立ち聞き
ジョナサン号の姿を認めた途端、リアはさっと身を伏せた。そしてそろりそろりと足場の良い草むらの中へと移動する。目の前にちらつく草葉の間から目を凝らし、注意深く周囲の音に耳を傾けた。
人の姿は認められない。耳を澄ましてもコウコウと鳴く鴎の声が聞こえるばかり。しかし、遠いところで微かに人の声も混じっているような気がした。
……この声はジョナサン号の方からだよな。
リアはそっと頭の中に話し掛けた。
……そんな感じだね。行くの?
……うん。
……気をつけて。
……おう。
リアは草木の生い茂った地面を静かに這い始めた。
★★★
この海岸は見通しは良いが、遮蔽物も多くあった。砂地の上に力強く背を伸ばす雑草が至る所に蔓延っていて、流れ着いた大きな岩や流木がそこかしこにある。それらと幾つかある小屋の陰を利用しながら移動すれば、何とか船の周辺に近付くことは出来そうだ。
遠くジョナサン号の方から掛け声のようなものが聞こえてくるが、何を言っているのか分からない。聞き取れないものかと息を殺していると、突然人の声が真上から降って来て、リアは飛び上がった。
「こっち四、あっち四で行く!?しかも二回に分けて!?何て非効率な!!」
野太い男の声が聞こえ、リアは尻餅を付いて口元を押さえた。
そこは遮蔽物として使った小さな小屋の袂。小屋といっても一応屋根と柱と塀のような物があるというだけで、中の声は丸聞こえだ。どうやらこちらの気配に気付いた訳ではないようで、リアは胸を抑えながら耳を澄ませた。
「いっそのこと、ここで殺す訳にはいかないのか!!」
「しっ!」
野太い声を低い声が制した。
「海に落とせと令が出ている。」
「誰から?」
「ボウリ様だ。」
「だろうよ。」
野太い声の男がフンッとせせら笑うように鼻を鳴らした。
「現場のことが分かってないねえ!」
「口を慎め!」
「だが、どっちにしろ殺されるんだからどこで死んだって同じだろう!?」
「知らん。俺は命令に従うまでだ。」
「馬鹿々々しい!!王女はもう、海に落ちて死んでるんだぞ!!」
「恐らくな。しかし確証は持てん。」
「王女は火矢を避けて海に落ちた。あの海域を捜しても何も出て来なかったし、今はとっくに遠くへ流されているか魚の餌にでもなっているだろうさ。」
「だと思うがな。」
「だったら問題ないだろう!?ここで奴らも殺して、この島に埋めるか海に流してしまえばいいだけの話だ!!」
「しかし、エクリスタがいる。」
「エクリスタ?」
低い声の男は、うっかり口が滑ったとでも言うように小さく舌打ちをした。
「エクリスタがどうしたって?」
「…………迎えを遣った筈の王女が戻って来ない。訝しむのは当然だろう。」
「で、無数にある無人島を虱潰しに捜すってか!?有り得ねーよ!!」
「俺もそう思うがな。実際、エクリスタが王女への迎えを遣ったという確信すら持てん。だが……客室にいた若い官僚。あいつは間違いなくセイントレアの高級官だ。」
「そうだろうよ。エクリスタ船の客室にいたのが王女ではなくあの男だってだけでな。それにしてもあいつはどうやってレスカまで渡ったのだろう……?それとも元々レスカにいたのか?」
「そんな情報は聞いていない。」
「どうにも腑に落ちねえ。一艘の船も逃さないように監視していたというのに。」
「知らん。しかしそのことも含めて、エクリスタがここまで来る可能性がある。」
「ここを見つけたのも偶然だというのに!?捜せる訳がねえ!!」
「まあな。だが……。」
「何だよ?」
「俺も上のことは分からん。だが、ボウリ様はこの島に人がいた痕跡を残したくないのではないかと思っている。」
「はあ!?人のいた痕跡だと!?これを全部消すのは至難の業だぞ!?」
「分かっている。せめて、人がここで殺された痕跡とでも言うべきかな。海に落ちて死んだのなら殺されたかどうかは分からない。」
「ふうん……。」
野太い声の男が咽の奥で笑った気配がした。
「本当に現場のことが分かってねえな!エクリスタが動き出すなら、とっとと奴らを殺して我々も本土へ帰り、散り散りになった方が得策だろうに!あんまりウロウロしていると本当にエクリスタに見つかるぞ!」
「そうならないように、先発隊には奴らを速やかに海へ落とし、大急ぎで戻って来るようにと指示してある。」
「そんなに早く帰って来たら、残った二人だって怪しむに決まってるだろうが!!」
「貨物船に救助されてセイントレアに送ったと。」
「そんなにうまくいくもんかね!?では、仮に奴らを全員海に落として、我々だけがセイントレアへ着いたらどうなるんだ!?絶対におかしいだろう!?」
「疑われない為に、我々は彼等に相当な貢物をしてきた。金、銀、宝飾品、高級な食材にワイン……。船頭として借り受けた彼等は、レスカ国のあらゆる物が素晴らしく是非仲間への土産にしたいと言っている。ということにする。仕事はもう終わったから、物見遊山をしながらエクリスタ便でゆっくり帰って来いと。奴らは贅沢品に慣れている。」
「どうだかなあ……。」
野太い声の男は唸り声を上げた。
「ボウリ様からその令が出たのってかなり昔の話だろう?かと言って状況が変わっても、この無人島に伝達する手段がねえ。奴らだってかなり疑ってるぞ。」
「奴らって、どの奴らだ。」
「勿論、マーシューブだ。」
「む…………。」
低い声の男は沈黙した。
「最初は信じていたと思うさ。目も眩むような様々な貢物、背筋が凍るようなお世辞の数々……。信じていただろうよ、我々が王が極秘で派遣した特殊部隊だとな。」
「今は違うと?」
「何かおかしいと思ってるに決まってるさ!海の男はそんなに馬鹿ではない。」
「まあ、それはな……。しかし、走り出した船はもう止めることが出来ない。当初の予定通り突っ走るしかないだろう。」
「それにしても、よりによって何で俺とお前が後発隊なんだ!?俺も先発隊に入りてえ!!」
「単純に給金の差だ。」
「理不尽だ!!俺にだって早く帰る権利がある!!」
「先発だって彼等を海に落としたら我々を迎えに戻って来るのだ。一緒だ。」
「先発隊が裏切ったら!?」
「裏切らない。彼等はそういう時の対処の仕方を知らん。裏切りそうなのは俺かお前のどちらかだ。」
「だから俺が残されるのか!?」
「まあそれも一つだ。それと給金の差と。あとは、何故かお前が奴らに慕われているってことかな。お前が残ると信頼感がある。」
「冗談じゃねえ!!」
「奴らには随分慕われているようじゃないか。それとも、お前は元々そっち側の人間だったのかな?」
「ふざけんな!!」
「しかし――。」
「やめろ!!本当にやめてくれ!!……昔からの性分なんだよ、何故かああいう輩に好かれちまうっていう……。」
「ほうお。」
「何だ、その疑り深い目はっ!!」
低い声の男は、ふふんと笑った。
「疑っている訳ではないがな。奴らを殺せ殺せと喚いていたのは正にお前だ。」
「当たりめーだ!!」
「うむ…………。」
二人の間に僅かな沈黙が落ちた。やがて、低い声の男が口を開いた。
「何れにせよ、我々には何かを変更する時間がない。エクリスタが王女が戻って来ないことに気付くのは時間の問題だろう。」
「む……。」
「先発隊には準備が整い次第すぐに出航しろと伝えてある。我々は島の後始末をするから構わず行けと。」
「あんだって!?」
「これから俺とお前は一蓮托生だ。せめて仲良くやっていこう。」
「はあっ!?」
「最初から言っているだろう?お前を残したのは給金の差だ。高給取りな分責任を持てよ。」
「まだ半金しか貰ってねえ……。」
「俺もだ。残りの半金を貰って、豊かな余生を過ごそうじゃないか!」
「………………。」
「では、彼等の最期を見送りにでも行くかね?それぐらいしても罰は当たらないだろう。」
狭い小屋に閉じ籠っていた大男二人は、ドカドカと慌ただしい音を立てながら小屋の外へ出た。そして眩しい野外へ出た途端、白昼夢のような有り得ない光景を見た。
そこには人がいた。
燦燦と輝く陽光を吸い取っているかのような黄金の髪。着衣はドロドロ、顔も砂塗れ泥塗れだというのにも拘らず、直視出来ない程の美しさを湛える異形の美少女。その眼はまるで太陽の光を移したかのような異彩を放っている。
そしてその手に握られた剣は、真直ぐに彼等を指していた。




