潜む少女
黒いつなぎ服を着た少女は息を潜めて、身の丈の数倍もある本棚の影に隠れている。目深にかぶった帽子の下から覗く澄んだ青色の瞳が絶えず周囲を見回し、呼吸の度に明るいブロンドのハーフツインテールが小さく揺れる。右手は腰に差した刀の柄にかかっていた。
薄暗く広い館内に響く、古びた木の床が軋む音と金属音。甲冑を身に纏う衛兵たちの巡回だ。足音は四人分。侵入者に気づいていないせいかその動きは緩慢で、時折雑談すらしていた。明らかに緊張感に欠けている。
「……」
あれだけ油断している相手なら、制圧するのは容易い。柄を握る手に力が入る。
懸念点は、四人の距離が離れていること。不意打ちで落とせるのはよくて二人、残る二人とは戦闘になるだろう。負けるつもりはさらさらないが、騒ぎを起こしたくはない。彼らと戦うために、ここに来たのではないのだから。
「……」
逸る闘争心を押さえつけるために、けれど決して気づかれないように、細く息を吐く。落ち着け。衛兵の巡回ルートは頭に入っている。今隠れている場所は死角、大きな物音を立てでもしない限り見つかることはない。
そこからの数分は、彼女にとっては何十倍にも感じられた。元来、潜入など柄ではないのだ。彫像のように身を固め、ただじっと、衛兵たちの姿が消え足音が遠ざかっていくのを待った。
「……行ったかな」
静寂の中に、か細い呟きが消えていく。監視カメラの類がないことを確認済みとはいえ不用心な行動だが、こうでもしないと緊張の糸を緩められそうになかった。
少女はゆっくりと立ち上がり、周囲の本棚に収められている本の背表紙を舐めるように見回しながら忍び足で進む。
「…………やっぱ、なくない?」
しばらくして足を止めた少女は、ため息をついてぼやいた。侵入してほぼ丸一日、館内はおおよそ踏破したが目当ての、あるいはそれに類する本は一冊たりとも見つからなかった。蔵書は整理が行き届いていてカテゴリごとに分類してあるため、見落としがあったとも思えない。
「隠してあんのかなあ。別の背表紙かぶせてるとか、隠し棚があるとか……空の棚もいくつかあったし、別の場所に移動させた可能性も……」
もしそうならお手上げだ。数千冊の蔵書を、身を隠しながらそこまで精査するのは現実的ではない。
「うーん……」
唸りながら、胸ポケットから懐中時計を取り出す。次の定期巡回の時間が近い。手詰まりの感が強い以上、出直すのが賢明だ。何より。
「腹の虫のせいで見つかるなんてアホらしいしなあ」
へこんでしまいそうな腹に手を当てながらため息を吐く。眠気も危険域に近かった。