~少女の名は?~
傷を負った少女を宿屋に連れ帰ってきたリデリア。
怪我を負った少女をフィーシュと一緒に宿屋に運んで一時間。
お医者様の話では、傷の痕から見ても、やはり複数の獣に襲われたのではないか、
という話だった。手酷くやられてしまっていたようで、命には別状はないけれど、
二、三日は安静にしていた方がいいと診断された。
「どうしましょう、お嬢様。この方、どこの誰かもわかりませんよ」
「大丈夫よ、暫くしたら目を覚ますってお医者様も言っていたでしょう?
この子が気がついたら、聞いてみましょう」
寝台の上で眠る、私よりも少し年下に見える少女。
そのサラサラしたブラウンの髪を手で梳いてみると、少女がわずかに身を捩った。
気がついたのだろうか……。
「んっ……んん……」
「起きた?」
「……ここ、……どこ?……アンタ……誰?」
開いた瞼の奥に隠れていたのは、少し強気そうな緑色の瞳だった。
目をぱちぱちと瞬かせ、首をかしげている。
自分がなぜここにいるのか、どういう状態なのかをまだ把握できないのだろう。
私は、少女を警戒させないようにゆっくりと状況を説明してあげた。
「ええっ、私、倒れちゃってたの!?あぁ……、ごめんなさい。迷惑かけたみたいで……」
「いいわよ。困った時はお互い様なんだから。
それより、傷はどう?お医者様には診て頂いたけど、頭とか痛くない?」
「ありがとう……。うん、大丈夫、痛いのは傷だけだから、あとは平気」
自分の身体に巻かれている包帯や、身体の具合を確認していた少女に、
私は、お腹が空いていないかと尋ねると、案の定、大きなお腹の音が響いてきた。
そうよね、あんなところで生き倒れになるくらいなんだもの。疲弊してお腹が空いているわよね。
「あっ……」
「ふふ、フィーシュ、食事の用意をお願いね。
ここで一緒に食べるから、三人分」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますね」
私の言葉に、すぐにフィーシュが宿屋の一階に向かって階段を下りていった。
一日中、あの賑やかなお祭りの中にいたのだ。
私もさすがにお腹が減っていたし、この子も同じく。
なら、せっかくのご縁ということで、一緒に食事をするのも楽しいだろう。
私はそう笑いかけると、少女の方も少し頬を染めて、「ありがとう」と呟いた。
見たところ……、十四、五歳ぐらいかしらね……。
まだ幼い表情を見るに、もしかしたらそれより下かもしれないけれど……。
十八歳の私と歳も近いし、色々お話が出来そうね。
「あ、名を名乗っていなかったわね。
私は、リデリア。リデリア・アルパーノよ。よろしくね」
「えっと、私は、エルゼラ……。ただの、エルゼラ」
「そう、エルゼラというのね。可愛らしい名前だわ。
ねぇ、エルゼラ、貴方、今何歳?」
「じゅっ、十五歳……に、なったばっか……。
リデリアは?」
「じゃあ、三つ違いなのね。私は十八歳よ。
貴方より、少しだけお姉さん、かしらね。ふふ」
「あ、じゃあ……リデリアさん、って言った方がいいかな?」
エルゼラと名乗った少女が、窺うように私を見る。
ふふ、まるで小動物みたいな子ね。
照れ屋さんなのか、頬を染めて毛布からチラリと顔を出している。
「普通に、リデリア、と呼んでちょうだい。
歳も近いのだし、遠慮は必要ないわ」
「そ、そう?じゃあ……リデリア」
口の中で確かめるように転がされた音は、恥ずかしさと甘さを含んだように聞こえた。
その光景に、私が頬を緩めていると、フィーシュが三人分の食事を運んできた。
エルゼラの身体を支えて、クッションを支えに、そこに背中を添える。
そして、私も椅子を寝台の傍まで持ってきて、そのすぐ横にサイドテーブルを置き、
自分と彼女の食事を置いた。
「エルゼラ、腕が痛いでしょう?……はい、あーん」
「え?え?いや、いいよ!大丈夫、自分で食べられ……いたたっ」
「あぁ、無理しちゃいけませんよ、お嬢さん」
腕を持ち上げようとしたエルゼラが、そのせいで生じた痛みに眉を顰め呻いた。
当然だ、獣に噛まれ倒れるほどに傷を負わされたのだ。
そう簡単には治らないだろう。
「エルゼラ、遠慮はしなくていいのよ?
さ、気を取り直して……、はい、あーん」
「あっ……うぅっ、あ、……あーん」
「はい、次」
エルゼラは、私に介助されるのを恥ずかしそうにしながら、口を開いては食事を受け入れていく。
ふふ……、なんだろう。妹がいたらこんな感じなのかしら?
私には、兄と弟はいるけれど、生憎と妹はいない。
だからだろうか?この傷付いた少女を守ってやりたいという気持ちが自然と湧いてくるのだ。
それに、雛鳥みたいに口を開けてくれる少女は、愛らしくて可愛い。
少々、髪型は男の子みたいだが、それもまた個性的で良いと思う。
「あ、ありがとう。リデリア。ご飯、美味しかったよ」
「それは良かったわ。……それで、エルゼラは何故あそこで倒れていたの?」
「……」
「獣に襲われるなんて尋常じゃないわよね?
町の中にそんな危ないところがあるとも思えないし」
「……」
「……もしかして、言えない?」
「……ごめん」
きっと何か理由があるんだろう。
エルゼラは、私から目を逸らし、申し訳なさそうに身体を小さく丸めた。
私としては、彼女が何故こんな危ない目にあったのか、出来れば知りたいけれど……。
踏みこんではいけない領域というものが存在するわよね、誰しも。
一つ頷くと、これ以上はエルゼラを追い詰めてしまうと考え、私は話題を変えた。
「とりあえず、傷を治すのが先決ね。
エルゼラ、私達は明後日までここにいるから、良かったら休んでいってちょうだい」
「え?でも……」
「一応、広い部屋をとってあるし、寝台も二つあるわ。
遠慮せずに使っていいのよ」
「あ……ありがとう……。
で、でも、明日にはちょっと帰らないといけないから……、
今日だけ……泊めて、もらって、いい?」
「勿論よ。私ね、今日この町に来たばかりだから、あまりこの町を知らないの。
あとでお話でもしてくれると助かるわ」
「う、うん、それくらいならお安い御用だよ、リデリア」
泊まることに遠慮していたエルゼラが、自分にも出来ることがあると知ると、
パァッと柔らかな明るい笑みを浮かべて頷いてくれた。
さて、それじゃあ楽しい女の子同士の時間のためにも、私も食事をとって……、
……。
「(まずい……)」
窓の外に視線を向ける。
夕陽はとっくに漆黒の闇に溶け消え、夜という空間がそこに広がっていた。
……あの馬鹿っ、どんだけ待ちきれないのよ!!
心の中で空気の読めない男の顔を思い浮かべながら悪態を吐く。
段々と意識が薄れていく……。
ぐっと身体に力を込めるけれど、今日は問答無用で連れていく気満々のようだ。
意識を上手く保てない。
私の異変に、エルゼラがベッドから起き上がろうとしているけれど、フィーシュがそれを留めた。
「大丈夫です。お嬢さん。
リデリアお嬢様は、ちょっと困った体質をお持ちなだけなんです。
僕に任せてください。あちらの寝台までお運びします。
お嬢さんは、このまま休まれていて結構ですので」
「だ、大丈夫なのか……、本当に?
なんか、病気とかじゃ……」
二人の会話を遠くに聞きながら、私の意識はそこで途切れた。
きっと目が覚めれば、元凶が私を出迎えるのだろう。
ついでに、馬も……。
せっかく同年代の女の子と知り合えたのに、あの変態王子は……!
タイミングが悪すぎるにもほどがあるわよ!
どうせ文句を言っても堪えないんだろうけど、あっちに行ったら一発殴ってやろう。うん。
良いところで夢に呼ばれて、リデリア不機嫌全開です。
セレイン王子の方は、よっしゃ!夜になった!!とばかりに、
夢を繋いできたので上機嫌ですが、……色々間が悪かったようです。