【4】
僕の名前は面隠実。
またの名を、ハイド仮面。
職業は、ゲーム実況系バーチャルライバー。
ただし、現在は無職も同然である。
活動を無期限で休止しているからだ。
実況者としての活動は、中学生と高校生の間に始め、細々と続けていた。そして、進路を決めるような時期に、1本の動画がバズり、軌道に乗り始め、ファンも収益も増えたため、僕は本格的に道をそちらへと切り替えることにした。
そして、高校卒業後。
僕の活動は順調だった。ソロもコラボも盛況。苦しいこともなく、愉快に日々を過ごしていた。
チャットアプリのアイコン変更。それが僕とりらりの合図だった。
目標を達成して、3ヶ月が経過したら、アイコンを変更すること。
お互いのアイコンが変更されたら、また会うこと。
ただし、偶然会った場合は、それはそれということで普通に接すること。
そんな約束をしたのだ。
そして、1年ほど前にりらりはアイコンを変更していた。
そしてそして、チャンネル登録者数が百万人を超えるという目標を僕はつい3ヶ月ほど前に達成した。
だから、もうすぐ会える。りらりと会える。
けれど、メンタルがダメだった。
百万人を超えて数日。
突然、実況ができなくなった。
いつも通り、面白そうなゲームを見つけ、起動し、マイクを設定して、画面録画の準備をして、後は僕が喋るだけという段階で。
声を出す気力が、ゼロだった。
最初は、ちょっとした気の緩みだと思った。安心して、逆にいつも通りにできないのだと思った。
けどそれは、的外れだった。
何度も何度も。何日も何日も。
ダメだった。いつまでも、実況は録れなかった。
慣れているゲームをやっても、操作がまともにできなかった。
声が出ても、覇気がなかった。
だから、3ヶ月が経過しても、僕はアイコンを変えることができなかった。
活動のことを話すのなら、胸を張って言える状態でいたかったのだ。
りらりに、自己満足を見せたかったのだ。
いつも通り、高校生活と同じように、りらりと会話して、褒められるか、ツッコミを入れられるか、よりスゴイ何かを見せつけられるか。
そんな、高難易度のゲームをクリアしたご褒美が欲しかったのだ。
日常が――りらりとの日常が――欲しかったのだ。
「理由はないんだ」
僕はりらりとシーソーで遊びながら、ハイド仮面としての経緯を全て伝えた。
夜に大人2人がシーソーに乗っているというのは、傍から眺めたらかなり奇妙かもしれないが、僕たちにとってはいつものことだった。
高校生の頃も、こうやって話をしたものだ。テストの相談や、次の休日はどこに遊びに行くかとか、普通の会話をした。
「本当に、思い当たる節がないんだ。どうして自分がこうなったのか」
誰かと喧嘩したわけでもない。心無いコメントにショックを受けたわけでもない。
何もない。なのに、活動ができなくなった。
原因が解明できないから、僕はいつまで経っても復帰できないでいた。
「ごめんよ、りらり。約束、守れていなくて」
「謝らないで。むしろ、私が謝りたいわ」
「どうしてだい? 何でりらりが、謝るんだい?」
「約束に入れるべきだったわ。困ったことがあったら、目標の達成度合いに関係なく、連絡をすること、みたいなことをね。そうしたら、すぐにでも私は実くんのサポートをしていたわ。でもまぁ、実くんのことだから、悩みがあっても私に連絡しなかったかもしれないわね」
シーソーが、規則的に動く。
りらりが上がる時は速く、僕が上がる時は遅く。
「りらりだってそうじゃないかい?」
「どうかしら? 私はすぐに人を頼るから、何回も実くんの家のインターホンを押していたかもしれないわ」
「電話じゃないんだね」
「直接会わなきゃ、五感も三大欲求も全て満たすことはできないじゃない?」
「主目的が変わっていないかい?」
「だから、あんな約束をしたのだけれど」
僕たちは仲が良かった。
テンポが合っていた。
でも、アップデートのためのメンテナンスは、必要だった。
「とにかく、ごめん。約束のことも、こんな暗い話しちゃったことも」
「ねぇ、ちょっと見せたいものがあるのだけれど」
そう言ってりらりはシーソーを止め、スマホ片手に座ったままの僕の元へ。
「これ、何だと思う?」
りらりが見せてきたのは、バーチャルライバーの配信だった。
ハツミ・スーパーキャンディー。
りらりには申し訳ないが、僕の知らない――
「え……?」
――いや、知っている。
その声は、とてもよく知っている。
だってそれは、散々聞いてきた声で。
2人プレイをいきなり持ち掛けてきた声で、スクランブルエッグになったオムライスを食べてくれた声で、チャメくんを命名した声で。
僕の名前を、何度も呼んだ声で。
「元個人勢で、今は企業所属のバーチャルライバー。どうやら私、絵と歌が上手くてゲームが下手らしいわ。実くんとは真逆ね」
「ど、どういうこと? え、りらり?」
黒色ツインテールの少女から発せられている声は、どう聞いても、稿込りらりのものだった。
「私ね、実くんの活動について、高校を卒業する前に知ったの。私の好きなバーチャルライバーの方が、ハイド仮面とコラボしていてね」
覚えている。僕が進路を実況者にしたきっかけが、そのライバーとのコラボ動画だ。明るくて人気者。ゲームスキルも高く、会話は常に面白い。りらりは彼女のファンだったのか。
「初めはズルイと思った。私の推しと実くんが楽しそうにしていて。でも、段々と別の感情が、目標が生まれたの。実くんと同じ景色を見て、日常会話にしたいって。だから私は、バーチャルライバーになった。実くんが世間に知られるきっかけとなったライバーとコラボするのを目標にして、そして、高校を卒業したの」
「……」
「ふふ、その反応が見たかったのよ。ポカーンという表現がとても似合う表情。できれば、ツインテールでその表情を見たかったのだけれど」
知らなかった。
僕が、りらりに影響を与えていたなんて。
「あ、えっと、その……僕はなんて言うべきなんだ?」
「チャンネル登録よろしくお願いしますはダメよ。私はもう登録しているもの。むしろそれは、私が言うべきセリフね」
「あ、あぁ、そうだね。登録、しておくよ」
僕はスマホを取り出し、りらりのチャンネルを検索。すぐさま登録ボタンを押した。
「それでも見て休養していなさい。もし合わなかったら、別のライバーを紹介してあげるわ」
りらりは混乱中の僕をシーソーから立ち上がらせ、手を繋いだ。
「でも、今晩は私と一緒に過ごしましょう。ほら、早くアイコンを変えてちょうだい」
言われるがまま、僕はチャットアプリを開き、アイコンを変更した。
りらりと初めて遊んだ時のリザルト画面が、あの時よりも鮮やかに見えた。