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29 黒き波、城門に来たる

「来たぞ――!」

「南西!」

「構え!」


 物見台から南西を望めば、神山の方角から黒い波のようなものがうねりを上げて押し寄せていた。シリオペ――。かつて人であったものの成れの果て。

 城壁の上に弓兵が立ち並び、トゥカシと呼ばれる魔術師たちが一斉に詠唱の構えをとる。轟々と燃える松明が背を照らし、影が長く揺れた。


 物見台に立つカエリウスとアドリアン、その隣でイコルが唇を結ぶ。

「あれがシリオペ」

 彼の指す先、黒い群れが地を揺らして迫ってくる。

「かつては誇り高きもののふだった」


 ドーンッ――。

 大地を震わせる衝撃音。群れが城門に体当たりをしていた。カエリウスらは咄嗟に柵を掴む。

「生きる者の匂いに惹かれるのだと、ウタラ様が言っていた」

 淡々と告げるイコルの瞳には、感情の色はなかった。


「弓兵! 打て!」

 号令とともに火矢が放たれる。轟と燃え、黒き群れが悲鳴を上げる。腐臭が風に乗り、吐き気を催すようだった。

「……泣いている声に聞こえるな」

「泣いているんだ」

 カエリウスのつぶやきに、イコルがすぐ応じた。城中を突き刺すような泣き声が覆う。


 トゥカシの炎も飛び交うなか、カエリウスは、地形と彼らの魔術の威力を注視していた。本来なら責任者として後方で指揮を執るだけのはずだった。だが、カムルカの者たちは彼がノパシリの王であると知っている。前線に立つのは当然と見られている――一方で、随行してきたセレスタ人やアルブレヒト人はそれを知らない。

(……どう動くべきか)

 打ち合わせの前提を崩さずにはいられない状況に、カエリウスは思考を巡らせていた。


「イコル、弓は持ってきたか?」

「ある」

「東に、離れた群れがいる。あれを狙えるか」

 カエリウスは彼の肩に手をかけ、指差した。城門を執拗に叩く群れとは別に、東にも塊がいた。

「遠いが、射られる」

「効果があるかは分からない。だが、私を信じてくれるか」


 風が髪をはためかせ、青い瞳が鋭く光る。イコルはその視線を見据え、強く頷いた。

「姫が閣下を信じている。なら俺もだ」

「よし。手を貸せ」


 カエリウスはイコルの右手を取り、その掌に口づけた。

「閣下!」

 アドリアンが悲鳴を上げる。だが、イコルは驚きながらもにやりと笑った。


 構えられた弓の矢先に、炎が灯る。

 キンッ――。

 矢が放たれたその瞬間、風が逆巻き、夜の闇が一瞬だけ青白く輝いた。

 まるで天がその矢を導いたかのように――。

 次の瞬間、轟と爆ぜた。

 目を灼く閃光、吹き荒れる風。思わず顔を腕で庇う。


 東の兵たちから歓声が上がった。そこには炎が渦巻き、泣き声すらかき消されている。

「トゥカシ! 水だ!」

「門が燃えるぞ!」

 叫びが飛ぶ。イコルがすぐに二射目を放ち、矢は城壁に突き刺さる。軌跡を追って水塊が飛び、ざばんと炎を呑み消した。


「イコル! やりすぎだ!」

 城門から罵声と笑い声が入り混じる。

「……威力が強すぎて加減が分からんな」

 手のひらを見つめるイコルに、カエリウスは苦く笑った。


「閣下、今のは……」

 アドリアンの声は震えていた。カエリウスは振り返り、静かに答える。

「私には、魔術を増幅する力があるらしい」

「初耳ですが!」

「……私自身も、怖いのだ。何を壊すのか分からない力だからな。

 ……どうやら私は戦場に立たねばならない」

「そんな……!」

「私たちはこの地を守るために来た。力を使わずにいることは許されない」


 アドリアンは崩れるように膝をつき、蒼白な顔で頭を垂れる。

「……お守りします。閣下を一人にはしません」

 その声に震えが混じっていた。

 カエリウスは彼の肩に手を置き、言葉もなく頷いた。


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