八話「鍵を貴女に渡すから(1)」
サラは暗い部屋で目を覚ました。その場所はどうやら周りが石でできているようだ。
「うっ……ここどこ?」
そんなことをサラはつぶやく。しかし、周りに誰かがいる気配は全くしない。とりあえずサラは、今まで何が起こったのかを整理することにした。
「えっと……デイルさんの所でお茶とかお菓子とかをごちそうしてもらって……それから……」
ぼんやりとしている記憶を頑張って引っ張ってこようとしたが、いくら頑張っても何も思い出せない。そうしてサラが思い出そうとしていると、足音が聞こえてきた。
「足音……誰か!誰かいますか!?助けてください!」
そうして必死に助けを求めるサラ。しかし、その助けを求める行為が、サラ自身を絶望へと突き落とすきっかけとなるのだった……
――ガチャ
扉の鍵が開けられる音がして、サラがいる部屋に誰かが入ってくる。暗くてよく見えないが、体格的に男性のようだ。
「助けてください!ここはいったいどこなんですか?!」
「ここはだな……商品を保存しておく倉庫だ」
「えっ?……その声、デイルさんですよね。どいうことですか……?」
「鈍いなぁ……君は本当に鈍い。そんなんじゃ、ご主人様に可愛がってもらえないぞ。おっと、少女が好きな人はたくさんいるか……なら訂正しよう。君はたくさんかわいがってもらえるはずだ。」
「ど、どういう……」
何の話をしているのか理解できない。いや、理解したくない。記憶の中でのデイルはとてもやさしい人だったはずだ。しかし、ここにいる人物はそれと真逆の人であった。
「鈍い君に教えてあげよう……私は、騎士に隠れて奴隷を売っている奴隷商だ」
そう言ってデイルはサラに顔を近づけて、にやりと笑った。いくら暗い場所と言えども、手のひら一つ分くらいまで顔を近づけられると見える。その時見えた顔にサラはひどく恐怖する。絶望がサラを支配していく。
「はっはっは……いやぁ、この国では奴隷は二十年ほど前に禁止されたのだよ。それでもまだまだ需要はあってね。特に若い娘など高値で売れるのだよ」
抑揚のないゾッとする声を、サラは呆然と聞いていた。話は頭に入ってくるのに、話の内容が理解できない。理解したくない。頭がその事実を否定している。
『最近誘拐事件があったみたいだから気をつけてな』
今になってサラは父親に言われた言葉を思い出す。犯人は奴隷商であるデイルだったのだ。しかし、今その真実にたどり着いたとして、何ができる?そうしてサラは考え、一つの可能性を見出す。それは魔法だ。小さくても、火の魔法で逃げる時間くらいは稼げるはず。そう考えたサラはさっそく試してみる。のだが……
「…………"トーチ"!……あ、あれ?」
魔法は不発に終わった。魔力を集めている感覚はあるのに、いざ魔法を使おうとすると、まるで水源に栓をされているように、魔法を使うことができないのだ。
「はっはっは…魔法が使えないだろう?普通平民が魔法を使うことなどほとんどありえないが、こういう時のために魔道具を仕掛けておいたのだよ」
「ッ……!」
魔道具とは、名前の通り魔法を使える道具のことだ。魔法を上手く扱えない者でも、魔力を流すことを覚えれば簡単に魔法が使えるようになる。例えば、魔道具に魔力を流すと、その魔道具が温かくなる。というような物があるのだ。そうして今回デイルが使用している魔道具は、"範囲内の生物が魔法を使えない"ようにするための魔道具だろう。
「まぁ、魔道具がどうのこうのよりも……持ち主に危険が及ぶ商品は、点検しないとなぁ?」
「ひっ?!」
「さあ、どこから点検されたい?まずはその鈍い頭か?それともこの状況で逃れようとする心か?あまり身体的な外傷は加えられないんだ。質が落ちるからな。だから内部の点検をしないと……」
「い、嫌…いやぁ!」
サラは身の危険を前にして、泣き叫ぶ。しかし、人間というものは多種多様。その光景に良心を痛める者もいれば、痛めない者もいる。不幸なことにデイルは痛めない側の人間だ。泣き叫ぶという行為は、デイルの苛立ちを更に刺激した。
「黙れ。物が涙を流すな」
その言葉にサラは恐怖でビクリと体を震わせた。目の前には不気味に笑っているデイルがたたずんでいる。そんな時、サラはとある人の顔を思い出す。
彼女も、サラに不気味な笑みを向けることが多かった。サラはそれに気味が悪くなり、嘔吐したこともあった。それでも最後はサラのことを尊重してくれた。サラの体のことを心配してくれた。例えそれが、サラの魔力のことを心配しての行動だとしても。
「…………て」
「ん?」
この際、悪魔でもなんでもいい。だって彼女は、目の前の人間よりもずっとずっと優しくしてくれたのだから。
「助けて!」
サラの中で、一つの単語が浮かび上がる。一つの単語はやがて、複数に増え。何十も、何百も、何千もの言葉で模様を作った。鎖でバツの形を作るように、そして、それらが交差した場所に、鍵穴ができ、その周りに錠前が形成されていく。その形はサラの目の前に出現し、やがてサラの右手に吸い込まれるようにして刻まれた。そうして最後に、サラは一つの名前を口にする。
「アネモネ!アネモネ・サーリーフ!」
サラがそう言うと、突然強風が吹いた。建物の中にも関わらず。だ。しかし、建物の中には月明かりが差し込む。そちらの方へサラが目を向けると、そこには一人の少女が立っていた。少女の頭には、立派な角が生えており、それを見れば少女が人間ではないことが容易にわかる。
「サラ・ガーネット。私の名前を呼んだんだね……本当にいいの?」
「うん……うん!もう大丈夫だから!私はあなたを友達だって思ったから!!」
「友達、かぁ……フフッ、ありがと」
そう言って少女はサラの隣に立ち、デイルの方へと顔を向ける。灰色の髪をなびかせながら、金色の目でデイルをしっかりと捉えていた。その時の少女の目つきは、威嚇する狼のようだ。
「な、なんだお前は!」
「そんなの聞いてどうするの?どうせ貴方は……」
そうして少女は、サラを自分の方に抱き寄せて、守るような姿を取った後、こんなことを言った。
「私が殺すんだから」
「ひっ?!ひぁああああ?!!」
殺意を向けられていないサラでもわかる。この少女の目は本気で、今、デイルに怒っているのだ。と……
「"ガスト=ウィンド"」
少女はデイルに魔法を放とうとする。しかし、その魔法は不発に終わった。
「は、ははっ……ここでは貴様らは魔法は使えない!」
「魔法が使えない?なら……」
そうして少女はデイルに近づいていく。一歩一歩、確実に距離を縮めていく。少女が一歩近づくごとに、デイルは一歩後ずさる。その時、光でできた槍が少女の方へと飛んでいった。
「残念だったな!この場所では魔法は使えないが魔道具は使えるんだ!さぁ!死ね!」
魔物は光属性の魔法が苦手なのだ。かするだけで大ダメージを受けるのだ。そんな魔法に怖気ずに少女は一歩を踏み出した。光でできた槍は少女に突き刺さる。……はずだった。
「なッ?!なんだその鎖は!」
「魔法が使えないなら、"コッチ"を使えばいいのよ!」
光でできた槍は、突然現れた鎖で巻き取られ、そうして鍵をかけられる。その瞬間、光でできた槍は消滅した。
「お、お前は……名付きの悪魔……なのか……?」
「うん。そうだと思うよ。だからこうやって魔力を使わずに魔法みたいなことができるってわけ」
名付きの悪魔は魔力を使わずに特殊な力を使うことができる。例えば、魔法でできるような火を起こしたり、水を出したり……そして、魔法でできないような、空間に穴をあけたり、冷たい炎を起こしたりすることもできるのだ。
そうして人々はその力を、"異常"と呼んだ。
「まぁそんなことよりも……よくも私の友達を危険な目に合わせてくれたな」
迫力あるその声に気圧されて、デイルはもはや体を震わせていることしかできない。そうしてそんなデイルの近くに、悪魔の少女は近づき、デイルの首に手を伸ばす。
「せめて苦しんでから死ね」
「あっ、ガッ!……や、やめ…ろ……」
「止めない。絶対に殺してやる……」
ギラギラと輝く目で、悪魔の少女はデイルの首を絞めながら見下ろしている。その時の口元には笑みが浮かんでいた。狂気に満ちたその少女は、デイルの息の根を止めることに対して何の抵抗も持っていない。自分が守りたいものだけを守れればそれでいいのだ。
そうして悪魔の少女はより一層自分の手に力を込めた。すると、ゴギュリという嫌な音が鳴り、抵抗していたデイルの腕は、だらりと垂れ下がった。それから悪魔の少女はサラの方へと向く。
「……やっと……やっと、私の名前を呼んでくれた……契約者と悪魔がお互い取引をするための魔法……そこから私の名前を見つけ出してくれたんでしょ?」
「うん。アネモネで合ってるよね?」
「そうだよ。……ねぇ、もう一回呼んで?」
「あ、アネモネ」
呼んでと言われて呼ぶと、じわりじわりと恥ずかしくなってくる。そうしてサラが顔を逸らそうとすると、悪魔の少女、アネモネがサラの顔をくいっと戻した。
「サラ・ガーネット……取引の内容を決めよう」
ドキリとサラの心臓が跳ねた。悪魔と取引の仕方は魔法を学んでいる者からすれば簡単だ。まず、悪魔と接触し、その悪魔の魔力から魔方陣を作る。悪魔の魔力は純度の高いの物なので、少し接触したくらいでもはっきりとした魔方陣を作ることができるだろう。そして、その魔力に刻まれた悪魔の真名を呼べば終わりだ。
そうして悪魔も取引をする人間の真名を呼べば、取引可能な状態になる。悪魔が人間の真名を知る方法は、普通に聞いて知るしかない。人間の魔力から真名を読み取ることができないのは、人間は魔力の純度が低すぎるからだ。
「まず、貴女が私を呼んだ理由は敵から助けてほしいから。だよね?」
「うん」
「じゃあ、私がサラを危険から守る。そして、私に払ってほしい代償は、これからずっとサラの魔力をちょうだい」
「わかった」
そう言ったサラの目は、まっすぐにアネモネを見ていた。その目を見て、アネモネは柔らかく笑って、「ありがとう」と囁いた。
しばらく二人はその場にとどまっていたが、アネモネがとあることを言ってくる。
「サラ。早く逃げるよ。顔がばれないようにこの布でも被ってて」
そうしてアネモネはサラを抱きかかえ、アネモネが最初に壁をぶち破ってきた場所から外へと出ていった。サラがふいに空を見ると、半分欠けた月が浮かんでいた。