2 別れ
「……姫様、朝でございます」
女の声にトゥイラが細い灯り取りの窓を仰げば、白み始めた空が覗いていた。
鳥の鳴き声さえしない。
希望の朝。――しかし、繰り返される絶望の朝でもあった。
「いつまで続くのかしら……」
一人の女の呟きに、ため息や啜り泣きが重なり、暗い室内を満たす。
トゥイラは胸の奥のため息を呑み込み、明るい声を無理に張った。
「戦いを終えた男たちが戻ってくる。迎えに出よう」
◇◇◇
女たちが外に出ると、鎧を軋ませて戦士たちが戻ってきたところだった。皆、疲労で顔は険しい。
「カムイチカ!」
先頭を歩く背の高い青年が顔を上げる。
「……姫」
「怪我人は?」
トゥイラは駆け寄り、その手を取った。少年と青年のあいだの姿だが、その手はすでに節くれ立ち、戦士の重みを帯びていた。
カムイチカは首を振り、頭高く結んだ黒髪が揺れる。
「皆無事だ。誰一人欠けず、朝を迎えられた」
「……良かった」
安堵の声が漏れ、ほんの一瞬、彼女の肩が緩む。
だが、カムイチカの瞳に浮かぶ影に気づいて、息を呑んだ。
「だが――トゥイラ、ウタラ婆。話がある」
◇◇◇
板張りの部屋に、戦士たちが思い思いに腰を下ろす。中央でカムイチカとトゥイラが向き合い、傍らにはウタラが控えていた。
「日に日に数を増している」
静かながらも重い声が広がる。
「夜通し戦い、昼は畑を耕し、矢を作り、壁を修繕する……このままでは皆の身が持たぬ。
それに、外の田畑はシリオペに荒らされ、壁内だけでは冬を越せないやもしれぬ」
その場に沈黙が落ちる。やがてウタラが掠れた声を響かせた。
「姫、試練の時が来たのです」
「え……?」
「ノパシリへ旅立つのです」
トゥイラは目を見開く。
「でも……!」
「シリカナヌプリの血を絶やさぬために。姫、時間がございませぬ」
カムイチカも膝上の拳を見つめ、絞るように言った。
「沖に置いた船も、いつ失われるかわからない。もう悩んでいる暇はない。行くんだ、姫……貴女だけでも」
「いやだ……一人でなんて。カムイチカも一緒に」
思わず漏れた声に、自分でも驚いた。
彼は、幼い頃からずっと隣にいた。兄のようで、友のようで、支えそのものだった。
トゥイラは首を振り、その黒い髪が揺れた。
カムイチカは彼女の両肩に手を置く。
「俺はシリカナヌプリの守り人だ。この地を離れることはできない。――姫、決断してくれ」
「イコル、サラナ。姫を守れ」
ウタラが呼びかけると、影のように現れた夫婦は膝をつき、深く頭を垂れた。
「御意」
カムイチカが立ち上がり、戦士たちに呼ばわる。
「船に荷を積め。陽が暮れる前に出発せねば危うい」
返事の声が響き、皆慌ただしく部屋を出ていく。
残されたトゥイラは呆然とし、カムイチカの裾をそっと掴んだ。
「巡礼以外で島を離れる者を、俺たちは見送れぬ。掟だからな」
「……うん。でも……、怖いの」
声がかすれた。
カムイチカは一瞬目を閉じ、それから彼女の肩を強く抱き寄せた。
「俺は、お前が帰る場所を守る。それが俺の役目だ」
「……ありがとう。私も、必ず帰る」
互いに目を合わせ、微笑む。
長い年月を共にした家族のような信頼が、言葉より深くそこにあった。
その日、カムルカの姫トゥイラは、ノパシリへの旅立ちを決めた。




