故国の証
頭の中で、先ほどまでの稽古の内容を、あれこれ復習する。
今日は、師範にたくさん指摘されてしまった。
どうにも、舞いは考えることが多くて難しい。
もともと身体を動かすのは苦手だったから、仕方ないのだが、最上寵童を目指すのであれば、そうも言っていられない。
披露目まで、すでに四年を切った。祝宴には、各国から国賓が訪れる。高官と面識を持つ、絶好の機会だった。
しかし、通常の寵童は、公式行事に出席はできても、外交権限は与えられない。
好機を活かすためにも、披露目前に最上寵童となり、正后の代理として、自由に活動できるようにする。それが、目下の目標だった。
廊下を歩きながら、ひらひらと、手首を動かす。居室に戻ったら、通しで踊ってみようと頷く。首の振りをして、ふと、見慣れた姿が目に入る。
年少の侍童と話す、黄褐色の横顔。身を寄せて、何やらひそひそと囁き合っている。
「いいの? ずっと、好みだなあって思っていたから、うれしい……」
「――あ、でも、そろそろもどらないと。ねる前でもいいかな」
「もちろん。……だけど、ちょっとだけ――」
侍童の顔が、近づいていく。
しかし、スヌンゴは抵抗もせず、佇んだままだ。
「ボルナー! 何をしている!」
ふたつの頭が同時に向く。スヌンゴが謝ると、侍童は残念そうに去っていった。
向き直って、スヌンゴが恭しく礼をする。
「申し訳ございません。どうしても、話したいことがあると、乞われましたもので……」
「それはいい。今、何をしていた」
信じられなくて、声がわななく。悪い夢でも、見ているのだろうか。
「花遊び〈グリ・バーズィー〉のさそいを受けましたので、その約束をしておりました」
「グリ・バーズィー……?」
「はい。ファールサでは、気に入った者同士で、口づけを始め、〈弓張り〉や〈弓引き〉、〈弓比べ〉をするそうです。大人になっても変わらない、強いきずなで結ばれると言いますし――せっかくなので、試してみようかと」
血の気が引く。気がつけば、肩を引っ掴んで叫んでいた。
「どうして、そんなばかな真似を! 男色が、どれほどの悪行か、スードラのきみでもわかるだろう!」
「……だからこそでございます、ステノゴ王子」
濃茶色の瞳を見つめる。
その、静かな色。覚悟を決めた表情に戸惑う。
「あなたを、お一人で行かせるわけにはまいりません。わたしも悪鬼となり、死しても、お供いたす所存でございます」
「スヌンゴ……まさか……」
手が震える。沈痛な面持ち。微かな声が語る。
「……ジャハーン師から、うかがいました。寵童の意味を――どのような行いが、なされているかを」
膝から力が抜けて、崩れ落ちる。しゃがんだ真摯な面立ちが、柔和に微笑む。
「あなたにお供できるならば、どうということはございません。スムナリ王女とも、ごいっしょできるのですから。きっと、楽しゅうございましょう」
思いきり頭を振る。マタラム人らしい顔立ちを見つめる。
日に焼けた、黄褐色の肌。彫りの浅い目鼻立ち。濃い色の、丸い瞳。
「スヌンゴ。お願いだから、きみは善の内にいて。きみは――きみだけが、ぼくとマタラムをつなぐ、ゆいいつの証なんだ。きみとヤワ語で話す時だけが、ぼくにとっての生なんだ……だから……だからっ……」
「ステノゴ王子……」
そっと、手が取られて包み込まれる。穏やかな、しかし決心のこもった音色が語る。
「わかりました。祈祷などはかないませんが、シワをおまつりする者として、でき得る限り、善行を積みます。誠にせんえつではございますが――王子、あなたの分もふくめて」
しゃくり上げながら頷く。背後で、ファールサ語が投げかけられる。
「緑玉様。そろそろ、お使者のいらっしゃる頃です」
「――わかっているッ!」
怒声とともに振り返れば、冷ややかな目が注ぎくる。スヌンゴが、手ぬぐいを差し出しつつ、そっと促す。
布で視界を遮り、深く呼吸する。
礼を言って返すと、顔を上げ、居室へと歩き出した。
絨毯に配膳された夕食。口に運ぶ度に、羊の独特な臭みが、鼻をつく。
毎日、毎日、ファールサ人は、飽きもせずに羊を食べる。脳まで煮込んで食べるのだから、もはや取り憑かれているといってもいい。
この臭みが、どうしても慣れなくて、飲み込むと、すぐに胃が暴れ出す。きっと、身体が食べ物と認識していないのだろう。
それでも、かけがえのない命だ。茶で、なんとか飲み下す。
空になった皿を見渡して、安堵する。指洗いに右手をつけ、布巾で拭えば、終了の合図だ。
(――ごちそうさまでした)
心の中で、手を合わせる。ファールサ語にも、同じ意味の文句があればいいのに、と思う。
居間へと移って、文箱から、紙と葦筆を取り出す。
今夜は〈花見〉がないから、ゆっくり詩作に励める。師範からの課題に取り組むには、絶好の機会だ。
腿に、下敷きの板を載せる。題材は自由。その分、難易度は上がる。
紙面を眺め、頭をひねる。さざめく波の風景が浮かんで、頭を振る。ファールサ人の気に入る景色でなければならない。
(……月……太陽……花……どれも、ありきたりだな……)
しかし、ありふれた題材から、巧みに生み出すことこそ、真の創造性ではないか。思い直して、中庭を眺める。
月影に照らされた噴水が、白く輝いていた。薔薇はもう終わってしまったが、葉の緑が艶やかに濡れている。初夏の瑞々しさを感じる、美しい光景だった。
葦筆を右上に置いて、書き始める。
ファールサ文字は、続く単語で形が変わるから、緊張の一瞬だ。一言一句に心を注ぎ、丁寧に綴っていく。
意識が薄く広がり、静かになる。言葉は違うのに、まるで読経しているような気分だった。歌も舞いも楽器も悪くないが、やはり詩が一番好きだった。
ふと、紙面が暗くなって、集中が解ける。鷹揚な声が降ってきた。
「なかなかのものよのう、シャーグルよ。さすが、わしが見込んだだけはある」
「――ベフナーム様っ……!」
あり得ない姿に驚愕する。
使者役の侍童は、確かに、見送りの旨を伝えてきた。手違いだとしても、〈追肥〉のために、ジャハーンが来るはずだ。手順が全く正しくない。
素早く威儀を正し、礼をする。
「いらっしゃるとは存ぜず、誠に申し訳ございません。このような粗雑な格好で、おはずかしゅうございます」
「よい、よい。ちと、気になったことがあってのう」
かけ声を呟きながら、巨体が座る。黒い髭をしごきつつ、焦茶色の瞳が見下ろす。
「シャーグルよ。この緑玉の間で、ヤワ語を聞いた者がおるようだが?」
鋭く光る、細い目。あくまで平静に、なめらかに答える。
「宮殿に上がる時のために、周辺諸国の言葉は、習得しておいた方がよいかと存じまして。時折、ボルナーと練習しております」
「なるほどの。殊勝なことよ」
「おそれ入ります」
目を伏せて、少し深めに礼をする。
顔を上げれば、機嫌のよい笑みが告げた。
「我が可愛い小鳥よ。〈薔薇の舞い〉が、見たいのう」
すっと、背筋が冷える。
舞いの終わったあとに、起こること。〈庭師〉の不在。冷たい威圧に光る目。その意図を悟る。
要望など、言い出せるはずもない。観念して、頭を垂れる。
「……かしこまりました。ご披露させていただきます」
髭面が、おおらかに何度も頷く。それから、控える侍童二人に向いた。
「他の侍童は、いずこかの?」
「下膳のため、厨に行っております」
「そうか。ならば、其の方が知らせに参れ。――ボルナー、そちは残って、見物するがよいぞ。シャーグルの舞いは、まっこと素晴らしいゆえのう」
思わず、その巨体を凝視する。
一瞬、戸惑うように瞳が揺れつつも、スヌンゴは深く頭を下げた。
「誠にせんえつながら、拝見させていただきます」
伝達役の侍童が退室する。
扉が閉まり、静寂が、あたりを包む。
ベフナームの正面に立ち、そっと息を吸う。歌いながら、くるくると舞い踊る。
羽織の裾が翻り、豪奢な刺繍が灯火にきらめく。誘うように手首をしならせ、腰を揺らめかせる。品は忘れず、優美で繊細に。
毛深い手が菓子の盆に伸びる。
おもむろに、寝間着の上を脱ぐ。衣擦れの音を響かせて、なまめかしく。
羽織の中で腰を振りながら、内腿に両手を這わせる。
それから紐を解き、下衣を取り払う。ベフナームが並々と茶を注ぐ。背を向けて尻を突き出しつつ、下着を下ろす。
羽織を操り、肩まではだけても、肌は見せないように舞い続ける。
一杯、二杯。あおって、こんと茶器が鳴る。立ち上がる巨体。肥えた腹を露にしつつ、迫ってくる。
背を向けて羽織を滑らせ、膝をつく。
感触が来たと思った瞬間、一気に身体が砕けた。
「いやはや、柔らかくなったのう。とはいえ、締まりは変わらぬ。まっこと、そちは素晴らしき薔薇よ」
太い指が、胸の粒を摘まみ上げる。肉厚な短い腕にしがみついて、悲鳴をこぼす。
「そんな、にっ……引っ張ったらあぁっ!」
爪を立てられ、にわかに果てる。
執拗に、爪弾き、こね回し、摘まんで引く、肥えた指。悶えながら、びくびくと跳ねる。
「おお、良いのう。良くてたまらぬよのう。大きく膨れて、この愛らしい豆粒よ。どれほど育つか、まっこと楽しみだのう」
はらはらと涙を流す、濃茶色の丸い瞳。
スヌンゴは、風呂で世話をしながら、どんな思いで見ていたのだろう。
明らかに肥大した、胸の粒。スヌンゴの方が、背も伸びて、どんどん成長していくのに、そこはずっと、存在するかどうかわからない、ただの点だ。
きつく引き伸ばされたまま、打撃に身体が押し出される。響き渡る破裂音。激しい官能が、腰から突き抜けていく。
「よう締まるぞ、シャーグルよ。そちは、果てる方が好きよの。もっと欲しかろう?」
悶えて嬌声を上げ、甘くねだる。弓を立派だと誉めそやせば、昂った声が降ってくる。
手が離れ、肩を突かれる。崩れるまま、床に倒れ伏す。
尻に叩きつけられる、肥えた腹。突き破りそうなほど、奥深く轟く。押し出されるように、悲鳴が喉を切り裂く。
(もういやっ! 早く終わって……!)
散乱した衣。その、鮮烈な赤。
数多の矢が突き立った父。噴き上げる血。倒れゆく兄。泣き叫ぶ、幼い弟と妹、甥と姪達。行方の知れない――おそらく殺されているであろう、母達と義姉達。スクワト。
――砕けた、姉の顔。
ただ、普通に暮らしていただけなのに。ファールサに戦いを仕掛けたことなど、一度もないのに。
絶叫の中で、ひたすらに許しを乞う。上機嫌な声が、愉快に笑う。
「我が可愛い小鳥よ。さえずる言葉を思い出したようだのう。何よりなことよ。――ほれ、もっと歌ってみよ」
尻を叩く音が、高々と突き抜ける。弾ける痛みに、身体が跳ね飛ぶ。
「おお、よう締まるのう! 良いぞ! 良いぞ! シャーグルよ、今こそ、白矢をたんと射てやるからの!」
二つの破裂音が、居室中に轟く。
何の感覚かもわからない強烈な官能。がくがくとわななくまま、呻きをこぼす。
腕をひねり上げられて、仰向けになる。髭面が、満足げに笑う。
「なんとのう、愛らしい顔よ。今宵の〈花見〉は、まっこと素晴らしいものであった。のう、我が可愛い小鳥よ」
「……は、い……ベフナーム様……薔薇は、このように……咲き乱れて……悦楽に、ふるえて……おります……」
膝裏を掴んで、腰を浮かせる。力を加減して、前後ともに痙攣しているように動かす。
「うむ。次の〈花見〉を、楽しみに待つがよい」
砕けた身体を叱咤し、なんとか正座する。衣を整える巨大な背中に囁く。
「……慕わしいあなた様に愛でていただくことこそ、ぼくの喜び――心から、お待ちしております……おやすみなさいませ……」
うむ、と頷いて、あっという間に、巨体が去っていった。
扉が閉まった途端、ふーっと力が抜けて、倒れ込む。スヌンゴが、悲鳴を上げて駆け寄ってくる。
「……っステノゴ王子……! ああ、王子! 王子っ!」
ぼろぼろと、こぼれる涙。きつく握られた手。
しがみついて泣き叫ぶ背中に、そっと触れる。
「スヌンゴ……ごめん……ごめんね……」
とうとう、本当に知られてしまった。
どんな方法で、皆の命の保障を得たのかを。どんな言葉で、媚びを売っているのかを。不浄の場所で、快感を得ていることを。男にはない女の場所で、果てていることを。
〈追肥〉もなしに、受け入れられる身体になってしまったことを。
なんて、浅はかだったのだろう。話なんて、今夜、寝る前でもよかったのに。
涙が、耳へと落ちていく。乳兄の悲泣の声を聞きながら、ただただ真っ白な天井を見つめた。
*
サカ暦七六七年カサ(一番目)の月の中旬。
緑玉の寵童〈ボカ・ラナン・シン・ナムパ・シ・シャ・ラン・ペルマタ・イジョ〉。
その、たった九語が、胸に重くのしかかる。どれほど読み返しても、直線的な癖のある字は、揺るぎはしなかった。
ステノゴが、悪行に堕とされてしまった。決して浄められない悪行に。
あんなにも気持ちの優しい子が、穢らわしい欲によって、辱しめられたのだ。それも、同じ男の手によって。
王〈シャー〉は、父母を同じくする姉弟と、夜をともにしたことになる。その、おぞましさ。手紙を握る手がわななく。
(これ以上の恥辱を、味わえというのか――まだ、十一歳の子供に)
外帝将の綴った答えは、受け入れがたいものだった。
ステノゴを、間者として利用する。
言葉を迂回させたところで、要はそういうことだ。詫びも、気遣いも、何もかもが詭弁だった。
ファールサにいる限り、ステノゴは、夜ごと苛まれ続けるのだ。まだ初芽も出ないような年頃の子供を、どうして、そんなむごい場所に置いておけるというのだろう。
緩やかに深呼吸をして、昂る心身を落ち着かせる。
竹筆を手に取ると、反対の意を表した返信を、したため始めた。




