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23 巫女の祈り

 新月の夜。白い月は影に隠れ、赤い月は細い傷のように夜空に浮かんでいる。手持ちの灯りだけを頼りに、カエリウスは研究所敷地の端にある忘れられた礼拝堂へと歩を進めた。

 カエリウスは、護衛やアドリアンが十分に離れたことを確認する。

 そして、静かに礼拝堂の扉を押し開けた。


 狭い部屋の中、四隅の床に直接置かれた燭台の炎だけが煌々と燃えている。正面中央の台座には申し訳程度の小さな聖像が置かれ、古びた木のベンチが六つ、聖像の方を向いて整然と並べられている。聖像の奥には高い位置にステンドグラスの窓があるはずだが、そこからは何も光は差し込まず、ただただ闇が聳えていた。

 聖像の前に立つ、髪を下ろしたままのトゥイラは、ゆっくりとカエリウスを振り返る。カムルカの衣服を纏った彼女を、蝋燭の光がぼんやりと映し出していた。


「ノパシリの王、この機会を作ってくれたこと、感謝する」


 囁くような声。カエリウスは目を細め、彼女から一番遠い壁にもたれるようにして立った。


「ノパシリの力の振るい方を、教えて欲しい」


 声量を落としたが、声は礼拝堂内によく響いた。天井に目をやるも、そこには暗闇しか存在しない。


 トゥイラはゆるやかに歩み寄る。衣擦れと呼吸だけが、静謐な礼拝堂を満たしていた。


 目の前に立った彼女は両手でカエリウスの頬を挟み込み、黒い瞳を深淵のごとく向ける。理性は振り払えと叫んでも、体は縫いとめられたように動かなかった。


「覇者の剣を持ち、力を望め。さすれば剣は貴方に応えるだろう」

 

 トゥイラが背伸びをして、唇を重ねる。カエリウスの足が燭台を蹴り、じゅっと音を立てて蝋燭の火が消えた。

 震える手で、トゥイラの肩を掴んで、引き剥がす。


「……なぜ。……なぜ君は私に触れたがる」


「貴方が美しいから」


 あまりにも真っ直ぐな瞳。

 カエリウスは息を呑む。

 その答えが、救いのないほど真実だった。


「ノパシリの王、私を欲せ」


 カエリウスは首を振った。

「私は生涯、誰とも結ばないと決めている」

 トゥイラは苛立ったように肩に垂れていたカエリウスの髪を強く引き、乱暴にもう一度口付けをすると、彼の唇を噛んだ。

「……つっ」

「……酷い人だ」

 唇についたカエリウスの血を舌で舐めとり、トゥイラは吐き捨てるように言う。


「……私のことは放っておいてくれ」

 カエリウスは手の甲で自分の血を拭いとるが、痺れるような鈍い痛みが唇に残った。

 

 黒い瞳でカエリウスをじっと見つめた後、トゥイラは踵を返し、聖像の前に戻る。床に座り、動かなくなった。巫女の祈りが始まったのだ。


 カエリウスは扉に近い席に腰を下ろした。祈りの時間は永遠のように続く。


 やがて、夜が明けた。

 消えた蝋燭の煙の匂いだけが、二人のあいだに残っていた。

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