一話「鎖、その都市」
夢に誘われるようにサラの目は閉じていき、耳に入る音は無くなっていく。しかし、普段寝る時のように意識が薄れていくことはない。はっきりした意識を持ちながら、暗い空間を浮遊しているような、そんな感じだ。
(……声が出せない……どこだろ、ここ……)
一瞬だけ、そんなことを考えると、段々と意識がボーっとしてくる。これはマズいと思い、すぐに自分が何をしに来たのか、そんなことで頭をいっぱいにする。常に何かを考えていないと空間に体が融けてしまいそうになる。
そんな時、サラの目の前を何かが通り過ぎる。それは、一本の鎖。それが何本も何本もそこら中から生えてくる。やがてそれは形作る。最初は小さな花瓶から。そして、家へと、教会へと、地面へと、暗い空間すべてを鎖が覆っていく。
(な、何これ?!……あ、あれ?声が出せる!」
久しぶりに聞いたように感じる自分の声は、今まで困惑気味だったサラを少しだけ冷静にさせた。
鎖がすべてを創っている世界は、光がないはずなのに、先もはっきりと見通せる。
「不思議な場所……」
サラがそんなふうに辺りを見渡していると、どこからか物音がした。「え?」とサラがそちらを見てみると、狼のような形を模した全身が鎖でできた物があった。それは自我を持っているようで、サラに明らかに敵意を示している。
「に、逃げた方がいいのか、な?」
――ウォォォォオオオオオオンン!!!!
すると、鎖だけでできたその狼は遠吠えをした。狼の遠吠えには、いくつか意味があるが、最悪な物では、狩りを始める合図だという。今回は、その意があったようだ。
「や、やばい……」
サラが周りを見回すと、いつの間にか鎖でできた家々の間から何匹もの狼が出現してきていた。幸いにも、一度家や地面に変化した鎖は狼に形を変えることはないようだ。
「あ、アイスウォール!……っ?!」
確かに魔法を使った。使ったはずなのだ。魔力も減った感じがするというのに、肝心の魔法が展開しない。異常も同様だ。サラがそのことに困惑していると、狼がサラに襲い掛かってくる。体が金属で構成されているので、普通の狼よりは遅い。そのおかげでほぼすべての攻撃をかわすことができたが、一匹から攻撃を少しだけもらってしまった。ほんのかすり傷だが、今は少しの消耗も避けたい。
(悩んでないで早く逃げないと!)
そうしてサラは狼がいる方向とは真逆の方向へと走る。鎖でできた世界の、安全地帯を目指して……
* * *
しばらく走って、サラは鎖だけでできた家の中に入ってみた。扉は少し重いが、普通に開くし、中は燭台も明かりを灯す魔道具もないが、明るい。
「どういう原理なんだろう……」
そうしてサラはその家の中を見て回る。鎖でできた机に、椅子に、壁に、窓枠に、ベッドに、本棚に、クローゼットに……とにかく様々なものがそこにはあった。
「……とりあえず休もう……疲れ……た?」
休もうとしたサラは今更気が付く。さっきまで疲れを感じていたはずなのに、今は全く何も感じない。何も運動していないかのように、汗もかいていないし、息も上がっていない。
「そう言えば一応夢の世界だった。そりゃそうだよね……でも……」
疲れは一瞬で消し飛んでいても、傷は治っていない。それどころか、少し大きくなっていると思うのは、サラがそう思い込んでいるだけだろうか……
「よし!とりあえずここでやることやらないと!!って、私、ここで具体的に何すればいいのか全然わからないんだよね……」
アネモネを救うのはわかっているが、どうやって救うのかが全くわかっていない。こんな状態で本当にアネモネを救うことができるのだろうか、とサラが思っていると、どこからか声が聞こえてきた。それは、最初は狼かと思ったが、段々と近づいて来るその"言葉"を聞いた瞬間、サラはすぐに鎖でできた家の中からこっそりと外を見渡した。
「っ?!」
そこで見た物は、人間の形をした物だ。鎖ではない。しかし、人間の形をしているが、腕に当たる部分は義手のように鎖に置き換わっており、目は縫い付けられており、髪は伸び放題でぼさぼさ。衣服に当たる物は一切身に着けておらず、鎖でできていない腕以外は、皮のはがされた肌が露出していた。そんな異形がブツブツと何かを言いながら徘徊している。
「はぁ……はぁっ、はっ…、はぁ……」
体の震えが止まらない。吹き出す嫌な汗。サラはそっと"それ"から目を離して、家の中でぶるぶると震えていた。一体どれくらい経っただろうか。そう思って、サラが立ち上がろうとすると、うまく立ち上がることができない。さっきの生物に腰が抜けてしまったのだ。
「早く……モネを助けて逃げないと……」
そうしてサラはさっきの化け物が向かった方向とは逆向きに進んでいく。すると、少し変化が見られた。ほんの少しだけだが、鎖が錆びてきているのだ。
「錆び?」
そうして目を凝らして先の方を見てみると、そこには鎖が全て錆びた世界が広がっていた。
「明らかにサラの異常じゃない……ってことは、モネの物じゃない魔石の影響……かな?ってことは、ここがモネを救う鍵?」
そう自分に言い聞かせるようにつぶやいて、サラは錆が多くなっているところに歩き出す。鼻孔につくのは、錆びた鉄の匂い。血液の匂いにも似ているその匂いは、サラの気分を悪くさせる。
「う、うぇ……」
すると、ズルズルと何かが這いずる音がサラの耳に入ってきた。そちらの方へとサラが目を向けると、サラの血の気は一瞬で引いた。
「ひっ……」
下半身がない人間に鎖でできた蛇の胴体を付けたような、皮膚がただれた子供のような"それ"がサラの方へとゆっくりと向かってきていた。
「……ぃ……ぃ…ぁ」
「な、何……?」
その"何か"も先ほどサラが家の中で見た異形のようにブツブツと何かをつぶやいている。そして、よくよく聞いてみると、それは耳を塞ぎたくなるような悲痛の言葉だった。
「痛い……いや、やめて……私の……あし、返して……わた、しの……」
「あ、あなたの足はここにはないわ!」
「あああ、あし、あしあしあし……いたいいたいたいたいいいいいたたたいたいたい」
「や、やめ、来ないで!」
恐怖のあまり、サラはその化け物と反対方向に逃げていく。すると、そこではさっきのように、体の一部が鎖でできている異形がたくさんいた。サラを見つけるとそれらはサラの方へとゆっくり向かってくる。もちろん、何かをブツブツとつぶやきながら……
「っ……!?」
そんな時、サラの腕は何者かにつかまれる。
「きゃっ?!」
「お姉さん、コッチ!」
そうしてサラは言われるがままに何者かに手を引かれていく。しばらく走って、サラとその人物はまた家の中へと逃げ込んだ。
「あ、ありがとう……って、え?!」
必死に逃げていたため、顔を確認できていなかったが、今その人物の顔を見て見ると、アネモネの顔に酷似していた。しかし、サラの記憶にあるアネモネの姿とは異なり、身長はサラよりも小さい。
「お姉さん、危なかったね」
「モネ!やっと会えた……」
そう言ってサラはアネモネに似た少女に抱き着いた。
「……あ、あの……私、お姉さんと初対面だよね」
その言葉に、サラは少し驚いたが、すぐに状況を飲み込んだ。小さくなっているということは、大きくなった時の記憶が無いのは当たり前なのかもしれない。
「ご、ごめんね、ちょっと知り合いに名前が似てて……」
そう言ってサラは小さなアネモネから体を離した。そんな時、足を動かした瞬間、サラの足に痛みが走る。全然耐えられるような痛みなのだが、その傷を見た時、サラは驚いた。さっきよりも傷が大きくなっており、少しだけ膿んでいるのだ。
「お姉さん怪我してるの?う~ん……ここには傷に効く物なんかないし……」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと痛むだけ」
「でも……あっ、そうだ。私がちょっとだけ魔法を使ってあげる」
「え、で、でも……」
「大丈夫大丈夫。お姉さん、見たところ悪魔だから、闇属性の魔法が回復魔法の代わりになるでしょ?」
「……えっ?」
そうしてサラは自分の頭部に手を伸ばしたのだった。




