40 約束
城に戻り、アドリアンに水浴びを手伝ってもらった頃には、カエリウスはすっかりくたびれていた。
白いシャツとトラウザーだけの楽な格好で、敷かれた布団に横たわる。腕を枕にして、開け放たれた窓の向こうを流れる雲を、ぼんやりと追った。
――滞在は思ったより短く済んだ。その分、復興支援に時間も予算も回せるだろう。本格的な寒さが来る前に、少しでも整えてやりたい。
そんなことを考えていると、背後でカタンと音がした。体を向ければ、案の定トゥイラが立っていた。
「ここは男の寝室だ。入ってくるな」
「そうか? 焼き芋をもらってきた」
文句を言ってもどこ吹く風。トゥイラは当たり前のように座り込み、半ば無理やりちぎった焼き芋を口に押し込んでくる。
「甘い。……水が欲しくなるな」
「口移しで飲ませてやろうか」
カエリウスは顔をしかめ、ふいっと背を向ける。
「やめろ。そういうのは、いい」
「あはは。かわいい人だな」
観念したように上体を起こすと、トゥイラは背中合わせにぴたりと寄り添った。
「……何をしている」
「これくらいなら、触れてもいいだろうと思って」
「……」
カエリウスは背中越しに体重を預け、トゥイラが小さく笑って抗議する。
振り返った彼女はカエリウスの肩を掴み、自分の膝に寝かせた。
疲れていた彼は、抵抗もせず受け入れることにした。
濡れた髪をすくように撫でるトゥイラの指が優しい。
「髪が濡れているな。色っぽい」
「すぐそういうことを言うのはやめろ」
「苦手か?」
「……昔、色々嫌なことがあった」
「そうか」
間を置いて、彼女が囁いた。
「口付けたい」
「だから、嫌なんだと言っ――」
見上げれば、黒い瞳に光を宿したトゥイラが柔らかく微笑んでいた。
思わず目を奪われた瞬間、唇が重なる。
ほんの一瞬――けれど、確かな熱があった。
「……二度と私に触れるなと言ったはずだ」
「もっと早く、こうして穏やかに過ごせていたらな。……今更だけど、カムイチカとの許嫁の約束はなくなったよ。私は本当に、貴方の妻になりたかったんだ。最初から貴方に惹かれていた。他の誰のものにもなりたくない。どれほど距離を置かれても、貴方はずっと誠実で優しかった。この先、貴方以上の人間には絶対に出会えないだろう」
トゥイラの瞳に涙がにじみ、やがて一筋がカエリウスの頬に落ちた。
「……もうすぐ帰ってしまうんだろう? だから少しでも、一緒にいたくて」
その震える声に胸を締め付けられ、カエリウスは身を起こす。
「私が国に戻ったら、君は泣くのか」
「失恋したら、そりゃ泣くだろう」
「カムルカのためじゃなく、私を求めているのか?」
「巫女としては情けないが、最初からそのつもりだ。何度も言うが、貴方こそが、私の唯一の人だ」
カエリウスは彼女の後頭部に手を添え、引き寄せてもう一度口付けを交わした。
「公爵夫人の肩書は重い。耐えられるか?」
目を見開くトゥイラに、さらに言葉を重ねる。
「それに、私は存外面倒な男だ。すぐに連れて帰ることもできない。一年はかかる」
「それでも……私は貴方の妻になりたい」
抱きつく彼女を、カエリウスは強く抱き返した。
「……はは。結局、君に絆されてしまったな。――トゥイラ、君を私の妻に迎えたい」
涙をこぼしながら笑うトゥイラが再び唇を寄せる。
カエリウスはその髪を撫で、静かに約束した。
「できるだけ早く迎えに来る」
「……うん」
短く返したその声は、涙で震えていた。




