三話「初めての喧嘩、そして見せた涙」
「もう知らない!」
「ま、待って!」
ケイトは七歳の誕生日の次の日、親友と喧嘩をした。いや、喧嘩と言ってもケイトにとって理由は全くわからない。相手がなぜかケイトに怒ったのだ。しかし、自分が何かしたのだろうと思い、ケイトは親友に謝った。それでも親友が怒った理由はわからなかった。
「なんなんだろう……」
外で遊んだ後に、自分の家に帰った後はずっと親友が怒った理由について考えていた。しかし、全く答えは見えてこない。
「ケイト、どうしたんだ?そんな難しい顔して」
「パパ……あのね、サラちゃんと喧嘩しちゃって……」
「うん」
「でも、なんでサラちゃんが怒ったのかわからなくて……」
「そうかぁ……サラちゃんが怒った理由を考えてたからそんなに難しい顔をしたんだね」
ケイトの父親がそう問うと、ケイトはコクリとうなずいた。
「ケイト、人の心を読み取ること以上に難しいことはない。だから、人は言葉で伝えるんだ。例えば……ケイトはパパがなんでお医者さんになったかわかるかい?」
「わからない……」
「それは考えてわかるかい?」
「ん~……かっこよかったとか……」
「そうだなぁ、それもあるけど違うな~」
「じゃあわからない!」
「そうだろう?考えるだけじゃ全部はわからないこともあるんだ。だけど、パパがなんでお医者さんになりたかったかは言葉で伝えることができる。ちなみに、パパがお医者さんになりたかった理由は、人を救いたかったからだよ」
「へぇ~」
「それでお医者さんになって、ママとも出会えたね」
「そうなの?!」
「うん。パパは元々別の町でお医者さんをやっててね、ママは元々パパの患者さんだったんだよ」
「そうなんだ~!」
「へ~」とケイトが相槌を打っていると、ケイトの父親はケイトの頭を撫でる。
「だから、わからないなら聞いてみるんだ。まず聞いてみる。それで、教えてくれないなら考えてみるんだ。別に聞くことは悪いことじゃないからな」
「うん、じゃあ明日にサラちゃんに聞いてみる!」
そう言ってケイトはさっさと寝室へ向かっていってしまった。それでも少女の心の中にある不安は消えない。
「ケイト……パパが治してやるからな……ママも一緒に頑張ってくれるって言ってるぞ……」
ケイトの父親はそうつぶやく、それを聞いていたケイトの母親も、コクリとうなずいた。二人にとってケイトの紋章は"祝福"などではなく、"病気"でしかなかった。
二人はケイトがひっそりと誰にもばれないように泣いているのは知っている。いつも夕飯になると寝るふりをしているのは泣いていることを知られたくないことだと知っている。いつも早起きをするケイトが、遅めに起きてくるのは、夜中まで泣いているからだということを知っている。
「ケイト……」
両親は名誉よりも、自分の子供が大切だ。ケイトが死んでしまう前に、二人はその"病気"を治すために奮闘するのだ。
* * *
「サラちゃん、昨日はごめんね」
「う、ううん。私も急に怒っちゃって……」
「その……それで……私、サラちゃんがなんで怒ってるのかわからないの……本当にごめんなさい」
「……わ、わからない、の?」
「うん……」
そう言うと、しばらくの沈黙があたりを支配する。そうした後、サラがケイトを抱きしめた。
「ケイトちゃん……もっと、自分を大切にしてよ……ケイトちゃん、他の人に優しくしてもいいけど、風邪ひいてるのを隠さないでいいんだよ……誰の迷惑にもならないから……むしろ、いつも優しくしてもらってる分、足りないくらいだから……」
ぽろぽろとサラの目から大粒の涙が零れ落ちてくる。それにつられ、ケイトも涙をこぼしそうになったが、親友の前で弱い自分は見せられない。ぐっと我慢して、サラに優しい言葉をかける。
「ごめんなさい。私、もうちょっと他の人を頼ってみるね」
「うん。約束だよ?」
「うん、約束」
そうして親友で幼馴染の二人は小指と小指を絡め合い、約束を結ぶ。その間ずっとケイトは涙が出そうだった。今約束したばかりだが、こればっかりは頼ってもどうしようもない。せめて笑顔でサラと別れがしたいと思ったケイトは、こうして笑顔を作り続けないといけないのだ。
「……」
「ケイトちゃん?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとボーっとしてて……」
「そうなんだ……あっ、お母さんが呼んでる。ちょっと行ってくるね!」
「うん、私あっちの方で待ってるから、あとで来てね!」
「うん!」
そうしてサラは元気よく走り去っていった。一人取り残されたケイトは、しばらく物思いにふける。他の子供たちが遊んでいる中、ケイトはサラを待っていると、近くの同い年の子供たちがケイトの元へ近寄ってきた。
「ケイトちゃん、遊ぼうよ!」
「ごめん、サラちゃんを待ってるから……」
「じゃあ、サラちゃんが来るまで遊ぼうよ~」
「それなら……」
「それじゃあ何する?鬼ごっこ?」
「サラちゃんが来たらサラちゃんも入れよう!」
子供たちは無邪気なものだ。みんながみんな純粋に遊びを楽しみ、純粋に生きている。未来のことなどまだちゃんと考えていない。しかし、ケイトは違う。もう数年しか生きられない体だ。この事実を知っているのは教会の人たちと、家族、そして、サラとその家族だけだ。ここにいる子供たちはケイトがもうすぐいなくなることなど知らないで生きている。それがケイトは羨ましかった。まだこんな深刻なことに悩まないで済むのなら、そっちの方が絶対によかった。
「じゃあじゃんけんするか~」
そんなことを言われて慌ててケイトもじゃんけんに参加する。結果から言うと、最初の鬼はケイトだった。その後にサラも合流し、十人ほどで鬼ごっこをやった後、いつの間にか門限の時間に近づいていた。
「もう時間かぁ……それじゃあまた遊ぼうな!」
一人のそんな言葉でみんなが散り散りに自分の家へと帰っていく。ケイトもみんなと同じで、自分の家に帰っていった。サラと隣の家なので、最後の最後までサラとしゃべりながら家へと帰る。
「ケイトちゃん、明日は何して遊ぶ?」
「う~ん。そうだなぁ……おままごとでもする?」
「する!あっ、もう家に着いちゃった……それじゃあ、また明日ね!」
「うん」と、ケイトが返事をすると、サラは嬉しそうに自分の家へと入っていく。門限まであと二分くらいだ。ケイトも早く帰らなければと思い、自分の家へと慌てて入っていく。
「ただいま~」
「おかえりなさい、今日はお父さんのお仕事がなかったみたいで、早めに帰ってくるわよ。まぁ、早めに帰ってくるとか来ないとか以前に、家の隣で診察してるからあんまり関係ないわよね」
「ふふっ、そうだね。それよりもママ、今日のお夕飯ってなに?」
「今日はね、トマトスープよ。シャロンさんが畑で採れたトマトをおすそ分けしてくれたの」
そう言って嬉しそうにトマトスープを器に入れる母親。その間にケイトは手をきれいに洗い、父親の帰りを待っていた。しばらくすると、「ただいま」という声とともに、玄関が開いた。
「パパおかえり~」
「あなた、おかえりなさい」
「ただいま。お~、今日はトマトスープか~」
「そうよ、シャロンさんがおすそ分けしてくれたの」
「へぇ~。あそこの野菜は美味しいからな」
「そうよね~、何かすごい肥料でも使ってるのかしら?」
そんな他愛もない話がいつも通りケイトの家の中に広がる。トマトスープを一緒に食べ、パンをかじり、サラダを口の中に入れる。
「パパ、ママ」
「ん?なんだ?」
「……」
ケイトの両親は、ケイトが今日起こったことを話してくれるのかと思い、ケイトが話し始めるのを待っていたのだが、言うのを迷っているのか、ケイトが難しい顔をしだした。
「ハハッ、どうしてそんな顔をするんだ。何か悪いことでもしたか?」
「パパったら、ケイトをからかわないであげて。まぁ、ママ的にはケイトがそう言うことをしてくれたら嬉しいわ。ずっと優しいケイトより、悪いことの一つや二つ経験したほうがずっと楽しいわよ」
「そうだなぁ……パパも小さいころに人の家の窓を割ったことがあるしなぁ。父さん……ケイトからしたらおじいちゃんだな、父さんに怒られて怖かったよ」
そんな風に両親が話していると、ケイトは「ふふっ」と笑った。今までの取り繕った笑顔ではなく、二人からは、心から笑っているように見えた。
「パパ、ママ……今までありがとう」
その瞬間、ケイトの体がぐらり、と傾き、座っていた椅子から体が転げ落ちた。頭を強く打ち、ケイトの意識がもうろうとする。その瞬間、ケイトに語り掛ける声がしたかと思うと、それはだんだんと強くなっていく。その声はケイトにしか聞こえていないようだった。薄れる意識の中、うっすら聞こえる声と、両親の表情がある。
「「ケイト!!」」
閉じる途中の瞼の奥から大粒の涙が数滴落ちる。その瞬間、初めてケイトは両親の前で悲しみの涙を流したのだった。




