45 番外編 ヴァルデン公閣下の小さな嫉妬
「なぁ、リウ。ちょっとだけバルコニーに出てもらえないか?」
少し青ざめた顔で、カエリウスの妻トゥイラが執務室に入ってくるなりそう言った。
深い藍色のシンプルなセレスタ式のワンピースを纏い、ヴァルデン公爵家の侍女たちに結われた黒髪がうなじをすっきりと見せる。その後毛が首筋をかすめ、妙に艶めかしい。
カエリウスは手にしていた書類を置き、彼女に歩み寄って肩を抱き、共に執務室のバルコニーへと出た。
白いバルコニーの向こうから、陽光が庭園の池に反射し、揺れる光がトゥイラの横顔を照らす。彼女は片手をかざして、じっと見つめる。
「……ほら」
不安げな視線をカエリウスに向ける。だが何も起こらなかった。カエリウスは微笑み、首を傾げる。金の髪がさらりと肩に流れ落ちた。
「モシリカの炎が出せなくなってしまったんだ。でも、体に魔力が巡る感覚はあるし、力が衰えたわけでもない」
カエリウスは彼女の指先を包み込むように握り、低く呟く。
「……シリカナヌプリを離れたことで、セレスタの魔力に順応したのかもしれないな」
「そうかもしれない」
そこで、トゥイラがふっと笑った。
「研究所に行くか? フィオレンツとかいうトンチキな研究者なら、きっと飛びつくだろう」
カエリウスは苦笑しつつも、彼女を後ろ向きにさせ、わざと背後から抱き締めた。うなじにそっと口付けを落とす。
「いやだ」
「え?」
「そんなことを言えば、セラドンは平気な顔で君の手を握ったり触れたりするだろう。絶対に嫌だ。だから、しばらくは黙っていてくれ」
トゥイラはころころと笑った。
「リウは大人の男のふりをして、心が狭いのだな」
「私の心が狭いのは、君に対してだけだ」
笑いながら、彼女は振り返り、腕の中からカエリウスを見上げた。
「熱烈な口説き文句を言ってるって、自覚してるか?」
「夫が妻を口説いて、何が悪い」
トゥイラが声をあげて笑った。
「リウと口付けがしたい」
カエリウスは片眉をあげ、顎を軽く持ち上げると短いキスを落とす。
「……これだけ?」
「見ただろ。私はさっきまで仕事をしていた」
「だから?」
カエリウスは大げさにため息を吐くと、彼女を抱き上げた。膝裏に腕を回し、軽々と。
「また侍女たちに、昼間から君の髪を乱したと叱られるんだろうな」
「あはは! 可哀想に!」
二人は笑いながらバルコニーを後にした。
庭の池に反射する光は、穏やかな風に揺られてきらめき、まるで二人の笑い声を映すかのように楽しげに踊っていた。




