第5策: 油断
ドクン、ドクン、ドクン・・・・
心臓の音がうるさい。喉がカラカラだ。
殺伐としたカチャカチャとなる馬具の鉄製のつなぎが動く音、各部隊の動きを命じるラッパ等が鳴り響くが誰も一言も発していない。
「軽騎馬隊、左翼後方展開だ!」
隊長の指示に従い、俺たち最後尾の予備隊へと合流する。
ベルトランは部隊の行先を理解すると
「俺たちは騎士団と一緒に突撃できるわけじゃないんだな」
「お前なあ、師匠から何度も戦術指南で習っただろう。
「そうだっけか?」
「我がランシア王国軍の主力は重騎兵。騎士団だ。先頭の弩兵(クロスボウ隊)が相手の陣形を乱し、その後ろから続く重騎兵が突撃し、勝負を決する。その後から陣形がボロボロになった敵陣に向けて歩兵・雑兵が重騎兵の後に続いて突撃。歩兵が止めを刺すけど、重騎兵で敵陣を事実上破壊するのがランシア王国の基本にして最強戦法。軽騎兵は最後尾の予備隊、逃げる兵を追い落としたりするのが関の山。」
自分に言い聞かせる様に師匠の教えを俺はそのままやや早口に復唱し始める。
「軽装備の俺たちは突撃には向いてない。鎧も少ないし、馬も小さい。威圧感が無いし、集団突撃の訓練も受けていない。あまり出番が無いんだよ、俺たちは会戦になると。斥候役だからな。」
とは言え、実戦だ。
槍が自分の胸に突き立てられる、眉間を矢に撃ち抜かれるイメージが頭をよぎり続け、前進の太鼓を待てば待つほどに嫌なイメージが湧いてくる。徐々に恐怖の感情が腹の底より食道を登ってくる様な感覚が続く。
するとドンとベルトランの拳が俺の肩を叩く。
「イテ―な、何をしやがるんだよ。」
「大丈夫だ!」
ベルトランは俺の目を見て言う。
「ヒューゴ、お前の腕前は一人前って師匠にも認められただろう? 師匠がいい加減な事を言った事はあるか?」
「うるせーな、戦場は試合じゃねーんだよ、なにが起こるかわからない。強いヤツが簡単に死ぬのが戦場だって師匠も言ってただろう。そっちも馬鹿やって死ぬんじゃねーぞ。」
「オウよ!」
手の震えが止まった。
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手の震えはともかく、冷や汗の様な嫌な感覚の一つの正体は熊オヤジ(アレーヌ卿)が悪い。
まだ王国軍の半数がこっちに向かっている状態で、兵がそろっていない時に出陣命令? 何考えてんだ。
まだ重騎兵や歩兵は到着しつつあり、すでに出陣が命じられて戦いが今にも始まらんとしていると分かって慌てて陣形に加わっている部隊も見える。まだ王家部隊のシンボルである「太陽旗」が見当たらない。
王陛下率いる主力が到着もしていないのに、どうやら本当に待たずに敵軍に当たるつもりらしい・・・
すでに正午を過ぎて何時間かはたち、恐らく午後4時すぎ。
これ以上待てば敵軍を破る事ができても、逃げる敵を軽騎兵で追い落とす掃討戦ができないって事を考えているのか?
まあ、展開がゆっくりと行われたので、後続部隊のいくつか到着して今は恐らく2万近くの兵が王国側にあるかな?
すでに到着しているので1万5千ほどに見える敵軍のよりかなり多くの兵があると言う計算の様だが・・・・ 嫌な予感がどうしても離れない。
そんな中、軍中央から熊オヤジのバカでかい声が鳴り響いてきた。
「全軍聞けい! わしは先鋒将軍、アレーヌ侯爵ジョフ、ランシア王国四槍の一人じゃあ! エルフども殺戮よりの惨状、道中に貴様らも見たであろう? 我が王国の大地が吸った民の血が呼びかけるのを聞こえぬか? 血には血を! 名誉は血の代償を求める!」
「血には血を! 血には血を!」
と兵士が応える。
「エルフどもに血の報復を! 今より血祭りじゃあ! 弩兵隊前進! かかれぃ!!!!」
ドン、ドドン! ドン、ドドン! ドン、ドドン!
前進の陣太鼓が鳴り響き、陣形全体が進み始める。
ランシア王国軍は丘の上に築かれた自陣の前の草原に展開し、平坦な地形が1500トゥワーズ(3000メートル)ほど続く。待ち構えるエルフ公国軍は丘の上に2重の陣を張っている模様。
戦場の幅が狭いため、王国軍は必然的に何重もの戦列を組む事が余儀なくされる。クレシア村に片翼が遮られ、もう片翼では沼地が広がる。ランシア軍は攻められる「面」の広さが圧縮されている。つくづぐと劣勢の軍に優位な地形だ。
140トゥワーズ(280メートル)ほどの距離まで接近した時点で陣太鼓のリズムが変わる。
「ドン! ド・ド・ド! ドン!ド・ド・ド!」
前進の中断の合図と共に前列の弩兵部隊は弩をエルフ軍陣地に向け、一斉に数千の矢が放たれる。
高い弧を描き、矢がエルフ陣内に降り注ぐ。陣内の矢避け盾等に身を隠せる者もいるが、隠れきれずに矢を受ける者も多数いた様で敵陣から騒動が聞こえる。
。
手ごたえを感じた弩兵は次の矢を装填する為に急いだ。
強力なランシア軍の弩は地面に座り込み、両足をフックにかけて両手で弩の弦を全身の筋力を使って設置する。地面に座り込んで無防備の状態でしか装填できないし、どうしても時間がかかるので、次の矢を撃つまでに最低でも20-30秒はかかる。
弩兵部隊が装填の為に横たわった瞬間、エルフ陣内から数千の矢が応射で発せられた。
熊オヤジの話しではエルフ弓部隊の射程距離は100トゥワーズ(200m)以下、このぐらいの距離なら矢は届かないはずだったが・・・・。
嫌な予感が的中した。
本来は大盾の影に隠れながら装填する弩兵は盾なくしては完全に無防備。小さな黒い雲の様な数千の矢は雨の様に弩兵部隊の上からまんべんなく降り注ぎ、目も当てられない混乱に陥って行った。
ヒュンヒュンヒュン、ストストスト!
無情に矢が次から次へと5-6秒の間隔で弩兵に降り注ぐ。弩兵は混乱から回復する間も無く、再び次の矢の雨にさらされ続けた。矢群が落下してい来るその度に悲鳴やうめき声があがり、3度め、4度の矢群が当たったのち、ようやく装填し終わった一部の弩兵は急いで矢を放ち、負傷した仲間を担ぎ上げて撤退を開始した。
「踏ん張れ貴様ら! 止まれい、命令じゃあ!」
熊オヤジが降り注ぐ矢の雨の中に自ら出向いて兵を鼓舞しようとしていたが、防壁も無く、圧倒的射撃速度に劣る弩兵はすでに完全に戦意を失っていた。弩兵たちは右往左往しながら後方にバラバラと撤退して行き、その流れを止めるのは明らかに不可能だった。
「ぬううう、不甲斐ない。」
熊オヤジは自らの重騎兵騎士隊に戻り、騎士たちに向けて大声で言い放った。
「弩兵の不甲斐なき敗北よりもはや是非も無し、我が青龍騎士団が敵陣を蹂躙する。先陣、わしについて来い。第2陣、第3陣は波状にて我々の後を続け。敵陣が崩れたら左翼歩兵隊全兵突撃。先陣の目標は」
熊オヤジはエルフ陣の右翼(俺たちから見て左側)の丘の起伏の合間を槍で指す。
「あそこじゃあ! 馬防柵の馬出し(騎馬の出撃を可能とする柵の切れ目)があり、あそこを突破すれば敵陣は解ける様に瓦解する!」
熊オヤジの声のボリュームはさらに上がり
「女神様、聖バックス、聖ジェノ、歴代のランシアの勇者も見ておられる。先人が天から我らを見ても恥じぬ様に振舞え、そして血を捧げよ! 青龍騎士団、わしに続け! かかれぃ!!!!」
ダダダダダダダダダダダダ
リズムの早い連打の突撃の太鼓と共に先鋒隊の馬が速足で前進を開始する。
騎士団は基本的にプレートメール、盾、馬上槍と剣の装備を持つ。馬には防具は無し。2000騎もの先鋒隊の鎧が日射に光輝き、菱形の陣形を維持しながらの颯爽とした前進は練兵の深さを伺わせた。
騎馬の前進に対し、エルフの、公国軍弓隊は不気味に沈黙していた。
熊オヤジと重騎兵は弩兵部隊が撃退された地点を過ぎ、50トゥワーズ(100m)地点に達した時点で突如加速した。
一気に重騎兵が馬の脚力を全開させ、重騎兵が「ズドドドド」と地響きを立てて全速に加速して行った。騎士団の突撃を開始しだ。
遠距離からでも大型の熊皮を背負った熊オヤジは一目瞭然であり、先頭を譲らず、むしろ名馬に乗っているのかやや後ろの騎士を引き離して先頭を駆けている。
重騎兵の突撃力は丘の上へと駆けると命であるスピードが殺され、威力を失うので、平地続きの地点を弱点として熊オヤジは騎兵の先頭を率いて、二つの丘の間に重騎兵の部隊が圧縮されていき、数十騎幅の楯列と変形しつつ高スピードで敵陣に接近する。
その時。
「ビシュシュシュシュシュシュ」
と音を立てて両側面の丘から弓兵が矢を発した。
エルフ弓兵たちは僅か20-30トゥワーズ(40m~60m)の距離まで待ち、一気に1千を超える矢が先頭の騎士のたちに向けられた。遠くからでも聞こえる馬の悲鳴が多くあがり、騎士も何人もバタバタと倒れていった。至近距離からの強弓は騎士の鎧も部分的に貫通する様で、落馬する騎士が多数居た。
「ヒューゴ、ベルトラン、熊殺しのアレーヌ卿って何故王が先鋒将を任せているか知っているか?」
騎士団の突撃を後方の丘から俺たちと一緒に観ている隊長が聞きかけてきた。
「知りません。」
俺とベルトランは首を振る。
「そうか、若いヤツは知らない者の方が多いのだろうなあ。卿の戦術がめちゃくちゃなのは王位継承戦争中もそうだった。でも、あの人はそれでもあの戦争で英雄になった。」
「めちゃくちゃなのに英雄になった?」
隊長が冷ややかに笑った。
「エルフどもが強弓を揃えたから矢だけであの人を止められると思っているのかも知れない。けど・・・・」
前方部隊の騎士は倒れた馬や騎士を無視して踏み越えていき、速度を緩めない。盾に10本以上、右腕や肩にも数本の矢を受けた熊オヤジは全く速度を緩めず、
「かかれぃ!!!! かかれぃ!!!! 突撃じゃあ!!!!」
と馬出しを守るエルフ軍の歩兵へと突入していった。
隊長はポツリと言った
「エルフ達はアレーヌ卿を甘く見過ぎだ。」
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中世ヨーロッパ豆知識#5:エルフの新兵器、強弓部隊のモデルはイングランドのロングボウ。
1982年に16世紀前半のイギリスの軍船であった「マリーローズ号」が海底より引き上げられました。考古学者はその船の中より137のロングボウが発見したので、ロングボウの引きの統計を行えるほどのサンプルを確保できました。その弓の引きは70kg前後であったと理解されました。
現代の弓道では10kg~14kgが一般的で、30kgの引きの弓だったら遠射の強弓に分類されますので、70kgは驚きの引きの強さでした。幼少の頃よりの厳しい訓練より10年以上かけて一人前の弓兵になれたそうです。
本作のエルフは・・・・