今世①
「お母さん、ただいまー!」
『私』は家のドアを開けて元気よく挨拶した。
「お帰り、ヴェリア。早かったわね」
裁縫をしていた母が、その手を止めてにっこりと笑顔で出迎えてくれる。私は手にしていた買い物かごをお母さんに渡した。どこにでもいる普通の母親と、どこにでもいる普通の娘、そんな日常の一コマだ。
「へへ、お野菜ちょっとオマケしてもらっちゃった」
買い物かごには幾つかの野菜とパン。今日の夕飯の買い出しだ。
「助かるわ。今日も腕によりをかけるからね」
「やたっ! それじゃちょっと遊びに行ってくるね!」
「帰ってきて早々かい? なら、シャリーの迎えも頼むよ」
シャリーとは五つ離れた私の妹だ。明るめの茶髪、くりくりとして輝く瞳、いつもニコニコ笑顔を絶やさない愛おしさ。そんな誰からも愛されるような見た目に違わず、性格も朗らかで姉思い、家族思いのとても優しい子だ。私の自慢でもある。
だが、ここ数日はよく友達と遊んでいる。
姉としては寂しい限りだ。それまではずっと私の後ろをお姉ちゃんお姉ちゃんとついてきていたのに。友達というのが男だったら本気で嫉妬していた事だろう。その程度には愛していると自信を持って言える。悪い虫がつかないよう一緒に帰るのも姉としての勤めと言えよう。
私は母の頼みをむしろ誇らしく受け入れた。
「任されました! じゃ、いってきまーす」
今日の私の仕事はこれで終わり。とはいえまだ陽が傾くにはだいぶ早い。
私は踵を返し外へと駆け出した。
「いってらっしゃい。忙しないんだからもう……」
背後で母の呆れ声が聞こえたけど、まあいいでしょ。
空は雲一つない快晴で、こんな日に家にいても勿体ないんだから。
……私はリヴェリア・ハーシェル、十五歳。周りからはヴェリアって呼ばれている。
どこにでもある小さな村の、どこにでもいる村娘。
けれど。
一つだけ違うのは、私には前世の記憶があった。
正確には『俺』。統一地球軍のリーヴィッツ・ハウンゼン特務大佐として愛機エルディバイドで数多の戦場を駆け巡るパイロットだった男だ。
最終決戦で死んだと思った直後、俺はこの自然溢れる世界でリヴェリアとしてこの世に生を受けた。
最初は何が何だかわからなかったが、ここが異世界で、自分が転生したのだという事は二歳を迎えるまでには受け入れられた。
理由などは分からない。ただ、せっかく生まれ変われたのだ。今の生を謳歌する事が寛容だと思った。
問題があったとすれば。
それは『私』が女だった事だろう。前世で三十年近く男の体だった私だ。最初はこの違いに戸惑った。振舞い方にも迷った。記憶のままに自身を偽らず生きるべきか。だが、リーヴィッツとして生きた前世では、真面目ではあったがお世辞にも明るい人物ではなかった。そのまま転写した人生を歩んでは、家族も心配するかもしれない。そう思った私は、リヴェリアとして新たな人格を演じる事を決めた。
家族の自慢となるような、快活で心優しい女の子として生きようと。幸か不幸か、赤ん坊から記憶があったお陰で何とかこの十五年で女の子らしい振る舞いは出来るようになってきたと思う。
尤も、内面まではそうはいかない。未だ男として生きてきた時間の方が長いのだ。
「おう、ヴェリア! また訓練か?」
ふいに声をかけられる。
思い出に耽っていたらいつの間にか目的地である訓練場に着いていたらしい。
野太いその声はこのボルタ村唯一の衛兵バルドさんだった。日焼けして浅黒い肌、無精ひげは少しだらしないが、がっしりとした体躯に無骨な鎧を身にまとい、背中に大剣を背負うその姿は正に戦士といった風体だ。
首都から遠く遠く離れた辺境の、何もない小さな村だ。ちゃんとした衛兵はバルドさんだけで、後は何かあれば皆が力を貸す。
逆に言えばバルドさんの実力は折り紙付きで、気さくな性格もあって私はよく剣術の師事を受けている。
そう、女の子らしく生きようと決めた私だが、唯一妥協できないものがあった。戦闘技術の会得。自分と家族を守る力は、万が一の事態に備えて身に着けたいと思っていた。
新しい生を受けたこの星は、決して万事平和な世界ではない。この村に有事が起こる事は滅多にないとはいえ、村の外には魔物が跋扈し、盗賊の類だって存在している。そうしたものと出くわした時に、無力なままで後悔するのだけは避けたかった。
「あはは、まぁね。何かあってからじゃ遅いし」
「その心構えは悪くねぇが、お前さんが戦わなくてもいいだろうに」
バルドさんは苦笑してそう言う。言いたい事は分かる。前世ならばともかく、今の私に戦いが向いていない事は明白だった。
「やれる事はやっときたいの」
それでも。私は前世を思い出し首を振る。あと一歩届かないなんて事が無いように。
「強情だねぇ。まぁ、そんなお前さんは嫌いじゃない」
呆れた様子で笑って見せるバルドさんはため息を一つ吐くと訓練用の木剣を構えた。
「ちょうど時間があってな、せっかくだから久々に俺が見てやるよ。
安心しな。お前さんに合わせて手加減はしてやるからよ」
明らかな上から目線。少しムっとする物言いだが、仕方がない。私とバルドさんには実力に天地の差があるのは事実だ。
「はぁい。でも、後悔しないでよ?」
手加減しすぎないようにと念を押す。バルドさんが私の力量に合わせてくれようとしているのは分かる。しかし、過度の手加減は油断と同義だ。そう挑発するのは、せっかくの手合わせを無駄にしたくないからだった。
私は木剣を手に取り、バルドさんから数歩距離を取る。
「いつでもいいぜ。好きに攻めてみな!」
バルドさんはニヤリと笑い、こちらに先手を促してきた。だが、安易に踏み込めるほど構えに隙はない。手加減はしても油断はしないという、先の私の念押しに対する答えのように思えた。どうやら私の浅薄な考えはお見通しのようだ。観念して、私は一気に距離を詰めた。
「それじゃ遠慮なくっ!」
大きく振りかぶった一撃。けれどそんな大振りが当たるはずもなく。
バルドさんは木剣でそれを防ぐとそのまま大きく薙いだ。その勢いで私の手から木剣が弾き飛ばされる。力と力。単調なぶつかり合いでは結果は優に見えていた。
「そんなんじゃぁ、まだまだ俺には――」
「ここからよ!!」
勝ちを確信した様子のバルドさんに対し、私は素早く懐に飛び込んだ。
そう。剣を失う事は最初から想定済み。私はバルドさんの木剣を持つ右腕に組みついた。
「ぬがっ!?」
バルドさんが悲鳴を上げる。私は既にバルドさんの右腕を完全に極めていた。バルドさんの手から木剣がこぼれ落ちる。私はその木剣を拾い上げようとして――
「ぬおおおお!!」
耳に響く怒声とともに完全に極めていたはずの右腕が、私から離れた。技術も何もない、純粋な力で振りほどかれたのだ。
呆気にとられた私の喉元に、いつの間にか木剣が突き出される。私は両手を上げるしかなかった。
「はぁはぁ……俺の、勝ちだな……」
額から汗を垂れ流しながすバルドさんが荒い息で笑みを浮かべる。
私もまた嘆息し、愚痴を一つ零した。
「手加減してくれるって約束は?」
バルドさんの顔が少し歪んだ。罪悪感を覚えたのだろう。ばつが悪そうに視線を泳がす。
「あー……そんな事も言ったなぁ」
トボけるバルドさんに、私は視線を強くする。じろじろと。
「……分かったよ! 俺の負けでいい!」
「へへ、ありがとっ!」
実際の所、勝ち負けなんて気にしていない。訓練になるかどうか。そして――
「しかしまぁ、よくやるよ。それだけに惜しいなぁ……」
バルドさんが残念そうに呟くのを私は聞き逃さなかった。その意味は誰より私がよく知っている。
今の模擬戦、私が一時でも善戦できたのはこの世界にはまだ『技術』が発達してないからだ。それは格闘技などの技であり、科学的な技術も含まれる。
そういった技による小手先の部分が私のアドバンテージ。でも、それは単純な力で簡単に制圧されてしまう。
それがバルドさんの言う手加減の正体。そして、私がいつも確認している絶対的な壁の形。
「ヴェリアが未契約だってのが信じられんよ、俺は」
不意に発せられたバルドさんの一言が、私の肩に重くのしかかった――
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