彼から見て、私の頭の上には7本のヒマワリが咲いているらしい。え、11本に増えた?
「……お嬢様。俺、人の頭の上に花が見えるようになってしまいました」
「ど、どういうこと!?」
とある春の日の午後、私の従者であるクルスは、戸惑った様子でそう言った。
私、チェルシー・スウィフトは新興貴族家の一人娘だ。
もともと我が家は平民の出だったけど、祖父が軍功をあげたことにより、下から二番目の爵位を賜ることになる。
それがちょうど七年前のこと。当時九歳だった私は、図らずもそこから『ご令嬢』としての人生を歩むことになった。
とはいえ、優雅な生活とは縁遠く、今も庶民と変わらない暮らしをしている。
なぜなら、祖父は国から与えられたお金を、すべて戦争で助けた難民に配ってしまったからだ。
祖父、ヴァイス・スフィフトは、この手柄は自分だけのものではないとよく言っていた。
収容所から国の重鎮を救出したという功績も、そこに住む者たちの助けがなければできなかったと、いつも人に感謝していた。
それら現地の住民たちは、故郷を離れ、私の国に逃げてくる人も多くいた。
つまり、祖父はその人たちのために、下賜された金銭を使ったのだ。
我が家は祖父の手腕でそこそこ大きな店舗を経営しているけど、飛び抜けて裕福というわけじゃない。
当時の私は貴族の生活にあこがれもあったため、最初は祖父のしたことに納得がいかなかった。
けれど、祖父に感謝を伝えるため、ひっきりなしに家を訪れる多くの人を目にして、その考えは尊敬の念へと変わっていく。
祖父はお金を配るだけでなく、自ら身寄りのない子供を保護したりもしていた。
ほとんどの子供は信頼できる知り合いに里親になってもらったけど、最後に保護した一人だけは、色々あって我が家で面倒を見ることになる。
それが、当時十一歳だった銀髪で褐色肌の少年、クルス。
そのクルスが、先の通りいきなりおかしなことを言いだした。
私は驚きで目を見開かざるを得なかった。
「花って……どういうのが見えるの? クルス」
「いや、もう、そこらに咲いてるような花が、皆の頭の上に浮かんで見えるんです。たとえば、奥様の頭の上にはサルビアが咲いていて。大旦那様の上にはアザレアが。お嬢様だと、ヒマワリが七本といった感じで……」
「私の頭の上に……ヒマワリ?」
「はい」
「クルス、あなた最近、変なものでも食べた……?」
「お嬢様、俺の話信じてませんね……。あの、洗礼の影響じゃないかって、司教様には言われました」
クルスはやれやれといった感じで、私に昨日の出来事を打ち明けた。
昨日、クルスは休みを取って、王都の国教会に出かけていた。
目的は、この国の国籍取得──つまり、帰化申請のためだ。
私たちの国では帰化の要件として、国教会の信徒になることが定められている。
この年で信じる宗教を変えることは、きっと大変なことだと思う。けれど、クルスはこの国に骨をうずめる覚悟が決まったと言って、意気込んで王都の大聖堂へと出かけていった。
その場所で、信徒になる儀式──洗礼を受けた直後に、そのおかしな現象に見舞われたとのことだった。
「司教様が言うには、魔術の素養があっても訓練を受けてこなかった人に、しばしばこういうことが起こるらしいんです。洗礼をきっかけにして、何らかの異能が開花することが」
「ああ、そういえば私も、学校でそんなこと習ったような……。クルスの故郷って、魔法はあまり普及してなかったのよね」
「はい」
「ちなみに、その花って……ずっと見えてるの?」
「ずっと……ではないですね。人の挙動に応じて、花は咲いたり消えたりしてます。正直言って、常時花畑だったら目が疲れるところでしたよ」
「異能ってことは……何か用途があるのかしら。人によって咲いてる花が違うなら、花でその人の考えてることがわかる、みたいな……?」
「司教様にも似たようなことを言われました。多分、鑑定系の固有魔法じゃないかと」
とりあえず、クルスが変になったわけではないのだと、私はホッとした。
最初の言動もだけど、花が見える状態が病気でないなら、その意味からも一安心だ。
そして、もし鑑定系の魔法なら、それは彼にとって喜ぶべきことといえる。
この国において魔法が使える者は、さまざまな面で優遇されている。
もし、クルスのこの現象が魔法として認められれば、彼が我が家を出た後も、おそらく食べるに困ることはなくなるだろう。
(……って、どうしてクルスが出て行く前提で考えてるのよ)
ふと我に返って自己嫌悪する。
確かに、いつかは彼も独立する日が来るのだと思う。
けど、私はそんな日が来てほしいとは思っていなかった。
──なぜなら、私は彼のことが好きだったから。
私はずっと前からクルスのことを思っていた。
それは従者としてではなく、一人の男性、異性として。
七年前、祖父が我が家に連れてきたクルスは、今日に至るまでいつも真摯に私に仕え続けてくれている。
その誠実さと涼やかなたたずまいに、私はいつしか心惹かれるようになっていた。
もちろん、今の関係が永遠に続くわけはないとわかってる。
彼をずっと私のもとに束縛するのは良くないということも。
でも、その時が来るまでは、この楽しい日々ができるだけ続きますようにと、私はいつも願っていた。
◇
「ね、クルス。お花の図鑑を買ってきたの。これであなたの異能について、少し調べてみない?」
数日後。私は一冊の本を見せ、クルスにそんな提案を持ち掛けた。
クルスの異能、それはおそらく花によって他者の状態を識別する能力に違いない。
ただ、花の何がどんな状態を示しているのかはわからない。
だから、それを詳しく調査するため、私は本屋で植物図鑑を購入し、彼と一緒に見ようと考えた。
「お嬢様、それ、ご自分で買ってこられたんですか。わざわざ俺の異能を調べるために……。いけません、ああ、いや、俺が出しますよ。いくらしました?」
「いいの、私もお花について知りたいと思ってたところだから。それより今から外に行きましょう。どの人にどんな花が咲いているのか、たくさん例を見ればきっとわかると思うのよ」
もちろん、花について知りたかったなんていうのは方便だ。
そもそも彼の異能を調べることすら名目で、私の本当の目的は二人で外出することにある。
二人で外出……つまり、デート。
クルスとデートできるなら、図鑑の購入なんて大した出費じゃない。
「とりあえず、重いからこの本はあなたが持っててね。噴水広場の近くにカフェテラスがあったでしょ。あそこでお茶しながら、人間観察するのはどうかしら。ふふ、異能の調査はともかく、それってなんだか楽しそうじゃない?」
「……わかりました。じゃあ、奥様に言って許可を取ってきますから、お嬢様は着替えてきて下さい」
「はぁい。じゃ、クルスも準備をよろしくね」
そんな感じで、私はデートの口実を作り、外出の許可を取り付ける。
久しぶりの二人でのお出かけに、私は部屋に入った後、軽くスキップをしてしまった。
さて、デートのことはひとまず置いておくとして。
クルスの異能の識別方法について、実を言うと、すでにある程度の目星はついていた。
外での人間観察も、むしろその識別方法の確認くらいのつもりだったりする。
「……多分だけどね、花言葉がそれぞれの人の状況や感情を表してるんじゃないかしら」
「花言葉……ですか?」
「そう」
花の何に着目して識別するか──花びらの数や色、そういったものも悪くはないけど、はっきり現実に存在している花だというところに、何か意味があるような気がした。
その予想を確信にまで高めたのが、先日のクルスの言葉。
具体的には、彼が私の家族の上に見えていたという花の種類だ。
『──たとえば、奥様の頭の上にはサルビアが咲いていて。大旦那様の上にはアザレアが。お嬢様だと、ヒマワリが七本といった感じで』
大旦那様。つまり私の祖父の上には、アザレアの花が咲いていたという。
アザレアの花言葉はいくつかあるけど、その中に『禁酒』『節制』というものがある。
図鑑をめくってその言葉を見つけた時、これだとピンと来た。
というのも、祖父はここ数ヶ月、医者に言われてお酒を止めていたからだ。
「なー、ええじゃろ、リザさん。どうせ老い先短い身、一杯ぐらい飲んだって変わりゃせんて」
「いけませんったら。お義父さんが元気でいらっしゃらないと、たくさんの人が悲しまれるんですよ?」
クルスが祖父の頭上に花を見たのは、祖父と母がそんな会話をしている時のことだったという。
一方、母、リザの頭上に咲いていたのはサルビア。その花言葉は『家族愛』。
穏やかな声で祖父をたしなめる私の母。
早くに夫──私の父を亡くした母だけど、誰にも優しく平等で、祖父やクルスを含めた家の皆に好かれている。
アザレアもサルビアも、まさにその花言葉がぴったり祖父と母にあてはまるのではないか。
もっとも、この仮説が当たっていた場合、この異能の欠点も認めなければならないことになる。
端的に言うなら、この異能は曖昧すぎる。はっきり言って、実用性が低いのだ。
たとえば、『家族愛』の花言葉だけでは、それ以上の内容はわからない。
家族といってもどんな関係か、どれほど親密かなど具体的なことは、あらかじめ知っていなければ推測のしようがない。
さらに厄介なことに、花言葉というのは一種類の花に何個も意味が付いている。
アザレアの花言葉は、『禁酒』のほかに『恋の喜び』などの意味もある。
どの花言葉が当てはまるかは、やはり他の情報も合わせなければ、おそらくはたどり着けないように思われた。
(……おじいちゃんが『恋の喜び』なんて、どう考えても違うだろうしね……)
ただ、このことは、私にとって意外なところで助けになっていた。
私の頭上に咲いていたというヒマワリ。このヒマワリの花言葉も複数あって、そのおかげで私の本当の気持ちをクルスに悟られないで済んでいたからだ。
カフェテラスでデート……もとい人間観察をしている時、クルスは図鑑と私の頭を交互に見やるとこう言った。
「ヒマワリの花言葉は、『光輝』『情熱』『憧れ』『あなただけを見つめる』……。お嬢様の明るくて素直な性格からして、一番合ってるのは『光輝』……でしょうか」
「そ、そうね。『情熱』っていうほどの積極性は私にはないし……。きっと、それが一番近いんじゃないかしら」
本心を悟られたくなくて思わず肯定してしまったけど、『光輝』……光や輝きなんて言葉が私に似合うとは思えない。
この場合、ヒマワリが示しているのはクルスへの恋心。
彼への『憧れ』、あるいは『あなただけを見つめる』……おそらくそんな気持ちを表しているに違いない。
だから、とっさに別の意味を示してごまかせたことはラッキーだった。
この恋が成就するにしても、破れるにしても、こんな不意のことで気持ちを知られたくはなかったから。
そんな感じで──クルスと臨んだ人間観察も、予想通りの結果に終わった。
街を歩く若いカップルに『青春の恋』を示すプリムラが咲いていたり、世間話をしているおばさんたちの頭に『おしゃべり』を示すアマリリスが咲いているなど、街の人たちは私の推測を裏付ける。
けれど、それは花が見えなくてもわかることも多く、逆に見てわからないことは、花言葉の中にあっても候補には挙がりにくいため、結局クルスの能力は使いどころが限られるというのが私たちの結論となった。
──ただ、この異能が窮地を救う出来事が起こる。
その日、私はクルスと二人で王都まで買い物に出かけていた。
カフェテラスでの人間観察から数週間。二人とも花の種類にずいぶん詳しくなったなんて話しながら歩いていると、とある店の前に人だかりができていた。
その店とは宝石店。どうやら店では何か騒ぎが起きているようで、キャーという悲鳴が聞こえた直後、扉が蹴飛ばされ、一人の男が飛び出してきた。
その男は、目が血走っており、呼吸も荒く、かなり気が動転しているようだった。
後で聞いた話によると、男は宝石強盗で、とにかく金目の物を奪おうと宝石店に押し入ったらしい。
けれど、その店は防犯対策もしっかりしていて、金品を取るどころか逆に捕まりそうになったため、何も奪えず外に逃げ出したとのことだった。
そして、不運にも私たちはその時、人だかりの切れ目に立っていた。
男はこちらに向かって突進し、クルスはハッとして私を横に突き飛ばす。
つまりそれは、私を助けるための行動。
男の視線から誰かを捕らえようとする意図を察知したクルスは、私をかばってそのまま強盗の人質になってしまった。
「──クルス!」
「動くな! 少しでも動いたら、こいつをぶっ殺す!」
強盗はここが好機とばかりにクルスの首を左腕で拘束する。
右手には、鈍い光沢を放つ拳銃が握られていた。
男はクルスのこめかみに銃口を突きつけて、店から出て来た警備員たちをにらみつけ、牽制した。
「近寄るんじゃねぇ! こいつの頭が吹っ飛んでもいいのか!」
にじり寄る警備員たちに、より大きな声で威嚇する強盗。
──と、クルスはそこで男の頭上を見て、何かに気付いたような顔になり、静かな声で言った。
「……弾が入ってないのにどうやって撃つつもりだ?」
「なっ!? て、てめぇ、なんでそれを──!?」
次の瞬間、クルスは大きく頭を振って、後頭部を強盗の鼻っ柱にぶつける。
思わず拘束が緩み、腕がほどけたところでクルスは男の襟に手をかけ、投げ飛ばした。
背中から地面に叩きつけられ、「ぐえっ」とうめき声をあげる強盗。
直後、警備員たちがわっと駆け寄り、その男を取り押さえた。
「クルス!」
「大丈夫ですか、お嬢様! さっき俺が突き飛ばした時に、くじいたりとかは──」
「え、ええ、私は問題ないわ。あなたがかばってくれたおかげで、捕まることもなかったし……。あなたこそ、怪我は?」
「俺も大したことありません。お気遣い、ありがとうございます」
クルスは強盗のことなどすでに眼中にない様子で、私に微笑みかける。
私はホッと息を吐き、地面の拳銃を一瞥して、先の言動のわけを尋ねた。
「……それにしても、よく弾が入ってないってわかったわね。中身が見えたの?」
「いえ、花です」
「花?」
「あの男の頭上に、白いゼラニウムの花が見えたんですよ。白のゼラニウムの花言葉は『嘘偽り』。叫んだと同時にその花がパッと咲いたので、これは弾が入ってないんだろうと思って、カマをかけたんです。俺の頭を吹っ飛ばすのが嘘ということは、つまりは弾丸かなと」
「……はぁ」
なるほど花言葉の異能はそういう使い方もあったのかと、私は感心する。
そして──強盗が警官隊に引き渡され、事後処理も終わった帰り道で。
「……クルスは、探偵とか、裁判官とか、将来そういう仕事につくのもいいかもね」
私はクルスの異能と機転を褒めたつもりでそう言ったのだけど、何故か彼は少しだけ寂しそうな顔をして、「いえ、俺の将来の職業は、もう決めてありますから」と返したのだった。
◇
宝石店での騒動は、多くの人が見ていたので、その後巷でちょっとした話題となってしまった。
新聞記者やら何やら、たくさんの人がクルスの話を聞きに、私の家へやって来る。
それは記者や野次馬のみならず。彼のことを心配する友人や知り合いも多かった。
たとえば、ジュリア・サマーヘイズ伯爵令嬢。
祖父と懇意にしているサマーヘイズ家には一人娘のご令嬢がいて、彼女と私たちは以前から交流があった。
そのジュリア嬢も話を聞きつけ、クルスの安否を確かめに我が家を訪れる。
「チェルシーちゃん! クルス君が強盗事件に巻き込まれたって聞いたけど、本当なの!?」
「え、ええ。まあ」
彼女は心底クルスを心配した様子で、金髪碧眼の顔を近づけ、私に詳細を尋ねてきた。
「彼、今どんな様子? 怪我とかしてない? 事件のことがトラウマになったりとか……」
「ご心配ありがとうございます。でも、怪我はないですし、トラウマとかも多分大丈夫だと思います」
「あ、でも、新聞にはクルス君が強盗をやっつけちゃったみたいなことも書いてあったわね。それってどういう──」
「それも本当なんです。クルスが犯人を投げ飛ばして……私も人質にされそうになったんですけど、クルスに助けてもらいました」
「まぁ……すごいわ! まるで物語のヒーローね!」
キラキラと輝く瞳で私を見るジュリアさん。
連日の来客対応もあって、気疲れしているクルスに本当は会わせたくなかったのだけど、家どうしのこともあり、私はクルスに会いたいという彼女の望みを聞き入れざるを得なかった。
「──相変わらず、賑やかな人でしたよ」
ジュリアさんが帰ってから。
応対していたクルスは、苦笑しながらそう言って、私に紅茶を淹れてくれた。
「ジュリアさん、悪い人じゃないんだけど、前のめりすぎるところがちょっとね……。良い意味で貴族らしくなくて、そこが魅力でもあるんだけど……」
クルスも私も、彼女のことは嫌いではなかった。
ただ、常時高めのテンションなので、一緒にいると疲れてしまうのだ。
彼女は特にクルスに目をかけているようで、来訪のたびに男物の服などのプレゼントをクルスに贈っており、そこもまたクルスには重荷になっているようだった。
「でも、あの感じだと、ジュリアさんってクルスのことが好きなんじゃないかしら……」
ふと思ったことがそのまま口に出てしまい、すぐにしまったと思う。
自分で言っておいてなんだけれど、それは私の望むところではなかった。
ちょっと騒がしくも、明るく美人と評判の伯爵令嬢。ジュリアさんがもしストレートにクルスを求めたら──そんな事態になった場合、私には勝ち目がないからだ。
「……」
「……クルス?」
「……多分、それ……当たってると思います」
「えっ」
「実は……さっきジュリアさんの頭上に、赤色のバラが見えたんです」
クルスは口元に手をやって、ためらいがちに言った。
赤のバラの花言葉。それは、愛や恋に関するものがほとんどだ。
『あなたを愛しています』、『愛情』、『情熱』、『熱烈な恋』など……。
中には『美貌』といった恋愛に直接関係しないものもあるけど、真っ赤なバラといえば、花言葉を知らない人でも情熱的な愛のイメージがあるように思う。
ジュリアさんの頭上には、そんな赤いバラが十数本咲いていたという。
他の花ではない、色鮮やかな真紅のバラが──であれば、やはり彼女はクルスに熱烈な好意を持っているとみるのが自然ではないか。
「ど、どうするの」
思わず声が震える。
「……困りましたね」
クルスは辟易とした態度を隠さずに言った。
面倒ごとは避けたいとでも言いたげな表情。
つまり、その様子からすれば、クルスはジュリアさんのことを何とも思っておらず、煩わしさすら感じていることになる。
その表情を見て、私は逆に安堵する。
(……ああ、良かった。向こうがどう思ってるにしろ、クルスはジュリアさんに気があるわけではないみたい)
だから、その時はそう思って安心していたのだけど──
◇
「ねぇクルス、来週の週末あたり、また二人でカフェテラスのお店に行きたいんだけど……どうかしら?」
「すいません、お嬢様。俺、その日はちょっと……予定が入ってまして」
「え、でも、この前もダメだったじゃない。最近ずっとそんな感じなんだけど」
「え、ええ、そうなんです。忙しいので──」
「……そう。残念だけど、仕方ないわね」
奇妙なことに、ある日を境にして、クルスの私に対する態度が急によそよそしくなってしまった。
それとなくデートに誘っても拒まれ、自分用の花の本を買ったからと、花言葉の談義もさせてもらえない。私の協力はもう不要だというのだ。
それどころか、ここ数日は私と顔すら合わせたくない様子だった。
……一体どういうことなのか。心当たりはまったくなかった。
何か失礼なことを言った覚えもないし、やましいことだってない。
だからこそ、彼の変化が不思議で、それが私をより不安にさせた。
「おーい、クルス。裏口の方にジュリアちゃん来とるぞ。お前さんをご所望とのことだ」
「あ、ありがとうございます、大旦那様。すぐ行きます」
そして、私への態度と連動するように、何故かクルスはジュリアさんへの態度を軟化させていた。
以前だったら、ジュリアさんが来たと聞けば、あまり乗り気でない顔になっていたのだけど(もちろん本人の前では隠すけど)、最近はどこか素直に彼女の来訪を迎え入れている。
それもどうしてなのか、わからない。
(まさか、クルスもジュリアさんのことを好きになったなんてことは……。でも、仮にそうだとしても、私を避ける理由って……?)
考えを巡らせてぞっとする。
怖かった。
彼に受け入れられないこともだけど、その理由が私の想像もつかないところにあることが。
昔からずっと一緒にいて、家族のような存在だと思っていたのに、私は彼のことを何もわかっていなかったのだろうか。
……そんなこと、認めたくない。
(それとも、私……何か悪いことをしてしまったのかしら。知らないうちに、クルスを傷つけるようなことを……)
でも、それが何なのか見当もつかなかった。
クルスにわけを問いただしたかった。
正直に聞けば話してもらえるだろうか……今の彼の態度では、多分はぐらかされてしまうだろう。
……それならどうすればいい? 幾度も自問自答を繰り返して、私の心は袋小路に陥ってしまう。
人は行動の指針を失うと、目の前が真っ暗になるということを、その時初めて知った。
──そして私は、ろくに考えがまとまらないうちに、一人で行動を起こしてしまう。
向かった先は、ジュリアさんのお屋敷。
「いらっしゃい、チェルシーちゃん! 何もないところだけど、ゆっくりしていってね!」
「……急な訪問で失礼します、ジュリアさん」
タイミング的にクルスの変化の原因は、おそらくジュリアさんにあるような気がした。
もう少し正確に言うなら、彼女の頭上に咲いている赤いバラ。ジュリアさんのクルスへの好意に。
もしかしたら間違っているかもしれないけど、他に思い当たるようなことがなかったのだ。
(……たとえば、クルスもジュリアさんのことを好きになって、両思いになったから、いつも一緒にいる私が邪魔になって、それで私を避けてるなんてことは……)
後で思えば無茶苦茶な論法だった。
けど、それもありうると思ってしまうくらい、その時の私は気が気じゃなく、動揺していた。
そして、駆け引きや様子見すらもなく──私は自分の焦りを彼女にぶつけてしまう。
「あのっ、ジュリアさん、く、クルスのこと、どう思ってるんですか!」
「……んん?」
ジュリアさんはティーカップを持ったまま、何度か瞬きをして固まった。
私は続けて彼女に尋ねる。「クルスのこと、好き……なんですよね」と。
ジュリアさんは私が真剣であることを察したらしく、カップを静かに置いた後、向き直って答えてくれた。
「好きというか……彼には幸せになってもらいたいと思ってるの。クルス君って、もともと隣の国の出身でしょ。あっちの人たち、今も昔も大変で……。私ね、直接じゃないけど、彼とはちょっとした縁があるのよ」
「え、縁……ですか?」
予想していた答えとは微妙にベクトルがずれていて、私は戸惑う。
ジュリアさんはこれまで言わなかった自分の過去を、私へと打ち明けてくれた。
「……実を言うとね、クルス君のお母様に、昔お世話になったことがあるのよ。私が七歳の時だから、今から十二年前かしら……。まだ戦争前だった頃、お隣の国に旅行に行った時、私、迷子になっちゃってね。危うく悪い連中に連れ去られそうになったところを、たまたま通りかかったクルス君のお母様が助けてくれたの」
「クルスのお母さんが……ジュリアさんを……?」
「その時の私は、単に年の離れたお姉さんが遊び相手になってくれたとしか思ってなかったんだけど……。後で聞いたら、ラウラさん──クルス君のお母様ね、私が怖がらないようにと、そうとは気付かせず、安全な場所に誘導して、避難させてくれていたの」
ジュリアさんは穏やかな声色で言葉を続ける。
それは私が今まで目にしたことのない彼女の一面だった。
「それで私、お礼を言わなきゃって思って、帰国後にお手紙を書いて送ったのね。でも、彼女の返事には、まったく恩に着せた様子もなくて、『歳や場所が離れていても、私たち良いお友達になれたと思ってるから』って。『あなたも大きくなったら、誰かを助けてあげてね』って。……本当に、素敵な人だったのよ」
そして──クルスのお母様は、開戦後に戦火に巻き込まれて、亡くなってしまったという。
「でも、訃報を知ったのも休戦協定が結ばれた後で、ご家族のことも全然知らなかったの。ひょんなことから息子さんがいるって知って、現地の人に捜索をお願いしたんだけど、それも途中で途切れちゃって……。まさかその息子さんが、あなたの家の従者として働いてるなんてねぇ……。ほんと、灯台下暗しって感じよね」
ジュリアさんはそう言って、しみじみと感じ入ったように微笑んだ。
つまり、彼女はクルス本人ではなく、彼のお母様への義理を果たすためにクルスに世話を焼いてあげていたということらしい。
懇意にしている家の従者が、偶然にも恩人の息子だった──信じられない偶然だけれど、ジュリアさんの話しぶりから、さすがにそれが嘘だとは思えなかった。
「で、でも、クルスのことを好きなのも、間違いじゃないんですよね」
ジュリアさんの事情はわかった。……わかったけれど、だからこそ私は気を緩めることができなかった。
恩人に報いるために、その息子であるクルスを気にかけているジュリアさん。二人の関係が恋愛に発展するには、むしろおあつらえ向きの状況にも思える。
私が再度尋ねると、ジュリアさんは一瞬きょとんとして、それから含みを持たせたような笑みを見せた。
「……ははぁ~ん、そういうこと。なーるほどねぇ」
あごに手をやり、ふんふんとうなずく。
彼女は明るく楽しげないつもの顔に戻って言った。
「あのね、チェルシーちゃん。私はクルス君に幸せになってほしいだけで、クルス君に惚れてるわけじゃないの。むしろ、クルス君が素敵な誰かと結ばれるなら、全力でそれを応援しちゃうわよ。たとえば、彼が仕える“可愛いお嬢さん”との恋路とかをね」
「ふぇぇっ!?」
想定外の答えが返って来て、思わず声が裏返ってしまう。
「けど、あ、あの、好意がないとまでは言えないんじゃないですか!? 好きだって気持ちを……ジュリアさんご自身が気付いてないだけ、とか」
「……なんか、妙に食い下がるわね」
むぅ、と唇を尖らせるジュリアさん。
「私の言うこと、そんなに信じられない? それとも……何かそう思わせるような確証でもあるのかしら」
「だ、だって、頭にバラの花が──」
「バラ?」
そこまで言って、はっと口を押える。
しまった。思わず異能のことをしゃべってしまうところだった。
いや、別に秘密にしてるわけじゃないから、言ってもまずくはないのかな。
でも、クルスと私しか知らないことを……できれば他の人に教えたくない。
「バラの花って、何のことかしら?」
「あ、あの」
ジュリアさんは、今度は威圧的な笑顔になって詰め寄ってくる。
結局、私は観念して、クルスの異能について打ち明けてしまった。
そして、こちらが話をすべて終えた後、彼女は感心したようにため息をついた。
「はぁー……そういうことだったのねぇ……。そういえばラウラさん、お花が好きだって言ってたわ。クルス君の異能が花言葉に関係してるのは、もしかしたらそのせいもあるかもしれないわね」
「……そうなんですか?」
「それよりチェルシーちゃん、私の頭上にバラが咲いてたっていうけど……それって何本だったかクルス君から聞いてない? おそらくそれ、十三本くらいだと思うんだけど……」
「何本って……あ、あの?」
質問の意図がわからなかった。バラの……本数? どうしてそんなことを?
私が戸惑っていると、ジュリアさんは一人部屋を出て行ってしまう。そして、数分と経たないうちに一冊の本を手にして戻って来た。
「え、その本って……」
「バラの花、バラの花は……と。後ろの索引から見た方が早いわね。えーと、五十二ページ。『バラの花言葉は、色や本数によっても変わることはご存じでしょうか。たとえば、一本なら『一目惚れ』。二本なら『この世界にはあなたと私の二人だけ』というように──』」
「えっ……?」
ジュリアさんが朗読してみせたその本は、最近クルスが買ったと言っていた本と同じものだった。
図鑑よりもコンパクトで、装丁も明るい色調の、花や植物の雑学本。
私が買った図鑑は、どちらかというと生態についての記載が多く、実のところ花言葉はおまけ程度にしか載っていない。
今思えば、高いお金を出して図鑑を買ったのは失敗だったと思う。
一方、その雑学本は花の逸話なども多く掲載されていて、読み物としても楽しめるもの。花言葉についても、より詳細に記されていた。
「は、花の本数で、花言葉って変わるんですか……?」
「どこまでそれが当てはまるのかわからないけど、バラとかヒマワリはそんな感じみたいねぇ」
うかつだった。自慢じゃないけど私はそれほど乙女な女じゃない。
花言葉だって図鑑を見なければほとんど知らなかったし、ましてや本数で意味が変わるなんて、今の今まで知りもしなかった。
「それで、大事なのはここからなんだけど……。バラの花が十三本の場合『永遠の友情』、十四本なら『誇りに思う』って意味になるそうなのよ。さっきのチェルシーちゃんの説明を聞いて、私、クルス君に惚れてるわけでもないのに、おかしいなって思ったんだけど、これなら説明つくんじゃない? つまり、私の頭上のバラはおそらく十三本くらいで、クルス君にではなく、クルス君の向こうの──ラウラさんへの思いを表してるってこと」
「え……ええぇっ──!?」
驚いて声が出てしまう。
驚きながら、私は「そういうことか」と納得もしていた。
確かにそれでも理屈は通っている。というより、そちらの方がしっくりくる。ジュリアさんがクルスと話す時、その向こうに彼のお母さんを見ていて、その気持ちが示されているという考え方──ジュリアさんのクルスのお母さんへの気持ちは、真に迫るものだからだ。
ジュリアさんの気持ちだけじゃない。クルスのジュリアさんへの態度が軟化した理由についても納得がいった。
クルスは、偶然にもジュリアさんが持っているのと同じ本を買っていた。きっとこの本を読み、彼女の頭上のバラの数を確認したのだろう。
そして、ジュリアさんの態度も合わせて、彼女が自分に恋心を抱いていないと推測し、気兼ねのない応対ができるようになったのだ。
それならクルスの態度が変化した理由も説明がつく。
(あるいは、私がクルスなら……もう一歩踏み込んで確かめようとする。きっとクルスも──)
「……ジュリアさん、もしかしてクルスにも、クルスのお母さんのこと、話したんじゃないですか?」
「ええ、そうよ。ちょっと前に、クルス君から『どうしてそんなによくしてくれるんですか』って聞かれてね。それで、ラウラさんの話になって──」
(……やっぱり)
「って、あ、そっか……そういうことなのね」
ジュリアさんも得心がいったようにうなずいた。
つまり彼女も、花言葉の感情が正確にクルスに伝わったことを、理解したのだ。
……それにしても、と、私は花言葉の多様さに、ため息をつく。
(まさか、本数が違うだけで、そんな違う意味になるなんて……。バラと、あとヒマワリも……。そんな感じの花って、他にもあるのかしら。バラとヒマワリ以外には──)
「って、ヒマワリ!?」
「ど、どうしたの、チェルシーちゃん!?」
またもや声に出してしまっていた。
私は遅れて思い出した。クルスが私の頭上に見ていた花こそ、ヒマワリだったということを。
ヒマワリの花言葉は、『光輝』や『情熱』、『憧れ』。
でも、それは本数を指定しない場合の話。
……では、本数を指定した場合なら──?
『──そこらに咲いてるような花が、皆の頭の上に浮かんで見えるんです。お嬢様だと、ヒマワリが七本といった感じで……』
あの時のクルスの言葉が、残響のように頭に響き渡る。
七本のヒマワリ。
ヒマワリが七本の時は、どんな花言葉なのか。私はその花言葉の感情を、知らないうちにクルスに示してしまっていた。
そして、おそらくその花言葉の意味を、クルスはすでに知っている。知らなかったのは私だけ。
「す、すみません。ちょっと本を──」
私はジュリアさんから本を受け取り、おそるおそる該当のページを開いた。
そこに載っていたのは、『密かな愛』という花言葉。
その言葉を目にして、自分の身体がぐらりとよろめいた。
「そ、そういうことだったのね……」
密かな愛。誰かへの愛する思いを秘めていること。
それが誰への思いかなんて、言うまでもない。
クルスの異能は、状況にもよるけど、誰かへ向けた感情の発露があった際に、花が咲いて見える。
つまり、私が彼に好意を向けていたことが、バレバレだったということ。
「ど、どうしよう……」
本当にどうすればいいのか、わからなかった。
おそらく最初から気付かれていたわけではないのだろう。
しかし、少なくともこの本を読んで、正しい花言葉を知ると同時に私の気持ちも知ったに違いない。だから態度がよそよそしくなったのだ。
(あああぁっ……そんなあっ……!)
羞恥で顔が熱くなる。
その場にしゃがみ込み、頭を抱える私。
しかし、それを見ていたジュリアさんは、何でもないかのように私に笑いかけた。
「えーと……なんだかよくわからないけど、チェルシーちゃん。もうあとは、告白しちゃうしかないんじゃないの?」
「えっ、こっ、ここここ告白っ!?」
ジュリアさんは、「うん」と私にうなずいて言った。
「今のチェルシーちゃんの慌てぶりからして、チェルシーちゃんの気持ちが、クルス君に知られてたってところかしら? でも、そんなの気にするほどのこともないと思うのよ。というか、いっそのことチェルシーちゃんが思いを伝えれば、花言葉なんて気にしなくて済むと思うんだけど──」
「な、何を言ってるんですか、ジュリアさんっ!?」
「だって、黙ってる必要なんてなくなったわけでしょ? だったら先に言って、主導権を握るべきよ」
「しゅ、主導権って……」
ジュリアさんは開かれていたページをちらと見て、それから私の顔を見る。
『七本のヒマワリ──密かな愛』。私がその文章を指で差し、頭上にそれがあるジェスチャーをすると、彼女は「なるほど、やっぱりね」と口の端を上げた。
「うん、もう覚悟を決めちゃいなさい。いつまでも『お嬢様』と『従者』でいられるわけじゃないんだし。これはそこから一歩進むチャンスと思うべきよ」
ジュリアさんは私の肩を叩いて言った。
「え、ええぇ……。ええと……」
「人生の先輩からの助言は聞いておきましょう?」
「わ、私たち、三歳しか違いませんけど……」
「あら、三年って結構大きい差じゃないかしら」
……まあ、年齢差は置いておくとして。
この状況では、確かに黙っていることなんてできそうもなかった。
自分の気持ちをクルスに知られたからって、その気持ちを変えることはできない。
だったら、たとえ叶わなくても、この思いを正直に伝えたい──ジュリアさんに背中を押され、私の心はそんなふうに前を向きつつあった。
「……今日はすみませんでした、ジュリアさん。なんだか一人で騒いで、ご迷惑をおかけして……」
「いいのよ。それよりも、頑張ってらっしゃい。大丈夫、きっと上手くいくわ」
「……はいっ。ありがとうございます」
そうして私は、ジュリアさんの屋敷を後にしたのだった。
◇
帰宅した時、ちょうど廊下でクルスと鉢合わせた。
彼は背を向けようとした直後、ハッと私の頭上を見て、驚きの表情になる。
「お、お嬢様」
「クルス、大事な話があるの」
彼が私の上に何を見たのか、それはわからない。
でも、おそらく七本のヒマワリではないのだと思った。
何故なら私はすでに覚悟を決めていたから。それはもう、秘めたる思いではなくなったのだから。
「クルス、聞いて。私ね、ずっとあなたのことが──」
「待ってください、お嬢様」
クルスは私の言葉をさえぎった。
けれど、それは私を拒絶する声ではない。
その声はいつものクルスのように凛としていて。彼の表情は、私と同じように覚悟を決めたものだった。
「……俺も男なんです。こういうことを女性に言わせてしまうのは、無粋だってことくらい知ってます。……どうか、俺の方から言わせてもらえませんか」
「……クルス……」
そして、クルスはほんの少しだけ思量した後で、まっすぐな瞳で私を見る。
彼は言った。紡がれる言葉を慈しみ、その一つ一つに心を込めるようにして。
「……お嬢様。俺はあなたのことをお慕いしています。お仕えすることになった、七年前のあの日からずっと。……でも、それだけじゃないんです。あなたへの思いは、ただの従者としての思慕だけじゃない。俺は……一人の女性として、誰よりも大切な人として……あなたのことを……愛しています」
「……クルス……!」
万感の思いを込めた告白だった。
心配することなんて、何もなかった。
私がクルスを見ていたように、クルスも私のことを見つめ続けていてくれた。
私は駆け寄って強くクルスを抱きしめる。彼はそんな私の背中に優しく手を添えてくれる。
私たちはお互いの体温を感じ合いながら、お互いの思いを確かめあった。
「──……それにしても、私の気持ちがずっとバレてたなんてねぇ……」
そして、私たちは改めて気持ちを伝え合う。
予想した通り、クルスは新たに買った本を読んで、七本のヒマワリの意味──私の本当の気持ちを知ったとのことだった。
けれど、私からの好意を嬉しく思う反面、それを一方的に知っているうしろめたさで、顔を合わせることをためらっていたという。
「七本のヒマワリの意味を知ってからは、近いうちに思いを伝えるつもりだったんです。でも、それまでは告白するべきか迷っていました。仮に振られたとして……振られること自体は別にいいんですが、俺はずっとこの家で働くので、それだとお互いに気まずいと思って」
「ずっとこの家でって……クルス、独立したりしないの?」
「独立はしませんよ。大旦那様から誘われているんです。今度、新しく店舗を増やすから、そこの運営をやってみないかって。だから俺、帰化申請してこの国の国籍を取ったんです」
「え……帰化したのって、そ、そのためだったの……?」
「一応、お嬢様のことも、大旦那様から許可はいただいてるんですよ。というか、バレてて背中押されました。『告白するなら早いうちにしとけ。もしチェルシーがOKしたなら、二人で新店舗の方に住むといい』って」
「えっ、お、おじいちゃん、何やってるのよ……!」
「『うちは貴族といっても名ばかりだから、主従がどうとかも気にせんでいい』、『そんなことより、お前たちが結ばれてくれた方がワシも嬉しい。もちろん、チェルシーの気持ちが一番大事だが』……だそうです」
「えぇぇ……」
(おじいちゃん……意外と軽いというか、恋愛推進派……?)
そういえば、アザレアの花言葉に『恋の喜び』ってあったけど……もしかしてあれ、間違ってなかったのかも。
そんなことを考えていると、クルスは私の頭上を見て、クスリと微笑んだ。
「お嬢様……ありがとうございます。俺の気持ちを受け入れて下さって……。俺、すごく嬉しいです」
「……ねぇ、クルス。今の私に、何の花が見えてるの?」
「ヒマワリです。でも、七本より数が増えて……今は、十一本になってます」
「……なるほどね」
私はうなずいてクルスの肩にもたれかかる。
実を言うと、ジュリアさんから花の本を貸してもらい、帰宅途中の馬車の中でめぼしいところはいくつか覚えてしまっていた。
特にヒマワリは、本数別の花言葉も含めてしっかりと確認し、暗記済みだ。
ただ、厳密には、本数で示される花言葉というものは、花の種類はあまり重要ではないそうだ。
たとえば、七本のヒマワリはヒマワリでなければならないことはなく、七本のバラでも『密かな愛』という意味になる。
でも、だからこそ、私にヒマワリが咲いたということは、それが私にふさわしい花ということができ、そのヒマワリが十一本に増えたということは、その数に意味があるに違いなかった。
「お嬢様、十一本のヒマワリは……どういう意味なんですか?」
知っているのかそうでないのか、クルスは私に花言葉の意味を尋ねる。
私は微笑んで彼に答えた。
「……あなたのことよ。私の『最愛の人』、クルス」