心の格納庫
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心の格納庫にあったのは、今しがた感じた恥ずかしさだけじゃない。今までしてきた失敗や後悔、淡い恋の思い出に幼い頃からの憧れ、恵まれない環境への不満と、どうしようもない現実への絶望も僕は閉まっていた。
僕はそれらをブラックボックスのように、今まで誰にも見せずに生きてきたんだけど、ゼーエン様相手ではホワイトボックスになってしまうようだった。
「大橋頼人、あなたの願いや思いが叶う機会です。あちらの世界に転生し、勇者となって頂けませんか?」
「勇者?」
「はい、転生後15歳となった暁に神託の儀にて勇者の称号を授けます」
勇者。風に飛ばされたきた雑誌の切れはしを思い出した。そこには異世界転生の物語の主人公が勇者として描かれていた。顔は自信に満ち溢れていて、傍らにはどんな困難も一緒に乗り越えていけそうな仲間たちがいる。
僕は想像する、勇者になった自分を。とてもいい気分になった。それにゼーエン様は飛行機がない世界だから僕を呼んだと言っていた。
「その世界で僕は飛行機を作る事が出来るのですか?」
「あなたの思いと知識があれば」
グッと今度こそ僕は表には出さず、胸の内で密かに拳を握る。今まで掴めなかった物が掴めた喜びに、胸の拳は点火したエンジンように震えた。
「あと、その勇者の称号というのはどういうことなのですか?」
「本来、私は見ることしか出来ない存在なのですが、一年に一度世界に干渉する事ができます。それを神託の儀とあちらの世界の人々は呼んでいます。その時期に私を奉る場所で、訪れた者に対し素質を告げているのです。それを人々は称号と呼び、勇者はその時代に革新をもたらす素質がある者です」
世界が広がる感覚、目の前の景色が開けて鮮やかに色づいていく、希望という言葉の意味を初めて理解できた気がした。僕は手早く搭乗手続きを終わらせ、ゼーエン様の提案に乗りたくなり「転生します」と言う為に口を開こうとした、でもそれはゼーエン様の手によって制止させられる。
「大橋頼人、あなたは戻る事もできるのですよ?その場合は此処での記憶を失う事になりますが、あなたが居なくなっては悲しんだり、困ったりする人もいるでしょう?」
戻る?あの場所に?僕は鮮やかな景色を前に、今の僕を作ったその全てを忘れてしまっていた。思い返す、職場の同僚や同級生の顔、育ててくれた施設の職員や学校の先生とか、好きだった人。写真でしか見たことのない両親の顔も浮かんだ。
しばらくのあいだ僕は僕が居なくなって、その人達が困ったり悲しんだりするだろうかと考えた。両親は僕を捨てていたし、施設の職員や学校の先生は仕事で僕と関わっていただけだ。同級生や同僚もたまたま同じ空間に居合わせただけで、悲しむ事はない。
でも、職場は仕事に穴が空くことになるから困ってしまうだろう、それは嫌だ。人に迷惑を掛けるのは両親の事もあって僕には耐えがたい。晴天のように見えた空だったけど、うしろには雨雲があった時と同じように僕の顔も曇っていく。
「っはは、意地悪な質問をしましたね。すみません、少しあなたを試させてもらいました」
「なっ」
不意の笑い声に、僕の顔はますます曇って文句を言いそうになった。だけど、勇者となれるかどうか試されたという事かとひとり合点して、ゼーエン様の言葉を待った。
「...本当の話をすると、あなたが転生する事を選んだ場合、大橋頼人という存在は無かった事になります」
「無かった事ですか?」
「ええ、あなたが存在しなかった世界、はじめから居なかった世界になります」
「はじめから居なかったという事は、僕が転生しても元の僕が生きてきた世界には何の影響もないという事ですか?」
僕の心境が伝わったのか、ゼーエン様はやさしく微笑んで答えてくれたんだ。
こうして、僕は転生することを選び、今は見慣れない天井の下で自問自答をしているという訳だ。それで何が分かったかと言うと、想定はしている事と実際に経験する事では、何もかも違うと言うことだ。落ち着いた所で、僕は息を吸って泣き叫ぶことにする。
「ビ、ビェーーーン!(オムツを交換してくれ!)」
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「いってしまいましたか」
ひとりの青年の転生を見送り、いつもの定位置に戻る。私はいくつかの世界の管理を任されている者。いや、正確には任されていると思っている者。
彼は最後まで、私の付いた嘘には気が付かなかった。騙されやすい性格、いや、正確には違うが。そんな性格でこの先どうなることやら。
「あの世界が滅んでも、それはそれで面白いとは思うのですがね」
私はゼーエン・T・ナール。 ただそれだけの存在。
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つづく