その感情の名は
「……寝てるな、これ。いい紅茶入れてあげたのに」
小声でぼやいて、タオは湯気の立ち昇るティーカップをテーブルの上に置く。サクラは開いた本の上に突っ伏して静かな寝息を立てていた。ページはほとんど進んでいない。
「ま、寝不足だって言ってたし、仕方ないか」
サクラの対面に座ったタオは、頬杖をついてぼんやりと、その無防備な後頭部を眺める。
「……変な奴」
この子は大丈夫だという自分の勘を信じる、とサクラは言った。神を探しているが実在する証拠はない、とも言った。論理的ではない。現実的ではない。ロマンチストというよりは、気の触れた愚者と評すべき人物だ。本来なら味方をするどころか、関わらない方が賢明だろう。
けれど。
「……」
タオは混乱していた。いや、そう呼べるほど大したものではないのかもしれない。自分への微かな違和感、とでも言うべきか。
きっかけは分かり切っている。サクラがこの部屋に飛び込んできた、あの瞬間だ。彼女が敵か味方か、危険人物か否か。そういう全うな思考よりも先に、タオの体内に、あるいは心の内に生まれたものが確かにあった。
「…………なんなんだろ、これ」
答えは出ない。直接言葉を交わすことでとっかかりを得ようとしたが、むしろ違和感は大きくなるばかりだった。分かっているのは、その違和感がタオにとって好ましいものであることと、サクラを憎からず思う要因となっていることだけ。
「……」
初めての事だった。十歳で両親を失い、故郷を追われ、その特殊な力で何とか生にしがみつき、この隠れ家を得て五年。外界との接触を極力断ち、常世を追放された書物に囲まれる平穏な日々。その中では、決して得ることのなかった変化だった。
「……ま、いっか。今は」
経験の浅い彼女でも知っている。知識で解決できない問題は大抵、時間を経ることで糸口が見えてくるものだ。だから今は、このどこか心地よい違和感に逆らわず、彼女の味方でいよう。