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第2章:知らせ

 森に、焦げた風が吹いたような気がした。


 いつものように薬草を干していたエラは、ふと手を止めた。

 空は晴れているのに、土の匂いにわずかに焦げのような、重たい気配が混じっていた。


 


 そんなある日の夕刻、王都からの使いが訪れた。


 若い使いの少年が、汗と埃をまとって、息を切らしながら小屋の前に立つ。


 「戦が広がっています。傷病者が急増しているとのことです」


 言葉は簡潔で、感情を挟む余地もなかった。


 一緒に手渡された書状には、次回納品時には薬の量を倍に増やしてほしいとの文が記されていた。


 書式は丁寧だったが、行間からは王都の焦燥がにじみ出ていた。


 


 エラは、母の面影を思い出した。


 十年前、王国軍に薬師として従軍し、そのまま帰らなかった母。

 まだ幼かった自分の記憶には、白い薬布と微かに香る煎じ薬の匂いだけが残っている。


 


 そして今、また同じような空気が森に流れ込みつつある。


 思わず拳に力が入る。


 

 エラはすぐに作業に取りかかった。


 薬草の在庫を確認し、瓶を洗い直し、煎じ薬の温度を何度も確かめる。


 効き目の強いものを優先しながら、ひとつひとつ、丁寧に仕上げていく。


 夜になっても灯を消さず、鍋のそばを離れなかった。


 


 ふと、あの騎士のことを思い出した。


 王城の通路で、一瞬だけ視線が交わった、深い緑の瞳。

 名も知らない。言葉も交わしていない。


 けれど、記憶の底に残っていた。



 ――もし、彼も戦地へ赴くのだとしたら。


 


 考えてはいけないと思いつつ、自然とその想いが頭をよぎる。


 あの目に宿っていた静けさと、微かな熱――それが心に引っかかっていた。


 


 


 翌朝、納品の準備を終えたエラは、再び王城へと向かった。


 前回より重くなった薬箱を抱え、馬車の揺れに身を預ける。


 町に着いた頃には、城門まわりの空気がいつもと違うことにすぐ気づいた。


 警備の兵は多く、通路も慌ただしい。


 


 エラは決められた動線を外れることなく、薬棚へ静かに薬を並べていく。


 納品記録を確認していた薬官が、最後に印を押した書類をエラに手渡しながら、ぽつりと口にした。


 


 「セイラン殿も、前線へ向かわれたらしい。西の最前線へ」


 


 初めて聞く名だった。


 けれど、胸の奥がわずかにざわめいた。


 


 「セイラン……殿、とは?」


 


 薬官は、少し意外そうに目を瞬かせる。


 


 「王国騎士団の副団長セイラン・ルオネル様ですよ。王直属の近衛騎士団の中でも特に信頼の厚いお方です。これまで数々の武功を挙げてこられました」


 


 副団長――そう言われても、森に暮らすエラにとっては遠い世界の肩書だった。


 「……普段、森にいますので、城内のことには疎くて」


 


 そう言うと、薬官は納得したように頷き、少し語調を和らげた。


 


 「黒髪に、緑の目の方です。

 副団長でありながら威圧感のない方で、私たちのような者にも分け隔てなく接してくださいますよ。たまにこの医務院にも顔を見せられます」


 


 黒髪に、緑の瞳――


 その言葉に、エラの胸がどくんと鳴った。


 きっとあの通路で視線が合った、あの騎士に違いない。


 


 「……西の最前線とは、そんなに厳しい場所なのですか?」


 


 薬官の顔に陰りが落ちた。


 


 「あそこは……国境付近でも、最も激しい戦地です。

 セイラン殿でなければ、すぐに陥落していたでしょう。

 それでも今回は難しい。敵もかなりの戦力を擁していると聞いています」


 


 そんな危険な場所へ、彼が行った――。


 エラは彼がどれほど強いかも知らない。ただ、それを語る人々の声に宿る緊張が、恐ろしい現実を物語っていた。


 


 胸に黒い不安が広がってゆく。


 ただただ無事でありますようにと祈る。


 たった今まで名前すら知らなかった人に、そう願ってしまう自分に驚いた。


 


 


 森への帰り道、ふいに風が頬を撫でた。


 春のはずなのに妙に冷たくて、どこか焦げた匂いが混じっていた。

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