第一話
次に気が付いたら森の中だった。
あの不思議空間での出来事は、どうやら夢では無いらしい。
何せ、狸の様な顔をした獣が、二足歩行で俺の目の前を横切っているのだから。
どうやらこちらに敵意は無い様で、鼻をひくつかせながら周囲の様子を窺っている。
狩りの最中なのだろうか。
しばらくの間、俺はその不思議生物の様子を見ていた。
が、その姿が見えなくなってきた辺りで、ある事に気付く。
「俺、どんな加護を貰ったんだ?」
そう、あのけしからん乳の女神は、あの後何の説明も無く俺を送り出したのだ。
人の事を無価値だとか笑顔で言う辺り、顔は良くても中身は最悪だ。
復讐がてら、夜のオカズに使用してくれるわ。くけけ。
「まぁ、冗談はさておき」
さて、まずは状況把握だ。
今自分がどこに居るのか。
どういった力を持っているのか。
それらを知らずに動き回るのは得策とは言えない。
何せ、あの女神が先に送り込んだ強者ですら、この世界で死んでいるのだ。
慎重に慎重を重ねても足りないだろう。
まずは自分の身なりを確認する。
服装は元の世界に居た時と同じ、ただのジャージ姿だ。
もしかすると、このジャージに魔法がかかっていて、物凄い防御力があったりするかもだが、それを確認するのも恐ろしい。
誰だって痛いのは嫌だ。
続いて武器。
何かこう、勇者の剣的なチート武器とか持ってないのだろうか。
剣なんぞ、一度も握った事は無いが、そこはご都合主義で何とかなるだろう。
しかし、いくら探してもそれらしき物は見当たらなかった。
他にも便利なアイテムは無いかとポケットを弄るが、見事に何も無い。
状況整理その1。
装備はジャージのみ。武器は無く、回復アイテムすら無し。
その上裸足ときた。
これがゲームだったらマゾゲー確定だ。
武器で戦うタイプではないのか。
どんな世界に飛ばされたかは定かでないが、魔法なんかは使えるかもしれない。
俺はそう思い至り、掌を前方に向け魔法を唱える。
「炎よ!」
……。
どうやら違うらしい。
俺は思いつく限りの魔法を口にしてみるが、一向に魔法らしきものは出てこない。
何かしらの詠唱が必要だったりするのだろうか。
ともあれ、それが分からない現状では、俺は魔法を使えない。
「あれ?これ詰んでね?」
武器も無く、魔法も使えない。
せめてこの近くに街があればいいのだが。
周囲を見渡してみるが、鬱蒼と生い茂る草木が広がるばかり。
時折、鳥の鳴き声の様なものが聞こえるが、その度にびくっとしてしまう。
状況整理その2。
今現在の居場所は不明。
どこに向かえばいいのかも不明。
ハードモードにも程がある。
こうなったら、序盤の強制イベントが起こるのを待つとしよう。
知らない森の中を歩き回るのは怖いし、モンスターにでも出くわしたら最悪死んでしまう。
ここは無駄に体力を消耗する愚を避け、じっとしておく事にしよう。
その内、何か起こって何とかなるだろう。
俺はそう結論付け、その場に寝転がった。
見通しが甘かった。
あの後ひと眠りし、結構な時間が経ったはずだ。
その後も、昨夜見たアニメの一人感想会を脳内で開催。
俺の中の良識派と過激派が、ヒロインの心理描写について真っ向から対立していたのだが、最終的には、やはりリア充主人公はもげるべきという結論に至り、和睦となった。
しかし、そんなこの世で最も無駄な時間を過ごしたところで、一向に何かが起こる気配が無い。
これはやはり、自分から行動しなければならないパターンなのか。
果てしなく面倒ではあるが仕方ない。
俺は立ち上がり、適当な方向へと歩き出した。
まずは食い物を探すとしよう。
人間、ただ寝ているだけでも腹が減るのだ。
大きな物音を立てるのは避けるべきと、俺は慎重に道を選んだ。
道と言っても、アスファルトで舗装されている訳では無い。
正しく獣道と呼ぶべきだろう。
時折、腰の高さまである草を静かにかき分けながら進む。
体感時間ではあるが、1時間程だろうか。
俺はようやく、木々の開けた場所にある、木造の小屋を見つけた。
小屋の側面には斧が突き刺さった切り株が見える。
おそらくは薪を作る為のものだろう。
その奥には、いくつかの衣服が干してあるロープ。
間違いなく、ここには人が居る。
これでようやく一息付けるだろう。
この小屋に住むのは老人か、はたまた訳あって世捨て人となった美女か。
いずれにせよ、その人物にこの世界の常識を教わり、尚且つ色々と便宜を図って貰うとしよう。
俺はその小屋へ近付き、扉を叩いた。
「すみませーん。道に迷ったんですけど、誰か居ませんかー?」
返事がなければ勝手に上がらせて貰おう。
女神の加護を得たらしい俺は、この世界にとって勇者と呼ぶべき存在だろう。
だったら不法侵入も窃盗も許されるはずだ。
そんな事を考えていると、扉がこちらに向かって開いた。
扉にぶつからない位置まで下がり、出て来た人物を見る。
残念ながら、世捨て美女ではなかった。
とにかくデカイ。2m近くあるんじゃなかろうか。
顔もいかつく、額に大きな傷跡が見える。
頭にやの付く職業の人も、顔負けの迫力だった。
ただでさえ、他人と話すのが苦手なのに、これは酷い。
即座に逃げ出したくなるが、ここは勇気を振り絞って頑張るべきだ。
顔は怖いが心根の優しい世捨て人。
よく考えたら鉄板の設定じゃないか。
「お前、一人なのか?」
目の前の大男が周囲を見渡しながら聞いてくる。
「はい、気が付いたらこの森の中で。……知り合いともはぐれてしまったんです」
この世界に知り合いなど居るはずもない。
が、あの女神を対象とすれば、全部が全部嘘という訳でもないだろう。
巧く嘘を吐く際には、真実を織り交ぜるとよい。
これがその成功例かどうかは知らないが、どうやら大男は納得してくれた様だった。
「それは大変だったろう。入んな」
そう言って俺を小屋の中に招き入れてくれる。
やはり人間、見た目で判断するのは良くないね。
何はともあれ、これでようやく食事にありつける。
後はあれだ、風呂かな。
久しぶりに体を動かしたせいで、汗をかいてしまった。
その後はそうだな。
暖かい布団があれば、贅沢は言わないよ。
そんな謙虚な気持ちで、俺は小屋の中へと足を踏み入れた。