分のことなんて目にも入ってないくせに。それでいいと自分では思ってたはずなのに。
「ねぇ!」
びくっ、と肩が跳ねた。
「はい、これ」
僕は恐る恐る、という風に振り向いた。
目の前で、『彼女』が笑う。僕の、手の届く距離で。
「……ありがとう」
意外とすんなり出た声に、自分自身が驚いた。
「そういや、あんまり話したことないね」
にこっ、という音が似合いすぎる笑顔で『彼女』が微笑む。
「そう……だね」
小さな赤いビニールの袋の中のチョコレートは、店に売っているのよりは不格好だ。でも、店に売っているのより暖かくて、優しい匂いがした。
「また話そうよ。いつも窓見てるクールな男の子から脱出しなきゃ」
「うん。ありがとう」
「じゃあね!」
手を振って駆け出す『彼女』。それを追いかけられない、僕。
多分、また話そうとは言ってくれても、もう話すことはない。静かに僕たちは離れて、静かに卒業していくのを待つだけだ。
僕はまるで小さな宝石を扱うかのようにそっと、本当にそっと、赤い袋をかばんに入れた。
欠けてしまわないように。僕と君の、たった少しの繋がりが壊れてしまわないように。
チョコレートを、傷のある天井を見ながら口に入れた。
それは甘くて、後味が少し苦い。不格好だけど、世界で一番キレイなもの。
僕らの関係は、いつまでたっても一方通行。それでいい。
涙が出そうになって、ベッドに転がった。涙がこぼれないように、上を向くために。
――僕に、温もりをおくれよ。
上を向いたらこぼれないはずの涙が、どうしてか重力に従って、こめかみに向かって流れた。
――いいじゃないか。小さな温もりでも。365分の1の、たった1日の恋でも。
僕はもう一度、最後のチョコレートを口に放り込む。
どうせいつか消えるなら、いっそのことぶち当たって砕けてしまうのもアリか。
僕は涙を拭いて、甘い塊を噛み砕いた。
甘さは口に広がって、そのあと微かな苦みを残して消えていった。