五話「愛しい人、隣に」
「ご、ごめんねアネモネちゃん」
そう言ってサラはアネモネから離れる。抑えきれなくなった感情が爆発してしまい、小さなアネモネに泣きついてしまったせいで、目を合わせるのが恥ずかしい。
「お姉さん……」
そんな時、アネモネはサラの服の裾をくいっと引いた。そうしてまっすぐとサラを見てこんなことを言う。
「お姉さんがここにいるのは、私が関係あるの?」
「……」
「そうなんだよね」
「うん……」
「なら……」
そうしてアネモネはサラの手を引いていく。苦しいと言っていたはずなのに、ずんずんと塔の方へと向かっていく。そして、塔のすぐ下まで着くと、アネモネは扉らしきところをこじ開けた。
「私と一緒に、ここから出よう」
その瞬間、ギラリとアネモネの目が光る。すると、アネモネの周りの錆が溶けるようになくなっていった。
その瞬間、異形たちが一斉にこちらを向き、二人の方へと歩いてきた。しかし、襲い掛かってくるような感じではなく、何かにすがるように、光を求めているような感じだった。
「あ……アア……アタタカイ……」
そうして異形たちがアネモネに近づくと、元々鈍かった動きは更に鈍くなり、欠損していた手足についていた鎖は溶けるように消えていった。
「ヤット……皆の所に……」
異形がそんなことを言った気がした。そして、サラはこの異形の正体がなんとなく分かった気がした。アネモネが取り込んだ魔石は、腐食の力を持った魔石だった。サラがアネモネから聞いた話では、その悪魔は子供を好んで喰らっていたそうだ。その子供たちの魂や怨念、残留魔力が、あの異形だったのではないのかと、サラは思った。
「どうか、向こうでも幸せに……」
静かにサラは祈る。サラは"天上からの使者"のことがあってからあまり祈るということをしてこなかったが、犠牲になった子供たちを思うと、祈らずにはいられなかった。
そんな時、サラの頬を暖かい風が撫でた。時間が経つにつれ、黒のインクを塗り広げたような空に、鮮やかな空色が広がっていく。そうして周りの錆が全てなくなっていく。やがて、目に見える異形たちが全ていなくなると、地鳴りが始まった。
「な、なに?!」
「お姉さん、アレ!」
そうしてアネモネが指さした先には、大きな穴ができていた。その穴はだんだんと大きくなっている。その穴の先は真っ暗で、本能的に恐怖を感じた。
「アネモネちゃん!飛べる?!」
「…あ、あれ?飛べません、なんでか翼が出なくて……」
「それなら……!」
そう言ってサラはアネモネの手を引いて塔の中へと入っていく。塔の中は上へと続く螺旋階段が続いているだけで他には何もない。そこを二人は駆けあがっていく。サラが一瞬だけ上を見ると、キラリと光が見えた。
「アネモネちゃん!一気に行くよ!」
「うん、お姉さん!」
階段を素早く駆けあがる二人。アネモネがちらりとそちらを見ると、下の階はすでに崩壊が進んでいた。恐怖を感じ、少し体がすくんでしまう。すると、サラが力強くアネモネを引いた。それは、アネモネに勇気を与えてくれた。ここに来てから初めて出会ったというのに、こんなに信頼できる。昔はなかったことだ。
「アネモネちゃん!一緒に!」
サラがそう叫ぶ。すると、アネモネの目からボロボロと涙が流れてくる。その涙は結晶のように固体になっていく。光を反射してキラリと光るその結晶は、暗い暗い奈落へと落ちていく。
いつの間にかアネモネの目線はサラを抜いており、小さかったアネモネの手は、サラよりも少し大きくなっていた。そして、いつの間にかサラが引っ張っていたというのに、アネモネが引っ張る側になっている。
「ええ、一緒に帰るわよ。サラ!」
「っ……うん!」
鎖でできた塔の先に何があるのかもわかっていないのに、駆けあがり、走っていく少女たちの表情は希望に満ち溢れている。絶対にその先に出口があるとわかっているように。
「走るのをやめちゃだめよ!」
「……わかってるよ」
「手を離したらダメよ!」
「……わかってるよ」
「絶対に、私から離れちゃダメよ……」
「わかってるよ!!」
泣きそうな声を我慢して、大声でサラはアネモネに言った。
(絶対に離れない!モネが離れようとしたって、絶対、離してあげないよ!だって……)
魔力だけではなく、心もサラは奪われたのだ。いつからだったのかはわからないし、わからなくてもいい。大好きならずっと大好きでいるだけだ。
「見えてきた!サラ、もうひと踏ん張り!」
「うん!!」
そうして二人は一気に階段を駆け上がる。奈落はすぐそこ。光もすぐそこ。二人は信じて突き進む。
「「いっっけえええぇぇえぇええええええ!!!!!」」
そうして二人は頂上まで駆け上がり、光へと手を伸ばした。その瞬間、二人の手の甲に、熱を感じた。契約紋が熱を帯びているのだ。
「サラ!」
「わかった!いくよ!」
そうして二人の目の前にはキラリと光る鍵が現れる。二人はそれを手に取り、目の前の空間に差し込んだ。
「「二重鍵!!」」
空間にピシッとひびが入り、ガラスが割れるような音があたりに響き渡る。二人が奈落に飲み込まれる前に、空間がガラガラと崩れ落ちていく。見えていた景色が段々と曖昧になっていく。しかし、不安感は全くなかった。隣に、愛しい人がいてくれるから……
* * *
サラはさっきまでの出来事が嘘のように、何の緊張感もなく起きる。そうしてすぐに、アネモネの方を見た。すると、アネモネも今目を覚ましたようだった。
「ん……んぅ……」
「モ、ネ?」
「サラ?私、帰って、来たの?」
「…うん、うん!帰ってきたんだよ!私たち、帰ってきたの!」
そうしてサラはアネモネに抱き着いた。アネモネも抱き着いてきたサラの後ろに手を回す。そのまま二人は見つめ合い、口づけを交わす。一度目は、二人の存在を確かめ合うように、二度目は愛を確かめるように、三度目は、アネモネの意地悪と、食欲のために、魔力を吸い取る。
「モネ……」
「ん?」
「大好きだよ」
「フフッ……ありがと」
そう言って二人はもう一度口づけを交わした。そのままアネモネは倒れこむ。サラもアネモネに体重を預けていたので、そのまま覆いかぶさるように倒れた。
「サラ、助けてくれてありがとね」
「だって私、アネモネがいないとダメなんだもん」
「そんな言葉、最初は絶対聞けなかったのにね」
「そうだね」
そんな会話を交わしていると、時間が二人を変えたのだと実感した。時の流れは様々なものを変える。良い方向にも、悪い方向にも。今回は目に見えてよい方向に進んでいる。そんな時、アネモネが何か言いたげな表情をしていた。
「どうしたの?モネ」
「この手についてる縄、何?」
そう言われ、サラはその縄を見た。それは制限の縄だ。サラとアネモネの腕に結ばれていたようだが、なぜか焼き切れている。
「この縄は制限の縄って言って……えっと、詳しくは言えないんだって。プリ―タスさんが言ってた」
サラがそう言うと、アネモネはあたりをキョロキョロと見渡し、「ああ……」と声を漏らした。
「どうしたの?」
「見たことあると思ったけど、姉さんの家だったのね」
「姉、さん?親じゃないの?」
「姉さんって呼べって言われたからそうしたの。癖で今でもそう呼んじゃうだけ」
「そうなんだね~」
また新しいことを知れて、サラは少しうれしいと思っていると、アネモネがサラと一緒に立ち上がる。
「そう言えば、姉さんはどこに……」
「あ、えっと……私が説明するね」
そうしてサラはアネモネが眠っている間に起こったことを全て説明した。もちろん、自分の親の事も。すると、アネモネが納得するように、こんなことを言ってくる。
「なるほど……サラのお母さんも美味しそうな匂いがしてたけど、なんだか同族を寄せ付けないような魔力が付いてたの。なんでかなぁ~って思ってたんだけど、サラのお父さんが何万年も生きてる悪魔なら納得」
そう言って、アネモネは寝室を出ていく。サラもそれについて行くと、アネモネはシャーロットが寝ている部屋に入っていった。
「この子も、苦労してたんでしょうね……」
「うん……」
そうしてアネモネはシャーロットを撫でる。悪夢を見ているのか、少し顔色が悪く、うなされている。しかし、アネモネが撫でると、少し落ち着いたようだった。そして、「姉さん……」とつぶやき、彼女は涙を流したのだった。




