第11章:謁見の日
戦地から戻って幾日か。
王の御前に赴くため、セイランは近衛騎士団の正装を纏っていた。
純白の軍衣には、王直属の証として金糸の装飾が繊細に縫い込まれ、肩章や胸元に上級騎士としての威厳が宿る。
胸元に輝く勲章は、彼の剣が積み重ねた功績を物語っていた。
漆黒の髪は丁寧に撫でつけられ、右目には黒革の眼帯。
整った顔立ちに神秘的な陰影を添え、その傷すら、彼の美貌に静かな深みを添えていた。
わずかに痩せた体には、いまだ戦地の痕が残る。
だが、その歩みには迷いも揺らぎもなかった。
王国騎士としての誇りが、その白と金の制服とともに静かに息づいていた。
彼を導く案内役は、何も言わず先を歩いていたが、やがてある曲がり角で足を止める。
その先には、まるで待ち伏せていたかのように立つふたりの姿があった。
リアム・エルヴァン・ディヴェルグ。
公爵家の嫡男で、セイランとは騎士学校の同期。
栗色の緩やかに波打つ髪を後ろで束ね、獅子を思わせる金の瞳がこちらを真っ直ぐに見つめている。
端正な顔立ちは隙がなく、それでいて近寄りがたさはない。気品と聡明さを兼ね備えた男であった。
その隣に立つのは、彼の妹、アメリア・ルミエル・ディヴェルグ。
艶やかな栗色の髪を結い上げ、白磁のように滑らかな肌に映える青い瞳は、一目で人を引き込む美しさを持っていた。
この日の彼女は、淡い藤色のドレスに身を包み、胸元にあしらわれた真珠の飾りが揺れている。
案内役は一礼し、空気を読むように静かに後ろへ退いた。
「……おい、セイラン」
「リアム閣下、アメリア様」
セイランはその場に一歩引き、右手を胸元に添えると、背筋を伸ばして深々と一礼する。
礼を終えると、静かに顔を上げる。
その所作は一分の隙もなく、凛とした騎士の矜持がにじんでいた。
アメリアはセイランのその姿を見て、滑らかな動きで裾を摘み、優雅に小さく会釈を返す。
声音はなくとも、その仕草には育ちの良さが現れていた。
だが、リアムは眉をしかめる。
「……堅いな、お前は。俺たち同期だろ?」
「心得ておりますが、ここは城内ですので」
小さく微笑むような口調で返したセイランに、リアムは肩をすくめた。
「相変わらず律儀だな、おまえは」
そのやりとりの最中、アメリアはセイランの顔をじっと見つめていた。
眼帯に覆われた右目。その下にある傷がどれほど深いものかを思わせるように、そっと目元を伏せた。
「……お兄様。お話があるのでは?」
アメリアの問いに、リアムは小さく頷く。
「ああ。少しだけ時間をくれないか」
頷くセイラン。
案内役は深く礼をして、音もなくその場を後にした。
静寂の落ちた廊下に、三人だけが残された。
「……目をやられたと聞いた。……本当にもう戻らないのか?」
アメリアの問いは、単なる確認ではなく、親しい者だからこその切実な響きを帯びていた。
「右目の視力は戻りません。ですが、命は繋がりました。傷も癒えつつあります」
簡潔だが、誠実な答えだった。
リアムはしばらくセイランを見つめ、それから低く息を吐いた。
「……そうか」
そしてアメリアが、一歩だけ近づいた。
彼女の瞳には、ためらいと、揺れる感情が浮かんでいた。
「退官なさると伺いました。本当なのですか?」
問いかけは穏やかだが、その声音には切なさが滲んでいた。
だがセイランは、その問いに直接答えることなく、代わりに尋ねた。
「……アメリア様がここにおられるとは、存じませんでした」
「本日、城内で王妃陛下主催の茶会がありましたの。兄からセイラン様が登城されると伺って……少しだけ、お顔を見たくて」
言葉の途中で、声がわずかに震えた。
「セイラン、なぜだ」
リアムが一歩前に出る。
「まだやれることがあるだろう! 騎士団に残れ。お前のことを慕っている者はたくさんいる」
セイランは目を伏せ、そして首を横に振った。
「私は……自らの限界を受け入れるべき時が来たのだと、考えております」
アメリアが、わずかに唇を噛む。
リアムも、その答えを受け止めきれない様子で息を詰めた。
「なら……俺の家に来ればいい」
唐突に、リアムがそう告げた。
「公爵家に仕えれば、身の置き所に困ることはない。うちの父も母も、お前のことを高く買ってる。何より……アメリアも喜ぶ」
「お兄様……!!」
その一言に、アメリアの頬がさっと赤らんだ。
「……ありがたきお申し出、心より感謝申し上げます」
セイランの声は低く、けれど穏やかだった。
「ですが、それは叶いません。私は、貴家ほどの高貴な家に仕える器ではございません。そして、これまで身分の隔たりを越えて接してくださったこと……忘れません。心から、感謝しております」
「……もう、会えないのですか」
アメリアの問いかけに、セイランはその顔をじっと見つめる。
揺れる瞳を前に、しばらく言葉を選んだ。
「……私は、おふたりを大切に思っております。それ故に、これ以上ご迷惑をおかけしたくないのです。おふたりの足枷にはなりたくありません」
そう言って、深々と頭を下げた。
案内役の足音が再び近づいてくる。
セイランは静かに身を翻し、振り返らぬまま歩き出す。
その背を、リアムは言葉なく見送り、アメリアは兄の胸元に顔を伏せた。
彼女の肩が、小さく震えていた。
リアムは片手でそっと妹を抱き寄せ、沈黙の中、遠ざかる友の背を見つめ続けた。
 




