第9策: 王家の嘘
「逃げなければ死!」
その思いに支配された人間が何万と言う集団で一度に逃げる光景を想像できるだろうか?
冷酷に逃げ遅れた者を切り倒す公国軍から逃げる王国兵は生存本能に支配された獣となった。獣の群れには戦略、政治、身分等を気遣う余裕は無くなり、少しでも自分の逃げるスピードを妨げる者は「障害物」でしか無くなる。
つまりは数万人規模のカオスである。
このパニック状態の人の濁流は人を飲む。負傷して走れなくなった者は押し倒され、踏みつぶされる。部隊は当然の如くに散り散りに引き離され、流れの中に居る人間は方向感覚すらままならなくなっていく。
その混沌とした激流の中、俺とベルトランは必死で王子を追っていた。馬があるおかげで逃げている兵の大半が徒歩の中、俺たちにはある程度の行動の自由と視界が確保されているのは幸いだった。
この濁流の中にあってもエルフ重騎兵は王子を追い続け、追撃を緩めてはいなかった。
「爺! 行くな!」
「殿下、ここは我ら親衛隊に任せ、お先にお逃げください! 爺はあとより。」
バーレ伯と呼ばれていた王子の補佐は逃亡する人の流れに逆らい離脱して行き、王子の乗った馬は人の流れで押し流されて行き、強制的に引き離されていった。混沌の中でバーレ伯と最後の二人の親衛隊騎士が離脱し、数十人の追ってくる公国騎士の足止めの為に向かって行った。
が、その時。
天佑か凶兆かはその時点では分からなかったが、以前から曇り始めていた空の暗雲はこの混乱の最中に突如雷雨となり、猛烈な豪雨が降り始めた。その雨の激しさは視界を遮ぎるほどで、疲弊して逃走する兵をさらに混乱させた。
疲弊した兵の一部は雨の冷気に体力を奪われ、力尽きる者も少なくなかった。そのまま鎧の重さより崩れ落ち、泥の中で溺死する者、後から来る者に踏み潰され圧死する者、捕らわれ捕虜となる者も多数居た。
しかし、王国にとっての幸運と言えたのは、視界を遮る豪雨により逃走する王子の追手を撒く効果が十分にあったことだ。後ろから近距離より王子を追っていた俺とベルトランも王子を見失うほどの事だった。
「おい、ヒューゴどうする? 敵さんもまだ追ってくるぜ。王子殿下ももう逃げられたんじゃないか? 俺たちも早く北に逃げた方がいいじゃないかと思うんだが。」
「ベルトラン、言いたい事は良く分かる。でも、王子を助ける事はちょっとやそっとぐらいの危ない橋を渡ってでも取りに行く価値のある手柄だぜ。」
ベルトランは少し顔をしかめる。
「それは命あっての事だろう? 公国兵はすぐにも追いついてくるぜ。本当に分かっているのか? お前が死んだら一番悲しむのはカルラおばさん、お前の母上にほかならないだろう?」
「ベルトラン、これは本当に一生に一度あるかないかの機会だ! 敗戦で追撃され、命危うく,一人の護衛も無い孤立した王子殿下が近くに居るはずだ! 王子殿下を救い出し、安全へと届けられれば騎士への昇進は確実だ。それ以上の出世への道も開けるかも知れない! そもそも王陛下と王子殿下の両人が公国軍に囚われればこの国はどうなる? 母さんたちの居るナオネト港だって安全の保障等はどこにも無い! お前も公国軍の殺戮を一緒に見ただろう? もっと視野を広く持て、母さんたちの為にも王子殿下を救い出さないと!」
「むむむ・・・・」
難しい顔をしてベルトランは雨の中で天を一時見上げ、頭を振る様に俺を見た。
「うん、これは俺が悪かった、お前の言う通りだ。王子殿下を救い出そう。」
「王子殿下は追手を撒く為に間道へと逸れた可能性が高いと思う、周辺を急いで探してから北へと逃げるぞ。」
「わかった、だがヒューゴ気をつけろ、追っての早い奴は既にこの辺りを探索していてもおかしくはないぞ。」
「ベルトラン、それはお前もな。」
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「オイ、ヒューゴ!」
俺の少し前を探索していたベルトランが馬から飛び降りて、近くの小川沿いの土手を登って周りを見回そうとした時、上に上ったベルトランはこっちにこいと必死で手振りしている。
俺も馬で近くまで寄り、泥で馬の脚を取られない様に徒歩で土手を登る。上まで登るとベルトランが小川から一人の鎧の男を救い出していた。近くには大きな白馬の死体が横たわっていた。
恐らく男は強引に泥で滑る土手を馬で乗り上がり、小川を渡ろうとした様だ。しかし、疲弊した馬に過度に負担をかけた為に馬が足を踏み外し、脚を骨折して小川の中で転倒したって所か。馬は溺死、男も恐らく落馬して怪我を負った様だった。
その男は160cm前後の比較的な小柄、ストレートな黒みのかかった青い髪が後頭で束ねられた王国男子の髪型。近くに落ちていたのは豪雨の中でも明確に分かる黄金の兜。ドロにまみれているが、金糸で飾られた白地のマントに黄金細工の装飾のついた鎧。
間違えようもなく王子殿下だ。
重いプレートメールを装着したままに失神した王子をベルトランは軽々と担ぎ上げ、つぐつぐとコイツが仲間で良かったと実感する。
「軽い脳震盪だけならいいんだけどな」
「ノウシントウ?何だそれは?」
「何でもない、日暮れも近い、そうすれば更に気温は落ちていく。今のうちに雨ぐらいはしのげて、できれば乾いた藁等で温まれる場所を見つけないと。王子の体を冷え切ったままにしては生死にかかわる可能性がある。俺たちの馬では鎧をつけた男の二人乗りは無理だ。王子を俺の馬に乗せて、俺が馬を引く。ベルトラン、お前は馬でできれば本道からある程度離れていて、丘の裏側等にある本道から死角に入りやすい民家を見つけてくれ。」
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「いやー女神のご加護だったな、こんな場所が残っていたとは。」
ベルトランは馬を馬小屋の中に繋げ、てきぱきと馬たちの為に水と飼い葉を餌桶に入れていく。王子殿下がいても馬が優先なんだな・・・
本道から3kmほどはなれた間道で場所で民家は焼かれていたが、丘を周った場所で離れの馬小屋が残っていた。
馬は避難されたか奪われたかいなかったが、たっぷりの飼い葉も清潔な藁もあり、干し肉の備蓄や薪とストーブもあった。
光の漏れはストーブのおかげでマントやクロークで遮れば馬小屋からほぼ出ないし、雲に覆われた夜空より今夜はほぼ真暗。煙はストーブの煙突から上に広がる大木の枝で分散され、発見される心配はほぼ無い。雨のおかげで敵も松明のかがり火での探索すら困難、おかげで王子の冷えた体を温められるし、眠る事も安全の様だ。
今更ながら師匠に叩き込まれた追跡の仕方、追手からの逃れ方の知識に感謝する。
俺はとりあえず王子をストーブの横に寝かせ、藁を被せた。そして一掴みの藁をストーブにくべて、火打石で火をかけた。燃え始めた藁に息を吹きかけながら小枝、小枝から薪へと火を点け、ほんのりのした温かみと明りがストーブより出始め、ようやく人心地がややついた気分だった。
しかし、逆にストーブからの温かみを感じると濡れた鎧と服がどれだけ体温を奪っているかを実感する。
ベルトランは馬のケアを進めていて、すでに布で濡れた馬を乾かし、ブラッシングに取り掛かっている。
「おい、ベルトラン、馬の世話も良いが、お前も温まらないと体を壊すぞ。」
「大丈夫だ! 鍛えているからな。」
馬より強いのかよ。
馬よりは弱い俺は恐らく同様の王子の世話に集中するか。
幸いエクイェー(騎士見習い)として散々にプレートメール磨きと管理をしてきたおかげで、鎧の取り外しや装着は慣れた物だ。
カチャ、カチャと鎧と取り外す間にベルトランが馬房の向かい側から声をかけてきた。
「で、ヒューゴ、明日からどうするんだ?」
「難しい所だな。王陛下が捕らわれたって報が誤報で無かったとするなら王国は大混乱だろうな。明日には王子殿下が回復して目を覚ましてくれれば良いんだが。ってか、このまま目覚めない最悪の展開だけは勘弁して欲しいな。でも、とりあえず北東へと王都に向けて王子を届けに向かって、途中で友軍に出会う事を祈るか? この敗戦で王国軍が離散してしまったから俺たちが送り届ける事になりそうかな? あるいは、南東に向かって沼を迂回して、まだ軍が生きているコルテ候領に王子を届けて、そこで王子が勢力を立て直すってのもあり得そうかな?」
「コルテ領?」
「お前もう忘れたのか? 隊長から一緒に話しを聞いただろう? 王国南東のコルテ候は領土が不作で出陣を免除されたので、兵力が丸々に残っているはずだ。逆にこの戦役の被害を全くに免れたんで幸運だった事になるが。コルテ候の兵力に匿ってもらい、グラついた勢力を立て直すか?南東の領地って話しだからこのまま沼地を周って行ってそのまま南東に向かえば何とか行きつけるだろう。」
「なるほどなあ。」
「まあ、その辺は明日だ。俺たちの決める事じゃない。王子殿下に今夜はぐっすりお休み頂いて、明日伺って王子殿下に決めていただくのが一番だと思うぜ。俺たちがあんまり考えを回しても政治とかについては俺たちはあまりにも情報が少なすぎる。」
「そうだなあ、俺たちは飯食って寝て、何よりも体力だ! ・・・ん? ヒューゴ、どうした? 顔面蒼白だぞ。まさか王子殿下が息を引き取ったとか言うなよ。」
「ベルトラン。」
「だから何だ、早く言えよ! 俺まで怖くなってきた。」
「王子殿下は女性だ。」
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中世ヨーロッパ豆知識#9: ランタン(鉄製の提灯の様な物)は14世紀頃にはすでに発明されていましたが、ロウソクを鉄製の織の様な物で囲んだだけの原始的な物でした。石油や電気のガラス製のランタンと比較すると原始的なランタンは風や水に弱く、光も明るくありませんでした。嵐の時等には14世紀のランタンは役に立ちませんでした。また、当時はガラスも高級品で容易には手に入らなかった事もあります。
ガラス製のランタンが一般的になっていくのは15世紀~16世紀にガラス精製技術が発達してからです。本作では一部の大貴族や王族の宮殿などでしかガラス製の製品は登場しません。一般人はロウソクを直に持つか、松明等を使いましたが、手間がかかりましたので限定的にしか役に立ちませんでした。




