今世⑦
レバスの進言にイレーナ姫はハッとしたように口元に手をあてた。
「そ、そうでしたね。あのような事があったのに私ったら……本当にごめんなさい。
あの、良ければまた明日お話を聞かせて頂きたいのですけど」
「えぇと……まぁ……はい……」
一国の姫様のお願いを邪険にするにもいかず、私は曖昧に頷く。
それが話の終わりというようにレバスは扉を開け、私を外へと促した。促されるままに部屋の外へ出る。
するとレバスは扉を閉め、数歩距離を取ったところで私の方へ向き直った。
「姫様が失礼を申しました。代わって私から謝罪させて頂きます」
流麗な動作で頭を下げられ、逆に私の方が畏まってしまう。
「いやいや! 別に気にしてませんから!
……いや、気にしてないというと嘘になりますけど、大丈夫です……はい」
「……姫様はずっと苦心しておられました。
魔物の活性化から、世界全体が少しずつ滅びに近づいていく様にです。
そんな中で見つけた希望……そこに縋りたくなる気持ちは理解して頂けると幸いです」
レバスは胸に手を当て、自分の事のように苦しみを語った。言わんとしている事はわかるつもりだ。私とて、かつては人々の希望を背負うエースパイロットだったのだから。
ただ、どう転んでも私は勇者ではない。イレーナ姫の希望を背負える身にはなれない。
「それは……まぁ、分かります。けど、私はほんとに違うんです」
「存じております。そこで、私共から提案がございます。まずはこちらを……」
そう言って差し出されたものは、一か月分以上はありそうな量の硬貨の詰まった袋と使い古された旅具だった。その中には非常に高価な魔物除けもある。ただの一般人、それも辺境の田舎に住む人間がおいそれと持てるものではない。
「あの、これは……!?」
「その説明の前にまず現状の確認をさせて頂きたく存じます」
有無を言わさず手渡され、レバスは話し始めた。
「リヴェリア様の望まれている事は平穏……それに相違ありませんね?」
「え、えぇ……そうです。私は勇者なんかじゃないですし」
「ですが、姫様は貴方様が勇者である事を信じておられます。いえ、信じたいと思っています」
レバスのその物言いに違和感を覚える。が、次に続いた言葉で違和感など吹っ飛んだ。
「そして、このボルタ村の現状として、リヴェリア様が勇者であるという噂が既に広まっております」
「……は?」
何故?
まだ先の盗賊騒動から数時間も経ってないのに?
「リヴェリア様の妹君であられるシャリー様が、ご自宅への道すがら色んな方へ自慢されていたそうで。
私もこの荷物を取りに行った際に他の村人から聞いたのでございます」
シャリーちゃああああん!?
私は喉元まで出かかった叫びを何とか飲み込み、心の中で絶叫した。
「そこで先に申し上げた提案でございます。
そちらを差し上げますので、ほとぼりが冷めるまでどこか別の村や町に向かわれるのはいかがかと。
所謂、雲隠れ……というものでございます」
その提案は言ってみれば『逃げ』だった。この村からも、姫の期待からも逃げて、噂も何もかも風に吹かれて消え去った頃に戻ってくる。
楽ではあるが、家族と当面会えなくなるという事でもある。はいそうします、と素直に受け入れるには余りに辛い。
しかし。
他に選択肢は思い浮かばなかった。
このまま村にいればイレーナ姫に延々と追及されるだろう。それを否定する事は出来ても、納得させる事は難しい。業を煮やしたイレーナ姫が強硬策に出る可能性も考えられる。そうなっては私のみならず、シャリーや家族の安全が損なわれるかもしれない。
村を出た場合、ある事ない事騒がされそうではあるが頭を冷やす時間を設ける事くらいは出来る。その間に魔物の活性化なんかが落ち着いてくれれば儲けものだ。あるいは本物の勇者が現れてくれてもいい。
それに……。
もしも、本当に闇の精霊なんてものがいるのだとしたら。
世界の滅びなんて危機が迫っているのだとしたら。
それがシャリーや両親を危険に晒す事になるのだとしたら。
エルディバイドという力が役に立つかもしれない。
精霊との契約は成らなかったが、私にも自分や家族を守る事が出来るかもしれない。
本当にそんなものがいるなんて信じてはいないけれども。
旅に出る理由として、自分自身を納得させる材料としてはまぁ悪くないだろう。
「確認してもいいですか」
だが。疑念はある。それを解消しなくては、レバスの案を素直に受け入れられない。
「なんでございましょう?」
「何故、私を助けてくれるんです? こんな大金や道具を用意してくれてまで。
レバスさんはイレーナ姫様の執事なんですよね?」
そう。
この目の前にいる執事が、私にそこまでする理由が分からない。
レバスは「ふむ」と僅かに首を傾げたかと思うと、私の方へ向き直った。
「理由は幾つかございます。その中で特に比重が大きいものは二つほど。
一つは、過去の文献との相違でございます」
「文献との……相違?」
「えぇ。私も姫様に付き従う身。千年前に起こった出来事について、相応の知識は備えております。
勿論、それ以前についても。
それ故に、今回は過去に比べて相違点が大きい事が気になるのです。
本当にあれは闇の精霊の化身であったのか、と」
レバスの語る過去は知らないが、少なくともあれがエルディバイドだという事は私が知っている。闇の精霊なんてものじゃないのだから、確かに違和感はあって然るべきだ。
しかし、レバスがそれを実感しているならイレーナ姫も同じように感じていてもおかしくないと思うのだが……。
それだけ期待されていたということだろうか。私が勇者であるという事に。
「もう一つ。失礼ながら先ほどお伺いしました。
リヴェリア様は未契約者であらせられると」
「証明とかはできないですけどね」
「分かっております。他人には理解されない苦しみ、辛みがあった事でしょう」
自嘲気味に言った私の言葉を、レバスは全て受け入れるように頷いた。
「分かっている……ってレバスさんも……もしかして?」
「はい。ご想像の通りでございます。
同情していると言っては失礼ですが、
同種の悩みを持つ経験者として、手助けをしたく思ったのです」
まさか、数少ないと言う未契約者の先輩がこんなところにいようとは!
お互いにそれを証明する手立ては無い。無いが、私の心中を慮るその態度は信じられる気がした。
「分かりました。いつか、落ち着いたらこのお礼は必ずさせてもらいます」
しっかりと旅具を握りしめ、一礼する。私の中で、レバスの提案を受け入れる覚悟が出来ていた。
レバスは微笑み、やんわりと首を振った。
「お気になさらず結構ですよ。私の勝手でする事です」
「それでは私の気が済みませんよ!」
「では、それはその時にまたお話ししましょう。
それより、その旅具はどこかに隠して明日の朝早く出発されるのが良いかと」
礼に関してはぐらかされた。レバスの進言に私は思案する。確かに、今から村を出て近場の町へ行こうとすれば闇夜を進むことになる。そうなれば危険は多いだろう。
だが。
「いえ、このまま村を出ます。こういうのは早い方がいいです」
私はきっぱりと言い切った。噂が広がる進度を考えれば、明日になって誰にも見つからず村を出る難易度は跳ね上がる。捜索隊か何かを出されて見つかる可能性も大きい。
それに、今この状況でシャリーや両親とどう向き合えばいいのかもわからない。シャリーの事だ、下手したら興奮しっぱなしで一晩中まとわりつかれるかもしれない。
幸い、魔物除けがあるし、盗賊を追い払った直後で別の盗賊に出くわす可能性も低いだろう。
何よりも私にはエルディバイド……リエルがいる。
そうだ、リエルとも早く話さねばならない。ちょうどいいと思おう。
「旅を勧めておいて何ですが、女性一人で夜に出歩くのは……やめておかれた方がよいかと」
女性という点を強調して言われた。それも本心ではあろう。だが、私には言外に『未契約者』である事が何より危険であると言われた気がしてならなかった。
それだけ私達、精霊と縁のない人間はこの世界では住み辛いのだと。
「頂いた魔物除けもありますし、こう見えて夜道を歩く知識とかはある方です。
明日になって村から出られなくなる方が困りますよ」
「……これ以上、お引止めするのは失礼ですね。
では最後にこれだけは。リヴェリア様の出立後、ご家族様へのフォローなどはお任せ下さい。
私共が当たり障りの無いように説明しておきます」
「何から何まで……ありがとうございます」
「どうぞ、お気をつけて。リヴェリア様の行く先に平穏があらん事を」
レバスはスッと一歩退いておじぎをする。それが会話の終わりの合図だった。
「あ、忘れてました。お茶、美味しかったです」
先ほど頂いたお茶は、色んな意味で私にとって癒しとなっていた。
そのお礼を口にすると、レバスはにこりと微笑んでお辞儀した。
「それじゃ、またいつか」
私はそそくさと宿を出た。周囲の様子を窺う。噂が広がっているなら宿の周りを誰かしらうろついているかと思ったが、その気配はない。
まだ盗賊撃退の後始末が済んでいないか、あるいはお姫様の顰蹙を買うのを恐れてか。
私にとっては好都合だ。人目を避けて村の出口へと向かう。
途中、十五年過ごした我が家のある方へ視線を送った。
シャリーとは「後で」と言ったきりだ。その『後』が思った以上に後になりそうな事を申し訳なく思う。それでも、後は後。いつかまた帰ってくるのだと心に誓って。
私は視線を前に戻して村を出る。
雲隠れする為、というのが少し情けないが。
不安はあった。それでも……天を仰いだその先に。
何故か前世から続いていた縁が……頼もしい愛機がいる。
あと一歩どころか、何もなせないまま死ぬかもしれなかった私を救ってくれたリエル。
リエルがいるならば、今度こそ私は。
前世の『俺』が歩んできた、あと一歩ばかりの人生を変えられるはず。
今世の『私』があと一歩で……とならないように力になってくれるはず。
そんな確かな安心感があった。
――こうして、私ことリヴェリア・ハーシェルの、あと一歩を乗り越える旅は始まったのだった。
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