第28章 雨の森
雨が降っていた。
森の枝葉を濡らし、小道に沿った石を濡らして滑らせ、家の屋根を容赦なく打ちつける。
セイランは馬を降り、しっとりと湿った外套を脱いで玄関の掛けにかける。
水滴が床に落ち、無音の室内に小さな音を落とした。
家の中は、不思議なことにひどく静かだった。
「……ただいま」
いつもならば、エラが迎えに出てきてくれている。
特にこんな雨の中帰ってきたならば、濡れた髪や服を拭くためのタオルを持ってきてくれるはず。
なのに。
応える声も人の気配もない。
胸がざわつく。
自室への扉を押し、中に入る。
その瞬間、ぴたりと足が止まる。
窓に向かって置かれたテーブルの、1番上の引き出しがわずかに開いていた。
(まさか……!!)
思考よりも先に身体が動いた。
濡れた服のまま外へと駆け出し、厩舎へ向かう。
「サロス、頼む!」
馬に跨り、手綱を引いて駆け出す。
雨は容赦なく顔を打ち、視界を奪った。
馬車や馬など「足」を持っていないから街には行っていないはず。
だとしたら森しかない!
そう考えて森へと駆け出す。
まずは薬草の採取場。
だが、そこには誰もいない。
果樹の茂み。
ここも空っぽだった。
昼食を取るためによく腰を下ろしていた岩陰。
そこにも、誰の気配もない。
雨に濡れ水を吸った外套や服が、まるで鎧のように重く体にのしかかる。
手綱を握る手が冷たい。
胸が詰まる。
「エラ……」
荒い息を吐きながら、セイランは記憶を必死に辿る。
(そうだ、あの木……!!)
ーー「この木の下で、夏はよく寝転んで涼んでいました。木漏れ日が揺れて眩しくて目が開けていられないほどでした。祖母に怒られたときや町の人に『魔女の子』と呼ばれて辛かったときは、よくこの木まで逃げてきました」
脳裏にその声が蘇る。
手綱をギュッと握りしめ、馬の腹を蹴り、森を駆ける。
濡れた枝が頬をかすめ、泥が跳ねて背を打った。
やがて、木々の間に見覚えのある高い樫の木が現れた。
セイランは馬を降り、草を踏んで走り寄る。
「エラ!!」
ーー返事はない。
静かだった。
葉の上を滑る雨音だけが、そこにあった。
あたりを見渡す。
けれどエラの姿はどこにもない。
まるで森そのものが、彼女の存在をそっと隠してしまったかのように。
木の根元に立ち尽くす。
とめどなく降る雨が髪の先に雫をつくり、頬を伝って顎下から滴り落ちていった。




