入学式の朝
アクセスありがとうございます。
朝刊を配達するバイクのエンジン音が遠くから聞こえてきた陽太は、ゆっくりと右手を動かし枕元にあるスマホを握り画面右上の時刻を見る。
「・・・・まだ、5時前かよ」
小さく呟きながら眠気に襲われ右手からこぼれ落とすようにスマホを握る指から力が抜け、そのまま支えを失ったスマホは陽太の額に激突した衝撃の痛さで完璧に目が覚め飛び起きる。
「いっっっってぇぇ・・・・」
ぼんやりと涙で滲む視界がゆっくりと元に戻り痛みが無くなったところで、陽太はベッドから立ち上がり背伸びをして部屋を出る。
まだ家族が寝静まっている家はシンッと空気に支配されているため、無意識に階段を降りる足音を立てないよう降りる陽太はリビングへと廊下を歩いていると不意に背後にある玄関ドアが開けられた音で振り返る。
「・・あっ! おにぃ、起きてたの?」
玄関ドアを開けて入って来たのは妹の美沙で、Tシャツにハーフパンツ姿に陽太は背中を見せ座り靴を脱ぐ美沙を見ながら口を開いた。
「み、美沙が朝帰り!? かーさん! 美沙が朝帰りして来た! 俺より先に大人の階段をのぼっ・・」
「違うから! 朝ランしてきたの!」
「んん〜」
兄の陽太の暴走に美沙は慌てて靴を脱ぎ捨てて、誤解を解くため右手を伸ばし口を塞ぎながら逃げないよう背後から抱き付く。
「お、おにぃ? いつも私が朝ランしてるの知ってるでしょ? ってか、知ってるよね?」
「ん?」
汗で濡れた美沙のシャツが陽太の腕に触れてヒンヤリするものの、妹の身体がだんだん火照っているのを感じながら陽太は応える。
「・・し、知ってます。だから美沙、もう離れてくれ・・な?」
「ヤダ・・わかってくれるまで離れない」
「えぇぇ・・」
陽太の背中に覆い被さり纏わりつく美沙は、まるで恋人のようにくっついて離れる気配がないため諦めた陽太はそのままシャワーを浴びるだろう美沙を脱衣場を兼ねる洗面室へと向かう。
「・・おにぃ、まだいる?」
「いるぞー」
浴室でシャワーを浴びている美沙の呼びかけに、鏡の前で高校デビューに向けて髪型を整えていた陽太は返事をする。
「私の着替え持ってきて〜」
「はぁ? そんなの自分で取りに行けよ? 兄に頼むことじゃねーし」
妹のお願いを断る陽太に美沙は、浴室ドアを少し開けて肩まで伸びた黒髪の毛先から水滴を肩にポタポタと落としながら顔を覗かせ催促する。
「・・おにぃ? 兄妹なんだから見ても減るものじゃないでしょ?」
「だからってさ、俺達は年頃の兄妹だぞ?」
「おにぃのエッチ」
「ちがっ・・」
「部屋のタンスにあるから、そこのタオルの上に置いててね?」
美沙は言いたいことを言い終えると陽太の返事を聞く前に扉を閉めた。
「・・・・」
美沙の横暴に屈した陽太はため息をついて髪を整えてから2階へと上がり美沙の部屋にあるタンスから、どのタイミングで着るのかわからない妹らしからぬ下着を取り出し洗面室にあるタオルの上に置いてリビングへと向かった。
「おはよう、陽太。今朝は珍しく早いのね?」
リビングドアを開けるとすでに母親が朝食の支度をしている姿を横目に、ソファへと座りテレビの電源を入れながら答えた。
「おはよう、母さん。だって今日は、高校の入学式だからね」
「・・陽太。その髪型決まってるわよ? あのいつもの前髪暖簾は卒業なの?」
中学2年から目元が隠れてしまうぐらい前髪を伸ばしていた息子の陽太が、それまで見せていた素顔を数年ぶりに見せる髪型に変えたことに微笑みながら揶揄う。
「暖簾は、卒業だよ母さん。今日の俺は、高校デビューして青春を楽しむんだ」
「そうなのね。その高校デビューが成功するといいわね? 陽太・・」
前髪は短く切らず掻き上げてワックスで決めて、基本的に以前と長さは対して変わっていないため無造作に触ればバサっと垂れる暖簾前髪は健在だったりする。
髪型を褒められた陽太は母親が作ってくれた朝食をダイニングテーブルで食べていると、真新しい制服に着替えた美沙がリビングに遅れて入って来た。
「おはよ、お母さん」
「おはよう、美沙ちゃん。朝ごはんできてるから、お兄ちゃんの隣りで食べてね」
「は〜い」
美沙は陽太の隣りに座り陽太の横顔をジッと見つめる。
「・・」
「・・どした?」
横に座った美沙の視線をしばらく放置していた陽太は、何も言わないため先に自分から聞いた。
「おにぃ、その髪型カッコいいね・・やっぱ高校デビューするの?」
「あぁ、俺が隠キャだってこと知る生徒が中学と違って少ないだろ? それに美沙も兄がまだ隠キャなの嫌だと思ってね」
「ん〜私は別に気にしてないよ? おにぃは、美沙のおにぃだし。それに・・」
「それに?」
「なんでもなーい!」
陽太と美沙は双子ではなく4月生まれの陽太と3月生まれの美沙は、同じ学年であり同じ高校に通う1年生だ。
「なんだよ・・気になるんですけどー」
「知らなーい」
美沙は陽太の素顔を知っているため素顔がイケメンなことを家族として当然ながら理解し、学校で兄の周囲からの評価が隠キャだろうが微塵も気にしない稀な妹だ。
密かに兄を慕っている美沙は、ポットでの女が近寄らないようにずっと前髪暖簾のままで居て欲しいと内心願っていた。
「美沙は、ずっと可愛い妹だな・・好きだぞ? お兄ちゃんは」
容姿を褒めてくれた妹に笑顔を向ける陽太は、美沙がサッと顔を逸らす仕草に可愛げがあるなとそのまま見つめる。
「・・ぅぅ・・おにぃ、そんなに見つめられたら恥ずかしいよ」
「コラ、陽太・・妹を誑かさない」
「イテッ・・」
美沙の無垢な反応を楽しんでいた陽太は背後から母親に頭をチョップされ冗談だと言いながら謝り席を立つと、黒い瞳を潤ませながら美沙は上目遣いで騙されたと小さく呟いた。
「美沙ちゃんもお兄ちゃんの妄言を本気にしないで、早く食べなさい」
「・・は〜い」
母親の注意に不服そうな表情をする美沙は先に食べ終えた陽太が制服に着替え再びリビングに戻って来たところで、視線が重なり手招きをする。
「・・おにぃ、きて」
「ん?」
見上げる美沙に何かを察した陽太はそのままキッチンで食器を洗っている母親の後ろ姿を一瞥し歩み寄る。
「あのね・・」
美沙は隣りに立つ陽太の肩に手を置き、ゆっくり屈ませ視線の高さを同じにして囁いた。
「カッコいいよ」
「当たり前だろ? 美沙のお兄ちゃんなんだから」
「うん、美沙だけが知ってるもん・・・・・チュッ」
美沙は陽太の頬に軽く触れるようなキスをして、肩に乗せていた右手を背中に回しギュッと抱き締めてから離す。
「・・また、学校でね? おにぃ」
「あぁ、先に行ってくるよ。もしかしたら、同じクラスかもな?」
「そうだと良いね。いってらっしゃい」
陽太は屈んでいた姿勢を戻し、美沙の頭を撫でてから軽く抱き締め離れる。
「母さん、いってきまーす!」
「はーい! また入学式でね、陽太」
背中を向けたまま返事をする母親を見ながら陽太は、少し寂しそうな表情で見送る美沙に手を振りながらリビングドアを閉めて家を出て、高校1年生初日の大事な朝が始まったのだった・・・・。