僕の守護霊計画
【呪ってやる 祟ってやる】
「――落雷があり、菅原道真の怨霊の仕業だと言われた。当時は自然災害や疫病を怨霊の仕業と――」
日本史の授業中、眠くなるような、間延びした教師の声を聞きながら、黒板に書かれた内容を一生懸命ノートに書き込む。
そんな僕の周りで、ケタケタと笑いながらぼさぼさした髪の毛を振り乱した女性がくるくると飛び回っている。
「――で、今では菅原道真は「天神様」として信仰されており――」
【末代まで祟ってやる】
血の気のない青白い顔に両目は死んだ魚のように濁っていて、着ている白い長襦袢は泥で汚れている。
僕にしか見えない彼女は、僕にしか聞こえない声で今日も呪詛を吐く。
僕は彼女の事をレイ子さんと呼んでいる。
幽霊のレイ子さん。
安直な名前だけれど、名付けた当時の僕はまだ幼児だったので許してほしい。
彼女とは12年前から一緒に過ごしている。
夕方になり、下校しようと靴箱を覗くと、靴が片方なかった。
僕の横でニタニタと笑っているレイ子さんをちらりと見た。
すると彼女は嬉しそうに僕の周りを飛び回る。
そんな喜ぶ彼女をしばらく眺めた後、僕はいつも通り、探すまでもなく下駄箱の上に置かれていた靴を取り、下校した。
校門を出た何もないところで転んだ。
レイ子さんが足を引っ張ったのだ。
僕は、いつも通り受け身を取って転がる。
制服が少し汚れてしまった。
砂を払う僕を見て、彼女は嬉しそうにニタニタ笑っている。
やれやれ、と思い歩き出した途端、今度は肩を引っ張られ、尻餅をついた。
連続で来るとは新しいな。と、思ていたら、目の前を自転車がものすごい勢いで横切った。
【自転車、危ない、ぶつかる、ダメ】
僕にしか聞こえない声で彼女は叱咤する。
「ありがとうレイ子さん」
背後に立っている彼女にお礼を言うと、彼女はうつろな目のまま首をかしげた。
彼女を初めて見たのは僕が5歳の時だ。
父親の肩のあたりに、大人の握りこぶし大ほどのもやもやした黒い塊のようなものが浮かんでいた。
「とーちゃん、それなあに?」
「ん?何のことだ?」
僕の問いかけに、しゃがみこんで目線を合わせながら言葉を返す父親の顔は12年たった今では記憶がだいぶ薄れ、ぼんやりとしか思い出すことができない。
「肩にあるよ、もやもや、黒いの」
「黒い……もやもや……。そうか、健太には見えるのか」
「それなあに?」
「とーちゃんもこれが何かは知らないんだよ。……その黒いもやもやはとーちゃんの肩にあるのかい? どっちの肩だい?」
「こっちの肩ー。とーちゃん、ほら、そこにあるよ」
僕は小さな手を一生懸命父の肩へと伸ばす。
「そうか、ここにいるのか。これはな、とーちゃんには見えないんだよ。とーちゃんも健太くらいの時には見えたけど、今はもう……」
「みえないの? なんでー?」
「健太よりちょっと大きくなったころに、山で死にかけてから、見えなくなってしまったんだよ」
「んんー? なあに?」
幼い僕は父のいう事の意味を理解することはできなかった。
そんな僕の頭を父は大きな手で撫でた。
とても優しくて暖かかった手。
父と母がこの世を去ったのは、それから一週間後の事だった。
その日、僕は父と母と一緒に、父の運転する車で山道を走っていた。
向かうのは曾祖父が住んでいたというとある山奥にある村。
僕の家は、祖父の代に山奥の村から別の大きな町へ移り住んでいて、一度もその土地へは帰っていないらしい。
祖父が村を出た時点で曾祖父母と曾祖父の兄弟は鬼籍に入っており、親戚付き合いもすべて断ってしまっていたらしく、さらに祖父は故郷を嫌っていたのだとか。
祖父も父も一人っ子で、僕は父方の親戚を一人も知らない。
祖父母は僕が生まれる前に二人ともなくなっていたし、祖母の兄弟にあたる人に父母の葬式の時に会ったらしいのだが、当時5歳だった僕は彼らの事は覚えていない。
その日は、会った事もないような遠い親戚が、昔に曾祖父から土地を預かったうんぬん、土地の名義がどうだとか、買い取りただとかなんだかそんなよくわからない話を持ちかけられ、実際、その土地を見てみようという事になり、ちょっとしたドライブを兼ねて山奥のを車で走っていた。
僕は後ろの座席のチャイルドシートの中で、うとうとと微睡んでいた。
初めに両親の悲鳴を聞いた。
悲鳴に目をさまし、眠い目をこすっていると、体中に響く衝撃が僕を襲った。
その時はわからなかったのだが、僕たち家族が乗っていた車は、崖の下へと転落していた。
わけがわからないまま、「かーちゃん、とーちゃん」と両親を呼ぶが、二人から返事は帰ってこない。
チャイルドシートのベルトを自分で外すことができなくて、僕は泣き叫びながら両親を呼ぶ。
ふいに、僕の口が何かによってふさがれた。
もごもご言いながら頭を動かすと、父親の肩にいた黒い塊が人間の大人のような形に大きくなっていた。
それは僕の背後の座席から生えるようにして覆いかぶさっていて、手のような部分で僕の口をふさいでいる。
【……る……メ】
黒い塊が、なにかぼそぼそとつぶやいたが、聞き取ることができなかった。
【……す、……る、ダ……、……】
黒い塊がまた何かつぶやいた直後だった。
車が ドカン という衝撃音とともに揺れた。
2、3回、音共に揺れたかと思うと、車を何か固いもので叩きつけるような音があちこちから聞こえた。
自由にならない体で目だけをきょろきょろ動かして確認したところ車の外にたくさんの人の形をしたもやもやが集まっていて、車を叩いているようだ。
僕は悲鳴を上げたが、背後から覆いかぶさる黒いもやもやによって、悲鳴はかすかなうめき声になるだけで、口の外へと洩れることはなかった。
「ううううう、何?この音?」
「落ちた……のか?……健太、大丈夫か」
両親の声と、もぞもぞ動く音が聞こえた。
今まで気絶していた両親が意識を取り戻したのだろう。
その時の僕は、両親の声を聴いただけで、ホッと安心をした。
なぜか、もう大丈夫だと思ったのだ。
バリンッ
という音とともにフロントガラスが割られた。
直後に響く両親の悲鳴。
僕の見ている前で、両親は黒くどろどろしたいくつもの大きな手に外へと引きずり出された。
大きな手の一つは、僕の眼の前にもやってきた。
僕が口の中だけで悲鳴を上げていると、背後の黒い塊が僕の口をふさいでいない方の手で、大きな手を叩いた。
すると、大きな手はまるで水の入った風船がはじけたようにべちゃりと飛び散り、消えた。
それからは後の事は記憶があいまいだ。
ただ、僕の口をふさいだ黒い塊がずっと僕と一緒にいたことは覚えている。
生臭い臭いがあたり一面に漂い、両親の悲鳴やぐちゃぐちゃという音が僕の頭の中にずっと響いていて、その音がなくなったと思ったら、病院のベッドにいて、母方の祖母が泣きながら僕を抱きしめていた。
後から聞いた話では、僕が発見されたのは事故が起こってから4日後で、警察の発表では僕と両親の車は山中の崖を落ち、チャイルドシートに乗っていた僕は無事だったが、両親はフロントガラスを突き破って車から飛び出し、死後、熊や野犬に食べられたという事になっているらしい。
だが、大人たちの話す噂を盗み聞きすると、エアバックもしっかり作動しているのにフロントガラスを突き破るのはおかしい。
両親はフロントガラスを突き破ったのではなく、壊れたフロントガラスから引きずり出されたのだ、しかし、もしそうならなぜ僕は無事無事だったのか。
車は、崖から落ちただけにしては、異様にボロボロになっていた、何か犯罪に巻き込まれたのではないだろうか、だが、事故現場は発見されるまで人が立ち寄った形跡がない。
だとか、いろいろ言っていて、みんな警察の発表には納得していないらしい。
ちなみに当時の僕は事故後精神的に不安定になって、事故の状況を説明できる状態ではなかった。
事故に遭ったその日からずっと黒い塊は僕と一緒にいた。
僕は、父の肩にいた黒い塊が守ってくれたから助かったんだと思た。
両親を亡くし寂しかった僕は、その黒い塊にお礼を言ったり、話しかけたり、自分のおやつを分けて供えたりした。
【の……、……や……】
僕の言葉に、黒い塊は答えるのだけれど、どうしても聞き取ることができなかった。
それでも僕は、声が返ってくるのがうれしかったので、黒い塊に話しかけるのをやめなかった。
事故が起こってから2か月ほどたつと、黒い塊はだんだん白っぽい人の姿になった。
幽霊みたいだな、と思ったので、レイ子さんと名前を付け、さらに事あるごとに話しかけるようになった。
月日はたち、僕が10歳に頃にはレイ子さんはさらにはっきりとした人の姿になった。
ただ、その姿は、全身泥と血のような物でぐしゃぐしゃの長襦袢に、頭が半分つぶれて片方の目玉が飛び出している姿だった。
不気味な姿だったが、ずっと一緒にいたので、あまり気にしなかった。
またしばらくすると、今度は襦袢についていた血のようなものが消え、少しはましな格好になった。
さらに、時はたち、飛び出していた眼は戻り、つぶれていた頭も治り、一見普通の女の人に見えるようになった。
そうして、それまで聞き取れなかった彼女の声が聞こえるようになった。
【末代まで祟ってやる】
彼女の口から出てきたのは、呪詛の言葉だった。
◆ ◆ ◆ ◆
「今日も祟りがすごかったなー。コワイコワイ」
夜、自室のベッドに腰を掛け、大きな独り言をつぶやいてみる。
若干棒読みの僕の言葉に、レイ子さんはうれしそうにニタニタと笑いながら僕の周りをぐるぐると飛び回った。
彼女の祟りとは、主に僕の持ち物を隠したり、転ばせたり、僕の周りを飛び回って「呪ってやる、祟ってやる」とつぶやくことだ。
はっきりいって、被害はたいしたことがない。
隠されたものは、大抵元あったものの近くにあるし、転ばされる時も、あまり大きな怪我をしないようなところを選んでいる。
僕の周りを飛び回って何か言うのだって、慣れてしまえばなんてことない。
正直、彼女の言葉が聞き取れるようになるまで、それらは、彼女が僕と遊んでいるんだと思っていた。
物を隠すのはちょっとしたいたずらか、宝探しゲームみたいなもの。
転ばすのは、彼女がじゃれついて遊ぼうといういう合図を送っているのだと思っていた。
なので、転ばされた直後は今度は僕が彼女を捕まえたり、抱きついたりして遊んでいた。
彼女の祟りがこんなに甘いのは、彼女なりに理由がある。
「今日は眠くないなーこのままずっと起きていようかな」
【!? ダメっ!】
僕の言葉を聞いて、レイ子さんはあわてた様子で僕に布団をかけた。
【健康に育つ、結婚、子供、末代まで祟る】
彼女は、ちょっと勘違いをしている。
【末代まで続かないとダメ】
普通、末代まで祟ると言えば、祟りで末代にしてやる……つまり一族を滅ぼしてやるという意味を持っていたり、長く執念深く一族滅びるまで祟りをおこしてやると言う意味だと思うのだが……。
「レイ子さんとお話したら眠くなるかもしれないなー」
【話す】
即答する彼女はじっと僕を見つめている。
最近、彼女の目が死んだ魚の目から死にかけの魚の目のようになってきた気がする。
「レイ子さん、”末代”って意味わかってる? 」
彼女は首をかしげた。
ぼさぼさの髪が、ぱさりと僕の腕にかかる。
【末代は末代】
「……僕は末代?」
【末代、違う、四代目】
「……僕の代で終わったら、僕が末代なんだけど」
【?、末代は末代、四代は違う】
彼女が言うには、僕は祟りだしてから”四代”目で ”末代”ではないらしい。
彼女の中の理屈では、”末代”という代まで、僕の一族を祟るそうだ。
しかし、ただ祟るだけではなく、”末代”を迎えるまで祟り続けるために、僕を生かさなきゃいけないと思っている。
僕はまだ末代ではないので、将来結婚して子供を作って、末代まで命をつなげなければいけないらしい。
だから彼女は、僕を殺すようなことはできない、それどころか……。
「レイ子さん、とーちゃんとかーちゃんが死んだ時の事覚えてる」
【三人、守る、無理】
「うん」
【一人、守る、ぎりぎり】
あの時彼女は僕だけを守ったのではなく、僕しか守れなかったらしい。
【山、行く、ダメ、山、あいつらの世界、私、力小さい】
「ほんと、曾爺ちゃん何やったんだろうね。山の妖怪……に祟られるなんて」
彼女のつたない言葉を何度も聞き取って推理した結果、どうやら僕の曾祖父が山の何かにとんでもないことをしたらしい。
その何かは、山の妖怪だと思っていたのだが、最近、もしかして相手は妖怪ではなく山の神だったのではないかと思っている。
まあ、山にも、曾爺ちゃんの故郷にも近づく気がないので、確かめるすべはないのだが。
【山だけ違う、昔、もっと人の呪い、恨み、祟りあった】
……ほんとに何やったんだよ曾爺ちゃん
【私、一番強い呪い、一番強い祟り、一番強い怨霊、ほかの邪魔なの消した】
レイ子さんは、頭は弱いけれど強い怨霊らしい。
一番強いのがレイ子さんでよかった。
他の怨霊の祟りがレイ子さんの祟りみたいに可愛いものとはかぎらないし。
【体傷つく、死ぬ、ダメ、心傷つく、死ぬ、ダメ】
「レイ子さんさぁ、怨霊に向いてないよね」
【寂しい、死ぬ、ダメ、まだ寂しい?】
「昔は寂しくて死にそうだったけど、今は大丈夫だよ。レイ子さんがいてくれるから寂しくないよ。でもね、将来できる僕の子供は寂しがり屋かもしれない。だって、僕の子供だもんね、僕が昔、寂しくて死にかけたの覚えてるでしょ? 僕みたいに両親が死んじゃうと寂しくて死んじゃうかも」
両親が死んだ直後、僕は毎夜悪夢にうなされ、夜泣きを繰り返し眠れなくなり、食も細くなった。
精神も不安定で、急に癇癪を起こしたりもした。
結果、病院で点滴のお世話になったり、カウンセリングにを受けたりした。
僕を引き取って育ててくれている母方の祖父母は僕までもが死んでしまうのではないかと、大変心配をしたそうだ。
死にかけたというのは大げさだが、僕の様子と祖父母の様子から、レイ子さんにとってあの時の僕は今にも死んでしまいそうに見えていたらしい。
【寂しい、死ぬ、ダメ】
「うん、寂しいの駄目だよね。家族や友達が急に死ぬと寂しいよ。それにさ、あんまり不幸な事とかあるのもよくないよね。大きな怪我をして体の自由が利かなくなったり、重い病気にかかったり、自分や家族、友達なんかがそんなことになったら、結婚して子供を作る気力もわかないだろうし、もしかしたら絶望して死んじゃうかも」
【不幸、死ぬ、ダメ】
「うん、不幸なのは駄目だね」
【私、寂しい、無い、する、不幸、無い、する】
「レイ子さんが寂しくなったり不幸になったりしないようにしてくれるの?」
【私、強い、……山はダメ、だけど、私、強い怨霊、末代まで祟る、守る】
「僕も僕の子どもも、そのまた子供も、”末代”まで子孫を残すように頑張るから、レイ子さん、守ってくれる?」
【私、守る】
彼女の言葉に、僕は笑みがこぼれた。
僕も僕の子孫も、きっと彼女に末代まで守ってもらえるのだろう。
「レイ子さん僕を祟ってうれしい?」
【うれしい?】
「僕はレイ子さんが傍にいてくれてうれしいよ」
【うれしい?】
「うん、子供のころはレイ子さんがいてくれたおかげで寂しくなかったし、守ってくれるし」
【死ぬ、困る、末代まで祟る】
「うん、それがレイ子さんの存在意義なんだよね。じゃあさ、末代まで祟ったら、どうなるの?成仏するの?」
【わからない】
「レイ子さんは幽霊になる前の事、覚えてないんだよね」
【私、末代まで祟る、覚えてる】
「末代まで祟りたい恨みがあったって事だけ覚えてるんだよね」
【そう】
「具体的な恨むきっかけって何?」
いつものように首をかしげながら、彼女は答えた。
【……わからない】
恨みの内容を覚えていないからこそ、彼女の祟りはこんなにも優しいのだろうか。
「あのね、守ってくれる霊は怨霊じゃなくて、守護霊っていうんだよ」
【?、私、怨霊、守護霊、違う】
「でも、守ってくれるんでしょ?」
【私、守る】
「じゃあ、守護霊だよ」
【守護霊?、私、怨霊?、守護霊?】
レイ子さんは頭を抱えた。
彼女は、深く物事を考えるのが苦手なようなで、僕のちょっとした言葉に、すぐ頭を抱えて考え込んでしまう。
【ううううううう】
何やら混乱している彼女に、僕はさらに話しかける。
「菅原道真って怨霊になったけれど、その後、天神様になったんだって」
今日の日本史の授業で、教師が言っていたことを思い出す。
怨霊は祭って鎮めれば神様になるのだ。
「レイ子さんさ、初めの黒い塊や、頭が割れていた時とかは確かに怨霊っぽかったけど、だいぶ綺麗になったよね。これって、だんだん守護霊になってきからじゃじゃない?」
【なんで、守護霊、なる?】
「んー、僕がさ、レイ子さんの事を僕を守ってくれる霊だと思って、お礼言ったり、お供え物をしたりしたからかな?」
【私、守護霊、違う、怨霊】
「今はまだ怨霊かもね。でも、きっともうすぐ守護霊になるよ」
【私、守護霊、なる?】
「そう、守護霊になるんだよ」
【うううううううう】
また頭を抱えるレイ子さんに今日も僕は声をかける。
傍にいてくれてありがとう。
守っていてくれてありがとう。
眠る直前に見た彼女は、ぼさぼさだった髪の毛が、少し櫛でとかされたように艶を持っているように見えた。