今世⑥
「……えーっと、でもその闇の精霊? が実際に現れたなんて話は聞いたことがないんですけど」
内面の動揺は表に出さないように、事実を確認する。幾ら田舎の村とはいえ、そんな恐ろしい存在がいたのなら、噂の一つくらいはあってしかるべきだ。
「仰る通りです。いつ出現してもおかしくないはずの闇の精霊はどこにも現れなかった。
ですが、魔物は活性化し始めました。世界の滅びを助長するかのように」
そういえば、魔物が活性化しているという噂を最近よく聞く。ついさっきもバルドさんとそんな話をしていたところだ。とはいえ、それだけで闇の精霊の実在を証明できると思っていいものか。
魔物の活性化自体が憂慮すべき事案なのは理解できるが、だからといって話が飛躍しすぎてはいまいか。
「故に各国は、闇の精霊が姿を見せない事を逆に危険な状態と判断したのです。
その為、各国は密かに調査を開始しました。大々的に行わないのは、一般市民の混乱を避ける為です」
各国という事はルプタリア王国だけでなく他の国もこの事態を危惧しているという事か。それが事実なら、闇の精霊の実在をどの国も信じていると言う事になる。市民の混乱と不安を避ける為という理由も一応は納得できるものだ。
だが、そうなってくると今度はその話と私の関連性を疑いたくなる。目の前にいるこのお姫様が、それをどう考えているのかも含めて。
「その調査隊の一つが、私たちというわけです」
「なんで、お姫様自ら調査を?」
イレーナ姫の考えを窺い知るべく、私は話を切り出した。
イレーナ姫に向けたその問いに対する答えは、意外な所から姿を見せた。
「ミャウミャウ!」
可愛らしい小動物の鳴き声。どこに隠れていたのか、イレーナ姫のドレスの裾から耳の大きいキツネのような生き物が顔を出していた。トテトテと軽快な足取りでイレーナ姫の体を駆け上り、肩の上で丸くなる。
初めて見る動物だ。いや、見た目こそ動物だが、どこか浮世離れした雰囲気があった。
それに体躯からして、姫のドレスに収まる大きさではない。突然降って湧いたような。
「それは……精霊?」
「はい。私と契約している《水晶》の精霊ミャウリエレムといいます。
普段はミャウちゃんって呼んでるんですけどね」
指先でミャウと呼ばれた精霊の鼻筋を撫でながら、穏やかに笑ってイレーナ姫は紹介した。
精霊。その中でも実体化が出来る精霊は極少数と言われている。それは実体化に必要とされる魔力の量が多大な為だ。能力的にかなり上澄みの精霊である事に間違いはない。
精霊にも強さに個体差がある。それは属性と魔力の総量で決まるものだとされている。
私は精霊と契約していないから又聞きの範疇でしか知らないが、属性によって使える魔法が異なったり、身体能力向上の恩恵も精霊ごとに差があるという。
その目安となる一つが、魔力量の大きさを示す精霊の実体化という話は噂に聞いていた。
「は、初めて見ました……」
私の身近にはこれほど明瞭に実体化できる精霊と契約している者はいなかった。
それ故に、動物とは似つつも、しかしハッキリと違いの分かるその神秘性に私は目を奪われた。
「ふふ。ミャウちゃんはちょっと特殊で、戦いが出来るような子では無いので普段は隠れているんですが。
その代わりに『星詠み』というちょっとした未来予知の力を使えるんです」
「未来予知……ですか」
「視るには条件がありますし、明確に視えるわけではないんです。
けれど、もし視えたのであれば、その事象は間違いなく起こります」
私は思わず唾を呑んだ。それが事実であれば、あまりに強力な力だ。一般的な魔法でさえ私にとっては遥か天上の話だと言うのに、正に人知を超えた力である。
「そして、先ほどの答えですが……。
私はずっと闇の精霊を追って星詠みの力を使ってきました。
けれど、どれだけ力を使っても何の未来も視えませんでした」
そこでイレーナ姫はすぅ……と息を吸った。少しだけ、顔つきが険しくなる。
「先日の事です。初めて、星詠みが私に応えてくれたのです。
その時私が見たのは、光と闇の邂逅がこの地で起こる……というものでした」
「光と闇の邂逅……かなり曖昧な感じですけど……」
「仰る通りです。なので正確に何がどう起こるのかは私にも分かりませんでした。
ですが、『それ』が起こる事は間違いなく予知していたのです。
そして現実に、天を貫くような巨人が現れ、リヴェリアさんの放った光が追い払った……」
イレーナ姫の思惑が見えてきた。つまるところ彼女は、エルディバイドを闇の精霊の化身、私を光の精霊と契約した勇者だと思い込んでいるのだ。盗賊ごと村を巻き込もうとしたリエルに対し、怒りのままにビームガンを向けたのがまずかった。
話の行先に不安を覚え、私は勢いよく立ち上がり全力で首を振った。
「違います。追い払ってませんし、光を放ってもいません。前提が間違ってます」
「でしたら、妹のシャリーさんがあの光を?」
「もっとあり得ません。うちの妹は虫も殺せないほど優しい子なので!」
なんと荒唐無稽な弁か!
よりによってシャリーに疑いの目を向けるとは。流石の私も激昂を禁じ得なかった。
「ではやはり、リヴェリア様のお力では?」
「違いますって! そもそも私、未契約者ですし!」
「え……未契約?」
つい勢いで口走った言葉で、イレーナ姫の気勢が削がれた。
イレーナ姫は俯きがちに口元に手を当て、何やらぶつぶつと考え込みだす。
「いえ……そんな……あり得ません。何らかの事情で契約を隠しているとか、そういう事では……」
それは私に言っているというより、自問しているような呟きだった。
どうしても私を光の精霊と契約した勇者にしたいらしい。ここで未契約である事を証明できればよかったのだが、いわゆる悪魔の証明というもので『していない』事を納得させるのは難しい。
いっそ適当な精霊と契約状態にあった方がまだ証明もしやすかったろう。こんなところでも未契約者である不便を感じるとは思わなかった。
私が追の一手に悩む一方で、イレーナ姫は思いつめたように落としていた視線をゆっくりと上げて口を開いた。
「ですが、ラピアが確かに視認しているのです。貴方がたの居た地点から光が伸びるのを」
「それは……見間違いか何かでは?」
「ありえません。私はラピアの観察眼も、彼女が嘘偽りを述べない人間である事も信じています」
否定的な言を述べる私に覆いかぶさるように、イレーナ姫はラピアローザへの信頼の厚さを説いた。そのあまりに真剣な様に、家臣に全幅の信頼を寄せる良い姫様なのだろうと素直にそう思う。
尤も、その信頼は今この場において、私にとっては厄介なものでしかなかったのだが。
さて、どうしたものか。
イレーナ姫は自身の能力やラピアローザに対して微塵も疑う様子がない。その結果、私を勇者だと信じ切ってしまっている。
どう説得すれば理解してくれるのかと混迷する中、扉をノックする音が聞こえてきた。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
現れたのは執事のレバスだった。鼻を通っただけで落ち着くような、爽やかな香りのお茶を差し出される。
「冷めないうちにどうぞお召し上がりくださいませ」
「ど、どうも」
促され、ティーカップを手に取り一口。僅かばかりではあったが、心が落ち着いた気がした。
ふぅとため息が漏れ出る。その様を見たレバスの口元が綻んだ。ゆるんだ表情を見られてしまったろうか、と気恥ずかしくなり居住まいを正す。
レバスは私の様子を確認するとイレーナ姫の方へと向き直った。
「姫様。リヴェリア様はお疲れのご様子。
本日のお話はこれくらいにされてはいかがでしょうか」
それは私にとって救いの手とも呼べる言葉だった――
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