第10章:去り際
「……軍医の診立てでは、回復は望めぬとのことです。二度と右目で見ることは叶いません」
感情を堪えてか、団長の眉がわずかに顰められる。
「――この身では、副団長として隊を率い、戦の矢面に立つことはできません。副団長の職を辞し退官を願い出ます」
申し出を受けた団長は沈黙を落とした。
「……本気で言っているのか」
低く落ち着いた声に、微かな怒りが混じっていた。
「私は王都の孤児院で育ちました。一兵卒として剣を持ち、どこかの前線で命を落とす、それが本来の運命だったはずでした」
「その私を見出し、拾い上げてくださったのは――団長、あなたです」
セイランは、まっすぐ団長を見据えた。
「副団長としての任を賜り、近衛師団への推挙の声まで頂いた。それがどれほど異例であったかは、誰より私が知っております。……目を失った今、辞するのは当然のことです」
団長は椅子の背から身を起こし、立ち上がった。
「だが! お前はそれだけの功績を残してきた! 誰よりも多く戦い、誰よりも傷を負い、誰よりも多くの兵を救ってきた」
ですが、とセイランが言葉を乗せる。
「副団長の座にとどまり続ければ、いずれ心ない者が声を上げるでしょう。“あれは団長の引き立てで残された”、“功績への恩赦にすぎぬ”。そうなれば兵の士気は大きく下がるでしょう」
天幕の中に、風が吹き抜けるような静寂が広がる。
「お前は不要な人間などではない。功績は計り知れぬ。お前を信じて従った者たちは今なお大勢いる」
セイランは微かに笑顔を返す。
「……私がここにいれば、かえって彼らの行く道を狭めてしまう。皆の歩みに影を落とすことはできません」
団長の手が、ぎり、と拳を握った。
「だが……お前は貴族ではない。除隊後、どこに迎えがある? どんな屋敷が待っている?」
言葉が少しずつ熱を帯びていく。
「名誉は風化する。勲章は飾り棚の奥へ仕舞われ、やがて忘れられる。怪我を負った元兵など町ではただの厄介者だ!」
セイランは黙って団長を見ていた。
「働こうにも片目を失った男に何ができる! 門番にすら雇われぬかもしれん。待っているのは施しに頼って暮らすような日々だ! そしていつか病に伏して終わる。そんな者を私は何人も見てきた!」
その言葉は厳しく、しかし痛切な思いやりに満ちていた。
「それでもお前はそれを選ぶのか!」
セイランは目を伏せ、頷いた。
「すべて……覚悟のうえです」
言葉は低く、静かだったが、そこには揺るぎのない意志があった。
天幕の中に、再び沈黙が満ちる。
団長は拳を握りしめたまま、しばし目を閉じる。
やがて、深く長い息を吐いた。
「……わかった」
声はかすかにかすれていた。
「お前がそこまでの覚悟を持ち、己の道を選んだのなら……それを否とは言えぬ」
ゆっくりと顔を上げ、セイランを見つめるその瞳には、深い悲しみと、名残惜しさが宿っていた。
「長きにわたる戦の中、幾度となく私の背を支えてくれたのはお前だ。
どれだけの命がお前の剣によって守られてきたか――その重みを私は誰より知っている」
「……寂しくなるな」
かすかに、微笑のようなものが浮かんだが、すぐに消えた。
「だが、戦場に立たぬ者にもなすべき役割はある。お前が選ぶ道を私は尊重する。
ーーしばし体を休めよ。これは命令だ」
そう言って団長はセイランの肩に手を置いた。
「これまでの尽力に、深く感謝を――」
手が離れたあと、団長はふと立ち止まり、振り返る。
「……この戦いの功績を讃え、王より謁見の場が設けられることとなった。追って連絡する」
「……謁見、ですか」
セイランが驚いたように呟く。
団長はそれ以上語らず、天幕の入口へ向かい、外へと出て行く。
団長が去ったあと、セイランはしばらく動かなかった。
やがて右手が動く。
包帯越しに右目にそっと触れ――そのまま額をなぞるように上へと滑り、髪を強く握りしめた。
その背には、噛み殺した悔しさがにじんでいた。




