三話「夜へ連れ出して」
自室に戻ったシャロンは、再び魔導書を読み始めた。しかし、魔法を使おうにも、初めて魔法を使って、部屋の中が大惨事になることも否めないので、使いたくても使えない。
こんな時、体が健康であればと何度も思った。体が強ければ、今すぐにでもこんなところを抜け出して、誰にもばれないように魔法を使うのに……といつも思うのだ。
「っと……もうこんな時間。そろそろ二人が夕食を運んでくる時間だけど……」
そう思っていると、コンコンと扉がノックされる。
「どうぞ」
「「失礼します」」
そう言ってリンとリヴィアがシャロンの部屋に入ってくる。もちろん夕食を持って。
「夕食を持ってまいりました」
「ありがとう」
そうしてシャロンは夕食を食べる。いつもより調子がいいので、すぐにその料理を平らげてしまった。食事が終われば湯浴みの時間だ。リヴィアは夕食の片づけを、リンはシャロンの湯浴みの手伝いをする。
「湯加減はいかがですか?」
「ちょうどいいわよ。というか、もう6年も一緒にいるからわかってるでしょう?」
「それでも一応聞いておこうと思いまして」
「ふふっ、変なの」
「変、でしょうか?」
「変なんじゃない?まぁ、他の人からしたら変じゃないのかもね」
そう言ってシャロンは笑った。
* * *
その日の夜、シャロンは目を覚ます。どうして目を覚ましたのか。それは、辺りを見渡してみると、わかった。ベランダに続く窓が開いているのである。
「……」
扉を閉めるついでに、シャロンはベランダへと出た。夜風が頬を撫で、とても気持ちいい。そう思っていると、どこからか視線を感じた。辺りを見渡してみても何もいない。気のせいか……と思い、また視線を外へと移すと、ベランダの手すりに、一人の男が立っていた。その男は紅い目でシャロンを見下している。
「だ、誰?」
「ここの王族だな?」
「人攫いかしら?私を攫って身代金をねだっても王様は何もしないと思うわよ?」
「それならば僕にとっても好都合だ」
「いったい何なの?貴方の目的を言いなさい」
「僕は、君が欲しい」
「えっ?そっ、それって……」
「勘違いするな、人間。そう言う意味で僕はお前なんかに一ミリも興味がない」
「むっ……そんなこと言われて傷つかない乙女はいないのよ」
「知らん」
「もう!……で?結局目的って?」
「お前の、魔力が欲しい」
「魔力?魔力位ならいくらでも……」
そう言いかけると、男はシャロンと目線を合わせた。瞬間、首筋に痛みが走る。ジンジンとした痛みが、シャロンの寝起き微睡んだ意識を一気に現実に連れ出した。
「っ!」
そうして、首筋からドクドクと血が垂れる。それを男は飲んだ。すると、紅い瞳が更に深くきらめく。
「うまいな。それに、あれだけ魔力を吸われてまだ普通に立っているのか……」
「な、なに……」
「また来るぞ」
そう言って男はベランダから飛び降りた。シャロンが慌てて下を見ると、そこには誰もいなかった。
「いったい何なの……」
* * *
それから紅い目をした男は毎日シャロンの部屋のベランダに現れた。肩に噛みついて来ること以外特に何もしなかったので、シャロンはそのまま放っておいた。むしろ、話し相手ができ、嬉しい限りだ。
その男はシャロンが質問すれば、色々なことに答えてくれた。しかし、男自身のことは何も教えてくれなかった。
「ねぇ、いつか教えてくれるの?」
「知らない。俺がお前にもっと興味を持ったら言うかもな」
「じゃあ、私に興味を持ってもらえるように頑張るわね」
「……そうか」
そう言ってその男は消えていった。
* * *
「今日も体調が良さそうですね」
医者がそう言った。ここ最近、連続して体調のいい日が続いている。前は二日連続でも体調がいい日が続くなんてことはなかったのに、今日を合わせると七日目だ。
「じゃあ今日も外に行ってもいいかしら?」
「はい。今日は昨日よりも体調がすぐれているのでいつもより長めにいてもいいでしょう」
「本当ですか?!」
「はい。それにしても不思議ですね……急に容体が回復すなんて……」
医者はそう不思議がっていたが、シャロンにとってはどうでもいい。これで自分の部屋で寝た切り。なんてことが無くなるからだ。
「リン、リヴィア!やったわ!段々容体が良くなってるって!」
医者が出ていった後に、シャロンは嬉しそうに二人言った。二人は嬉しそうに、そして、泣き出しそうな目でシャロンを見る。
「よかった……ついに、シャロン様……」
「姫様ぁ~!よがっだでず~!」
訂正。リヴィアはもう我慢できなくなり、泣いてしまったようだ。
「それじゃあ、今日は朝から外に出ましょう」
そう言ってシャロンは二人を連れて外へと出ていった。
* * *
その夜。またあの男が来た。男はいつものようにシャロンの肩に噛みつく。シャロンはそれを受け入れ、何も抵抗しない。
「いつも思ってるのだけれど、あなたはいつも私の肩に噛みつくわよね?魔力が欲しい。なんて言ってたけど、それで魔力が手に入るの?」
「あぁ……」
「それじゃあそれじゃあ、どうして私の肩を見ても何の痕もないの?噛んでるんでしょ?」
「ああ、噛んでる。だが、お前が勝手に回復魔法を使ってるだけだ」
「回復?私、魔法なんて使ったことなんかないわ」
「それでも、お前は回復魔法を使っている。……あぁ、そういえばたまにいたな、"魔力が多すぎて"無意識に魔法を使っちまう人間が」
「?」
「ああ、やっぱりいい。それより、その手に持っている物はなんだ?」
男がそう言うと、シャロンはびっくりした様子で手に持っている物を見せる。それは、食事のためのナイフだ。
「なんだ?ついに怪しい僕を殺そうと思ったのか?」
「違うわよ。これは、自分に使うの」
「は?何を馬鹿な……」
ただの冗談だと男は思っていた。しかし、シャロンは男をじっと見たままナイフを自分の首にあてがう。
「私の質問に答えて頂戴」
「……なんだ」
「まず、あなたの正体が聞きたいわ」
「……ちっ……ヴィルだ」
「フルネームで」
「……ヴィル・ガーネット。これでいいか?」
「いいえ、まだよ。あなたが本当に人間なのかどうか」
「……僕は悪魔だ。なんとなく察しは付いてるだろ」
「ああ、やっぱり。それじゃあヴィル・ガーネット。この私、シャロン・リ・メジケリールを、ここから連れ出して。お願い」
そう言ってシャロンはヴィルに飛びつく。ヴィルはバランスを崩し、そのまま二人はベランダから落ちた。その瞬間、ふわりとした感覚をシャロンは感じた。
「全く……僕をそうやって脅したのはお前が初めてだ。それと、名前を呼ぶ意味は解っているのか?」
「もちろん」
「まぁ、いい。どうせ君は代価として魔力をくれるんだろう?」
「ええ、私の身ならあなたにいくらでも捧げるわ」
「わかった……それで、願いは"ここから連れ出す"でいいいのか?」
「いいえ。ここから連れ出した後に、私と一緒に平和にいつまでも暮らしてちょうだい!要するに、私はあなたと結婚するつもりよ!」
「は?!正気か?」
「いたって正気よ!愛があれば種族なんか関係ないわ!混血が忌み子だって言われているけれど、そんなのはどうだっていい!私たちで一緒に幸せな家庭を築きましょう?」
「……代価を払われれば悪魔は逆らえないからな……受けてやる……」
「嫌々じゃなくて!もっと!私に愛を注いで!ずっと!一生!永遠に!」
「それは無理な話……」
「無理じゃないわ!それを証明して見せる!あなたを私に惚れこませて見せるわ!」
そう言ってシャロンは夜空に、ヴィルに、そして自分に誓う。
「私、シャロン・リ・メジケリールは、ヴィル・ガーネットと夫婦になりたい!それが悪魔との取引よ!」
その瞬間、悪魔との契約が成立した。シャロンの手のひらには炎が球体となったような紋章が浮かび上がる。それは熱を帯び、次第に燃えそうなほど熱くなっていく。それにヴィルが手を重ねると、二人で熱を共有するように、ヴィルの方へと熱が移る。
「紅きもの、全てを飲み込む物と成れ。爆ぜるその血をその身に宿し、我と契約した者を祝福しよう」
その瞬間、シャロンの体中を熱い何かが駆け巡る。一瞬、体が燃えているのかと錯覚したが、そうでもない。まだ真夏ではないというのに、体が熱い。
「さあ、今からどうする?」
「……私の父親、母親、弟、妹。全員殺して。私たちの幸せな日常に、邪魔が入ったら困るわ」
「……僕が言うのもなんだが、恐ろしいな」
「いいの。どうせあの人たちは私を見ることはしなかった。ずっとずっと、どうにかしてやりたいと思ったのよ」
「そうか……それじゃあ、始めるか。ここの王族は少々厄介だが、今は君がいる」
そう言われ、シャロンは少し頬を赤らめる。自分を見てくれる人物がいるだけで嬉しいことは知っていた。だってリンとリヴィアがそうだったから。だが、ヴィルには嬉しいという感情の他に、もっと別の感情がある気がする。だって、リンとリヴィアに必要とされる時は、こんなにドキドキすることなんてないのだから。




