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第13章:とまどい

小屋の中、粗末な木のテーブルに、王命の文書が一通、静かに横たわっていた。


傍らの椅子に座るエラは、手紙を見つめたまま微動だにしなかった。


王命による婚姻の通知――そこに記された名は、紛れもなく自分自身のものであった。


《婚姻相手:エル・ノクター》


目を逸らせば夢だと思えたかもしれない。

だが、乾いた墨と厚みのある羊皮紙が、否応なく現実であることを突きつけてくる。


王命。


それは、この国において絶対の命令であり、逆らうことなど考える余地もない。


思考は途切れることなく、宙を彷徨う。


ふと、ある仮説が脳裏をよぎった。


セイラン・ルオネル・アルヴェイン男爵――かつての近衛副団長は、重傷を負ったと薬官が言っていた。


もしかして、療養生活の世話役として自分が選ばれたのではないだろうか?


薬師としての技術、王都から離れた森、静かな環境。

そういった要素が重なった結果、適任として選ばれたのかもしれない。



(でも……なぜ、結婚?)



ただの世話係であれば、婚姻という形を取る必要はないはずだ。


王命である以上、理由を詮索することは許されない。

だがあまりにも非日常的すぎて理解できず、理由を探してあれこれと思考してしまう。


そのとき。


ふと鼻を突く、焦げ臭い匂い。



「……あっ!」



立ち上がったエラは、火にかけていた煎じ薬の鍋へと駆け寄る。鍋の取っ手をつかんで火から下ろす。

中の液体はすでに蒸発し、鍋底が黒く焦げていた。

煤けた鍋を片手にため息をつく。


焦げ臭い鍋を見つめながら、再び目を王命の文書に向けた。



(……結婚式は、いつ?)



詳細は簡素な文言で記されていた。



《婚姻の儀は、来月初旬。聖都アリステン郊外、王より授かったアルヴェイン男爵領内の小教会にて挙行される。衣装は自由とするが、礼を尽くした装いであること。》



「あと三週間もない……」



口の中が乾いた。


貴族の結婚式にふさわしい衣装――そんなもの、持っているはずがない。


粗布の上着に草染めのエプロン。手は薬草と墨で染まり、爪の隙間には土が残る。

せめて結婚式直前には薬草取りや土いじりはやめなくては。


そもそも、結婚式というもの自体、王命であっても他人事だった。


ただ薬を煎じて、包みを作って、それを届ける毎日。その繰り返しの中に、“婚姻”などというものは一度たりとも想像したことがなかった。


そして、次に思い至ったのは、現実的な問題だった。



(一緒に暮らすの? ここで?)



視線を室内に巡らせる。


乾燥薬草の束が棚から垂れ下がり、小瓶と紙片が机を占領している。奥の棚にはに雑多に本が積まれ、未整理の薬種が無造作に置かれていた。


木の壁には、火の粉で焦げた跡すらある。野生動物除けの香を焚いた痕跡が、まだ薄く残っている。


現実を目の当たりにし、冷水をかけられたかのように一気に血の気が引く。



「……掃除しなきゃ……!」



その日の夜遅くまで、家の灯りが消えることはなかった。



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