9 幻炎の訪い
夜半。激しい雨が窓を叩き、雷鳴が絶え間なく空を裂いていた。
カエリウスはなぜか眠れず、小さなテーブルに燭台を置き、籐椅子に身を沈めて書物を読んでいた。頁は時折、稲光に白く照らし出される。
ふと、顔を上げる。
部屋の中程に、女が立っていた。
カエリウスは思わず立ち上がり、膝から本が落ちる。
「……何者だ」
女は無言のまま、蝋燭の光の中へと進み出た。
「トゥイラ姫……? 外の護衛は……? 何故ここに」
「夜分にこのような方法で押しかけたこと、お詫びします。この姿は幻影。姿が見えるだけで実体はありません。だから、あなたを傷つけることはできません」
「あの離れにいても、魔術が使えたというのか……」
カエリウスの声が掠れる。
「窓から手を出しました。だから、ほんのわずかだけ……。害意はありません。ただ、どうしても二人きりで話したかった」
トゥイラは彼の前に立ち、そっと頬に手を伸ばす。
触れられるはずはない――。
そう分かっていても、カエリウスは思わず身を退き、椅子に倒れ込む。底知れぬ恐怖が胸を締め付けた。
「時間がない。ノパシリの王、どうしても伝えたいことがあるのです。あなたに渡したいものも」
トゥイラは手を引き、唇を噛む。
そして、もう一度手を伸ばすと肘掛けにあった彼の手に自分の手を重ねた。
カエリウスは触れられていないはずのその手を唖然と見つめ、ゆっくりと顔を上げた。
彼女の黒い瞳が悲しげに揺れている。
カエリウスの青い瞳も、細められる。
知らずに、手を返し、触れられない手を握りしめるように、拳をそっと握った。
「私は、あなたを待つ」
次の瞬間、幻影は蝋燭の火を吹き消されたように、ふっと掻き消えた。
カエリウスは急いで手を伸ばしたが、そこには蝋燭が揺らす闇しかなかった。
押し殺していた息をゆっくりと吐き、彼は額を抑えた。
悲しみを湛えるような黒い瞳が、心を支配する。
雷鳴が轟き、雨はなおも降り続けていた。
◇◇◇
「姫!」
窓に腕を差し出していたトゥイラは、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。




