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帰還の蝶【長編・本編執筆済み】  作者: 清水 朝基
第二章 蕾のほころび
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愛の遊び〈エーシュキ・バーズィー〉

 ファールサ暦二二二年二月二五日。

 化粧煉瓦に彩られた中庭。春の花々が咲き誇る景色の中、怒号が轟く。

「宰相ッ! 宰相はいるか!」

「これは太守〈アミール〉よ。いかがなされましたかな」

「いかが、だと⁉ ふざけたことを申しおって! ベフナームはどこだ!」

 赤黒く染まった顔。

 おとなしく東部の統治で満足していればいいものを、たかが侍女上がりの妃の息子が、まったく図々しい。

「〈薔薇の宮〉に、〈花見〉にお出でになっております」

「……こんな昼日中にか」

 憤怒に、苦さと苛立ちが混じる。下がった熱量を過たず、穏やかに語る。

「黄玉様とのひとときを、惜しんでおられるのでございます。退宮まで、あと一年余りにて。――ところで、太守〈アミール〉よ。おもしろき話がございますれば」

「何だ。申せ」

「マタラムから、美しい薔薇と蝶が入りましてございます。ご生誕の祝宴にて、愛の遊び〈エーシュキ・バーズィー〉を行います。せっかく、遠路はるばるお越しいただいたのでございます――土産においくつか、いかがでございましょう?」

 精悍な面立ちが、凶悪に歪む。

「遠征の戦利品か――なるほど、おもしろい。期待しているぞ」

 丁重に礼をし、(きびす)を返して去る背中を見送る。

 鬱憤晴らしの玩具を与えておけば、しばらくは凌げる。苛烈な暴力を受けるであろうが、全ては、クーロシュの遺志を果たすためだ。異教徒が一人でも減るならば、むしろ一矢(いっし)二的(にてき)といえる。

 当日、ベフナームは必ず、第六王子の方を選ぶ。マタラム人の血が濃く出た幼い顔立ちながら、王家らしい真珠の肌なのである。

 しかも、瞳の色は緑で、王〈シャー〉の寵童となるにふさわしい。伽羅色の髪も、見事なものである。過たず色欲を射抜いて、〈薔薇の宮〉に通い詰めるだろう。その上、新しい妃を迎えれば、後宮で過ごす時間も増える。

 もはや、太子はパルヴィーズと決定した。男子が産まれても、正后の息子に勝るはずもない。

 ナスリーンは、まったくもって、よくできた娘である。クーロシュから直々に、結婚の打診があった時の喜びは、今なお忘れ得ない。

(偉大なるクーロシュ様は、天に昇られる間際、私に全てを託したのだ――)

 ディーダム教をあまねく広め、神ホダーの言葉である、ファールサ語による全土の統治を果たす――その、尊い志を。

(誰にも……誰にも、邪魔はさせぬ……)

 墓廟の方角を仰ぐ。深々と(こうべ)を垂れると、足早に政務室へと戻っていった。


 *


 噴き出して流れゆく、清水を眺める。丹念に手入れされた庭木と花々。高い技術に裏打ちされた美しさが、より一層、心細さを強める。

 マタラムから連れてこられて、もう一ヵ月半。

 スクワトは、ずっと殻に閉じこもったままだ。まるで、全てを拒絶するかのように、膝を抱えて動かず、一切しゃべらなくなった。特に、シャフリカシャンに着いてからの、この一週間は、部屋から、ほとんど出ていなかった。

 もう明日には、王〈シャー〉と会うのだ。

 きちんと話したいと思いながら、向き合う気力は残っていなかった。今度こそ、決定的な言葉を叩きつけてしまいそうで、怖かった。

 せり上がる喉を飲み込む。膝をきつく抱いて、高々と昇る噴水を見つめる。

 今、泣いてしまったら、二度と立ち上がれなくなる。因果は巡るのだ。何もしなくとも、結果はもたらされる。それなら、できることを為し続けたかった。

(戦えるのは……もう、ぼくしかいないんだから……)

 屋敷の(あるじ)である宰相のファルジャードは、緑の瞳を、ことのほか喜んだ。きっと寵童に選ぶだろうと、非常に丁重に扱われた。

 だから、おそらく、この身の安全は保障されている。問題は、他の三人だ。

 この知識と弁舌に、姉と甥、乳兄(あに)の処遇がかかっている。特に、スブラノが殺された理由がわからない以上、下手を打って、スヌンゴの命を危険にさらすわけにはいかない。

 身体が震える。唇を引き結び、高くそびえる水を睨んだ。


 翌朝、宰相の指示通り、念入りな身支度をして、宮殿へと出発した。

 化粧煉瓦の貼られた、壮麗な球体。強い日差しに、緑が燦然と輝いている。ファールサにとって、尊い色なのだと、改めて実感する。

 案内された部屋には、姉が座っていた。

 覆いのない素顔。久しぶりの再会に、思わず駆け寄る。

「――姉上っ……!」

 抱きつくと、しっかりとした感触が返ってくる。

 ずっと会いたかったのに、女の区画には入っていけないと、引き離されていたのだ。安堵して、気力が奮い立つ。

 嬉しそうに、紫の瞳が微笑む。そして、片腕を伸ばしたが、スクワトは冷たく見下ろしたままだった。そっと、言葉を押し出す。

「……ねえ、姉上は関係ないでしょ」

 しかし、甥は答えず、鼻で笑って、遠い場所に座った。

 あんな嫌な笑い方を、どこで覚えたのだろう。沈んだ気持ちで、敵意に澱んだ瞳を見つめる。姉に柔らかく促されて、おもむろに身を離す。

 もう、気にしても仕方ない。今日は、王〈シャー〉の生誕祝いで、贈り物の検分――愛の遊び〈エーシュキ・バーズィー〉まで、まだ時間があると聞いた。

 敷物に並べられた果物籠。

 腹が減っては頭も回らないと、そのひとつに手を伸ばした。


 姉とスヌンゴと三人で談笑して、腹も心も満たされた頃、ようやく宰相がやってきた。

 一列に並ぶよう指示されて、絨毯の真ん中に正座する。

 ゆっくりと扉の開いた先、丸々と太った男が入ってきた。まるで、丸焼きにされる寸前の豚みたいだ。

 間延びした声が感嘆する。

「なんとのう、まっこと素晴らしい! ファルジャードよ、そちの申す通りであったのう」

「誠に恐れ入ります」

 恭しい態度。この男が、王〈シャー〉なのか。

 それにしては、何とも締まりのない風体だ。想像と違いすぎて、思わず唖然とする。

「王〈シャー〉よ。いかがでございましょう。まずは、そちらの第三王女スムナリの瞳を、ご覧になっては。紫水晶の、大変美しい色合いでございますれば」

「おお、これは! まっこと珍しいのう。大切にするゆえ、わしの妃となるがよい」

 顎を掴まれて瞬く横顔。はっと覚めて、声を上げる。

「――ま、待って……! わたし達は、異議を申し立てるために来た。マタラムへの侵攻は、不当だ。速やかに兵を引いて、損害をつぐなうのだ」

 黒い髭面が、こちらを向いて、不思議そうに傾ぐ。あぐらをかき、髭をふさふさとしごくと、ひとつ頷いた。

「よくさえずる小鳥よ。学ぶのは、好きかの?」

「……え?」

 不可解な心持ちで、目の前の巨体を見つめる。

 おそらく通じているはずだ。この時のために、大人が使うような難しい単語も覚えた。多少、口調が変だったかもしれないが、意味におかしなところはない。

「政のことは、この宰相に尋ねるがよい。まっこと優秀での、おかげでわしは楽なものよ」

 のんきな笑顔。思わず、背後に控えるファルジャードを見遣る。

 冷淡に蔑む目が、王〈シャー〉を睥睨していた。

「しかし、最後に決めるのは、あなたのはずだ! 条約を破るなど、人の上に立つ者として、はずかしくないのか⁉」

「そのように申してものう」

 のらりくらりと、巨体が揺れる。

 返す言葉が見当たらなくて、それでも必死に、頭の中で単語を繰る。しかし、答えを導き出す前に、鷹揚な語りが始まってしまう。

「かように訛りなく話せるのであれば、苦労もなかろうて。我が寵童となり、〈緑の学院〉で、勉学に励むがよい。古今東西、余すところなどないゆえ、努力を惜しまぬ、そちには楽しかろうよ」

 ファールサの数あるマドレセ(学院)の中でも、円城内に居住権を持つ特権階級の子弟のみ、入院の許される最高学府。

 存在を知った昨年、留学したいと切望し、父と兄の顔を見て、諦めた。

「……わたしが寵童になったら、ここにいる姉と甥、従者の命の保障をするか? マタラムの島民達を、むやみに傷つけないと、約束するか?」

 王〈シャー〉が、宰相を振り返る。

 ファルジャードは、恭しく礼をして、よく計らうと答えた。頷いて、髭面が微笑む。

「これに任せておけばよい。――美しい緑玉の瞳ぞ。そちに、緑玉の間を与えよう」

 承知の意を伝えると、姉の耳についてなど、必要な説明をした。

 スクワトは心に留まらなかったらしく、ともに引き受けてほしいとの頼みは、断られた。

 ただ、愛の遊び〈エーシュキ・バーズィー〉は、身分の高い順に選ぶから、誰も引き取らないようであれば考えようと、王〈シャー〉は鷹揚に頷いた。

 それから、姉に事の次第を話した。

 后妃の住む後宮に赴く後ろ姿を見送り、スヌンゴとともに、枝葉院へと移った。

 寵童の暮らす〈薔薇の宮〉に併設された施設で、入宮希望者の選抜と基礎育成が、主な用途だという。

 実際、院長に案内される途中、礼儀作法を学ぶ少年達の姿が垣間見えた。

 広々とした部屋に通されて、ほっと絨毯に腰を下ろす。

 緑玉の間の準備が整うまでの一週間、ここで暮らすのだ。四角い敷き綿を抱き締めて呟く。

「……これで……よかったのかな……」

 柔らかく、手が触れる。気遣う面立ちが微笑む。

「きっと、うまくいきます。わたしは、どこまでも、お供いたしますから」

「ありがとう、スヌンゴ……」

 繋げて、身を寄せ合う。

 皆、離れ離れになってしまった。それでも、約束は得た。あとは、こちらが義務を果たすだけだ。

(でも……ファールサに、何の利益があるんだろう……)

 〈寵〉は、慈しむ、可愛がる、という意味だ。わざわざ志望する者がいるほど、寵童は恵まれた境遇にあるらしい。

 高度な学問を修め、歌舞詩楽に通じた、少年達。

 十五歳の披露目ののちは、妃の代理として、政治の表舞台に上がるという。

 寵童になれなくても、その側仕えや賓客の酌人をする侍童であれば、歌い手や舞い手に詩人、楽士として、名を馳せることも夢ではないのだ。

(確かに、平民だったら、とてつもない好機かもしれない)

 そういう、身分に埋もれてしまう才能を見つけて育めば、国力は高まるだろう。

 あの、巨大な軍船や精緻な庭園、華麗な宮殿――技術の粋を集めた、文明の結晶。感銘を受けつつも、そら恐ろしさを覚えた。

(ファールサの強さを学べば、助けになるかな……外側から、みんなを守れるかな……)

 公式行事に出席するようになれば、スティンヴァーリとも、繋がりが持てるかもしれない。十五歳までは遠いが、深く学べた方がいい。

(……でも……そんなことに、なったら……都合が、悪いんじゃ……、……)

 かくんと、船を漕ぐ。ふかふかの敷き綿。微睡んで、身をうずめる。

 今日は、たくさん話した。そして、一応の決着はついたのだ。

「何かございましたら、お声がけいたしますから――どうぞ、おやすみください」

 優しい、乳兄の声。礼を言って、細長い筒綿を抱き締める。

(……疲れた……)

 おもむろに、意識が溶けていった。

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