四話「弱くて脆い(1)」
アネモネは手枷を外してからすぐに部屋を飛び出した。なぜなら、自分と同じような臭いが……同類の臭いがしたからだ。悪魔と悪魔がお互いに干渉することはあまりない。アネモネが生まれた時のように、悪魔が悪魔を育てるのは珍しいことだ。
「ちっ……なんで私、こっち走ってるんだろう……」
どうしてかアネモネはその悪魔の方へと向かっていた。干渉することが良くないというわけではない。しかし、これからのことを考えれば、干渉しない方がアネモネには都合がいいのだ。そんなこと、わかっているのに……
「……」
そうして走り続けていると、やがて、ボロボロの横たわった少年と、二人の男が立っていた。それを見た時、アネモネは反射的に魔法を放っていた。最初は優しい風がふわりと吹いた。しかしそれもつかの間。瞬きをする間もなく強風が吹き荒れた。
「ちょっと。子供をこんなボロボロにして……悪い大人たちね」
「貴様……檻に入れておいたはずだろう?」
「はい。ちゃんと牢屋に入れておきましたとも」
「ああ……あんなもので私を捕まえておこうなんて100年早いわ」
アネモネは、魔法を放った時に少年を助け出していた。その少年をぎゅっと抱きしめる。じわりじわりと、少年から流れ出る血が、アネモネの服ににじんでいく。
「そこの男は後でめった刺しにして殺す。それとそこの執事のふりをした悪魔!お前は私が直々に躾けてやる」
「ほう?何を躾けられることがあるのですかな?わたくしはまっとうに生きて……」
「どこが?」
「ふぅー……ご主人様、今は退いていてください。この娘はわたくしが処分しますので」
「ああ、頼んだ」
そう言って男は奥へと消えていった。そうしてしばらくした後、アネモネは口を開く。
「貴方、契約者のことを利用してるわね。自分は大したことをしてないくせに」
「おやおや。どうしてそのようなことを言うのですかな?悪魔のことなど人間がわかるはずも……」
「これでどう?」
そう言ってアネモネは今まで魔法によって隠していた角を見せる。
「ほぉ……」
「いいかしら?悪魔と契約者は常に対等じゃないといけないの。……貴方、代償が重いわりに、契約内容はだいぶ軽いでしょ?」
「……フフッ……それほどまでにわたくしのことがわかるとは……貴女はかなりお強いのでしょう?それこそ、人間どもには名付きなどと呼ばれるほどに……」
「……そんなのは今いいの。で?どうなの?」
「ええ。そうですよ。私が盗みの案を提示するだけで、ご主人様は私にたくさんの褒美をくれる!若い子供は特に美味しい物です。ですから……それを渡してくれませんか?」
そう言ってギルディはアネモネの腕の中にいる少年を指さす。
「悪魔の貴女ならわかってくれるでしょう?美味しい物を食べたいと思う気持ちは……」
「……ちょっと昔の私ならうなずいていたけれど……」
「ならば!」
「今は大事な人がいるから……」
「……貴女、本気ですか?」
「何が?」
「………気づいていないのですか……ならば何も言うことはありません。自分で気づいたとき、貴女がどう思うかでしょう」
「話してくれたっていいんじゃない?」
「嫌です。わたくし、悪魔なので相手の嫌がることをするのは大好きなので」
「そう……私も同じよ。だからこの子はあげない」
「そうですか……ならば、力ずくということですね?」
その瞬間、二人の周りを水が囲っていく。やがてそれは水のドームへと変わっていく。
「これでやられるとは思わないですが……一応お手並み拝見ということで」
そう言ってギルディは周りの水のドームから、水の槍を生成して、アネモネに放った。それを全てアネモネは風の刃で吹き飛ばす。ついでにギルディにも放ったのだが、それは防御結界で防がれる。その瞬間、ギルディは懐からナイフを取り出し、アネモネへと振るった。
「魔法がだめなら物理でってわけ?当たらなければ意味はないわよ」
「はい。重々承知しております。ですが、狙いは物理で刺すわけではないので」
そう言ってギルディはアネモネの抱えている少年を指さす。すると、少年は苦しみだす。アネモネが注視してみると、少年の傷口から、何やらあざのような物が広がっていた。
「腐食私の異常です。まぁ、わたくしの異常は弱すぎて、対象がかなり弱っているときにしか効果がありませんが……貴女が嫌がるのなら、わたくしはそれでいいのです」
そう言ってギルディはニタリ、と、悪魔らしい嫌な笑みを浮かべた。
「……」
「さぁ、どうです?守る気は無くなりましたか?それともわたくしを殺したくなりましたか?その子供はもういいです。今は!わたくしは貴女を知りたい!貴女が今この状況で選択することは何でしょうか?どのような決断を……」
「うるさい」
ゆったりとしたその声は、よくよく聞いてみれば、何も言えなくなるような圧力が込められていた。静かな怒りは、アネモネを支配していく。いつの間にか人間に絆された悪魔は、人の命を助けることを選んだ。
「素晴らしい!昔の貴女ならその子供を捨てていたのでしょう?ならば、どうしてそんな風に変わったのでしょうか?どのような出会いが貴女をそんな風に変えたのですか?!」
「お前に私について答えることはない。だからこれでお話は終わり。せいぜい華々しく散って」
そう言ってサラは少年を少し離れたところに優しくおいて、足に力を込める。ボコッと地面がえぐれ、超速でギルディへと拳を繰り出した。それをギリギリでギルディは受け止める。ボキボキと言う感触がアネモネの手に伝わってくる。恐らくギルディの腕の骨が折れたのだろう。
「最初は躾けるとおっしゃっていたのですが……殺しにかかってくるんですね」
「当たり前。ためらいなんかちっともないわ」
「なるほど!素晴らしいっ!」
そうしてギルディも負けじとアネモネにナイフを振りかざす。
(ここで異常を使えばここら一体の聖騎士にばれる……こいつは力が弱すぎて気付かれないのかもしれないけど……ああ!もういい!)
そうしてアネモネは躊躇なく異常を行使した。
「錠前」
「ぐっ!?」
闇を使ったような真っ黒な鎖が、ギルディを縛り上げた。その鎖は同時に一本しか出せない代物だが、対象の行動を制限できるという物だ。
「動けないでしょ?……はぁ……本当は苦しめたいんだけど、貴方の契約者を殺さなくちゃいけないから、すぐ終わらせるわね」
「……ははは……優しいお方だ」
それを遺言に、ギルディの生命エネルギーは散っていった。魔物とは、様々な生物の魔力が使われた際に出るマナが集まってできた"魔力生物"と呼ばれる生き物だ。魔物の他に天使も魔力生物で、体のほとんどが魔力で構成されている。しかし、魔力で構成されているからと言って、体の外見や、体の性質はほとんど人間と変わらない。
しかし、体内は違う。血液などは流れていないし、臓器も仮のものしかない。食べ物を消化などできず、栄養の摂取効率もかなり悪い。だから体を駆け巡る魔力を外部から補充するために、他者から魔力をもらうのだ。
そんな魔力生物だが、血が流れていないので、もちろん血は吹き出さない。そうして、殺された悪魔は、死体を残さずに死んでいく。残るのは、その死体の魔力が凝縮されてできた"魔石"という石だけだ。
「よし……この執事の異常も消えたし、次はあの男を殺しに行かないと……」
そう言ってアネモネは少年を抱えて、男が走っていった方向へと向かっていった。




