『おはよう』 お題:ある日の朝
『なるほど、夜どうしても眠れないと。でしたらこちらに、うってつけの「フェアリー」がございますよ。名を「アメシスト」と申しまして……いえいえ、鉱物ではございません。ともかくこちらを、夜、枕元に置いておやすみください。どのような時もどのような状況でも、快適な眠りをお約束いたします』
そう言われて買ってきた、小さな瓶詰めの――何か。
アメシストという名前だけあって、入っていたのは透明な紫色の、水晶玉のようなもの。本当のところ『何』なのだろうとあやしみつつも、一番あやしげだった黒ずくめの店主の言ったとおり、私は急によく眠れるようになった。
瓶を枕元に置いて目を閉じると、かすかにいい匂いがして、綺麗な響きが聞こえてきて、気がつくと朝になっていた。
仕事に追われげんなりとしていた日々が嘘のようだった。体が楽な分気持ちに余裕ができた。笑顔を振りまけるようになった。
だからなのか、ほどなくして初めての恋人ができた。
そして初めてのデートの前の晩、着ていくドレスを決め、うきうきとふとんをかぶって――
目覚めた朝に、愕然とした。
「なるほど。事情はよくわかりました」
再びやってきたあのお店。フェアリー専門店『レッツェル』。
店主の手の中で、「アメシスト」は輝きを失い、白っぽく濁っていた。あの朝から三日。香りは消えた。涼やかな子守歌も聞こえない。どうしてこうなってしまったのか。
「そんな泣きそうな顔をなさらないで。だいじょうぶ、少し弱っているだけですよ。これならすぐに回復します」
きゅ、と蓋をひねって開けてから、店主はまるで手品のようにひらりと手を振った。
金色の粉のようなものがふわりと舞った気がしたけれど、目を疑った間にすぐに消えて、もう蓋は閉じられていた。
「どうぞ」
瓶を返されて中を見ると、濁りは少し薄まって、淡い紫色の発色が戻っていた。
と、店主がひとつ咳払いをした。
「では今後のためにご説明を。『こう』なった原因と思われますのは『栄養不足』でございます。お買いあげの際に注意事項をひとつ申し上げましたが、異変があったとき、お客様はそれをお忘れになりませんでしたか?」
注意事項。
そう言われてはっとした。
「ご利用になる時は、就寝前に『おやすみ』を。お目覚めの時に『おはよう』を。
それがこの『アメシスト』の栄養なのです」
そうだった。あの日はデートに浮かれすぎて忘れていたように思う。
店主を見ると、何もかもお見通しという顔でぱちんとウインクされた。
「フェアリーはみな繊細です。1日栄養を欠いただけでも駄目になってしまうことが多い。けれどこの子は……よほどあなたを好いているのでしょう」
あなたのことが好きだから、そしてあなたが心配してあげたから、今日まで耐えてくれたんですよ。
それを聞いて胸が熱くなった。思わず瓶をぎゅっと抱いた。
――あれからもう何年か。
私はいつも欠かさない。旦那と子供と、小さな瓶に。
毎晩の「おやすみ」と、毎朝の「おはよう」を。
END