32 毒の記憶
――胸を掴まれるような痛みに、視界が白む。
次の瞬間、光の向こうに懐かしい部屋が見えた。
テーブルについた少年の、肩で切り揃えられた金の髪に燭台の灯りが映り込む。大きな青い瞳は、そばにいた教育係の女性を見上げた。
「今日の食事はなんだろう?」
「楽しみですね、殿下」
「デザートは果物よりケーキがいいんだけど」
「まぁ、殿下ったら」
女性が朗らかに笑えば、まだ七歳のカエリウスも無邪気に笑った。
七歳の王子の夕食は自室で一人きり。セレスタでは特別な行事がない限り、十二歳になるまで王族の食堂に入ることは許されなかったからだ。
テーブルに次々とカトラリーが並べられていく。その時、廊下が少し騒がしくなった。カエリウスが教育係を見上げると、扉の方を見ていた彼女の顔が青ざめていたのがわかった。
「なぁに?」
女性はすぐに無理やり笑顔を作り、穏やかな声を返す。
「なんでもありませんよ」
だが、カエリウスは聡い子供だった。何かを隠していることなどすぐに察してしまう。
椅子を飛び降り、廊下へ駆け出した。
「殿下! お待ちください! 誰か殿下をお止めして!」
女性が叫ぶ声を背に、小さな身体はメイドや護衛の手をすり抜けて走る。
開け放たれた部屋から「医者を呼べ!」「急げ!」と怒号が飛んだ。
カエリウスはその部屋に滑り込む。使用人たちが悲鳴を上げた。
「殿下! 見てはなりません!」
メイド達に抱き締められ、視界を覆われる。
「何があったの!?」
必死に問いかけても、大人たちは追い出そうとするばかりだった。
――その隙間から、見えてしまった。
床に投げ出された椅子。散乱した食器と食べ物。
そして、全身を痙攣させ、血を吐きながらもがき苦しむ男の姿。
毒見役の使用人だった。
カエリウスは瞬時に理解した。誰の食事に毒が混ぜられたのかを。
男のうめき声が部屋を震わせる。
「吐瀉物に触るな!」
「医者はまだか!」
「殿下! お下がりください!」
大人たちの声に押され、カエリウスは一歩、二歩と後ずさる。だが、急に込み上げる吐き気に耐えられず、その場で嘔吐した。
やがて食事は作り直され、改めて彼の元に運ばれた。だが、どうしても口にできなかった。
スプーンを持つ手は震え、口に運んでも飲み込むことができず、吐き出してしまう。
差し出された果実水すら、喉を通らなかった。
――男の声が頭の中でこだまする。
充血した瞳がこちらを見ている。
「うぇっ……げほっ!」
「殿下!」
カエリウスは食卓を覆い、食事を払い落とした。
教育係が抱き締めても、彼は嗚咽を止められなかった。
その夜、少年の中で何かが静かに凍りついた。
ただ泣き続けるばかりだった。
涙と吐息の中で、甘かったはずの果物の香りが、胸を締め付けるほど苦かった。




