武器
泣くのには案外体力がいる。呼吸器系が乱れるし、普段使わない顔面や首肩回りの筋肉を使う。
しかし、今はそんなことどうでもいい……。
リアはフローラの流す涙に、温かさと深い追悼の気持ちを感じていた。
太陽は益々西へと傾いてゆく。角度からして、十五時を少し回ったというところか。日没まであと三時間…………。
相変わらず左右の手で剣を船に突き刺したまま、リアはゆらゆらと波に揺られていた。その時、急に右手に刺すような痛みが走り思わず叫んだ。
「痛!!」
……あ、ごめん!!
……どうした、フローラ!?
自分の意志とは関係なく、右手を短剣から放したフローラに尋ねた。
……ごめんね!!ちょっと右手を動かしたらこんなに痛くって!!
……ああ、いいよ。長時間同じ体勢を取っていたら誰だってこうなる。
……そうか!!俺、人じゃないから忘れてた!!
……いいんだよ。ゆっくり動かせばちゃんと動くから。
リアは証明するように、指を一本一本動かしていった。それと共に、もうこのまま朽ちても構わないのじゃないかと萎えていた精神に血が通い出す。
……ほら、大丈夫だろう?
……うん!!リア、ごめんね!!
……フローラ、謝らないでくれ。お前は私を生かす為に、こんなになるまでずっと握り締めていてくれたんだな。
…………。
リアの目からボロッと涙が落ちた。それはどちらの涙かは分からない。或いは二人の涙だったのかもしれない。
★★★
「これで十五人…………。」
リアは血塗れで倒れてる船員の手を取った。
「ディーノ、済まなかったな、今までありがとうな。」
リアはそっと彼の頬を撫で、その場を立ち去った。
フローラと相談して、リアは船を一通り調べることにした。負傷していても息がある者がいるかもしれないし、そうでなくても船員の生死を確認することは、生き残った者の義務だと感じていた。
漕ぎ場は全滅だった。海面に最も近い彼等はぎりぎりまで漕いでいたのが伺える。半身が水に浸かっていても尚、櫂を握り締めている姿が痛ましい。もし逃れるならば、我々のように海へ飛び込んで逃げるかデッキへ駆け上がって逃げるか……そんな望みを持ちながらリアはデッキへ上がったが、想像以上に酷い有様だった。船が大きく傾いている為、時折波が甲板へ入り血で染まった海水がたゆっている。
後は、デッキから半地下にあって独立している客室と、その奥にある船員の仮眠室のみ。仮眠室は漕ぎ場にも甲板にも出られるようになっている。
リアは意を決して客室の扉を潜った。客室の扉は開けるまでもなく半ば開いていて、妙にひしゃげた形で固定されていた。
「ピズロ……?」
僅かな希望を持って声を掛ける。
本来なら、ここにいるのはセイントレア王女の筈だ。明らかに船員でも王女でもない彼の容姿と、セイントレアにとって重要人物なのではないかと疑いを抱くには十分な雰囲気。ひょっとして、彼は敵側へ連れ去られたのではないのだろうか。
ならばいい。
命さえあれば何とでもなる。
「ピィーズロ!」
リアは明るく声を掛けながら部屋を巡る。しかし、そんな希望も淡い夢物語だとすぐに気付くことになってしまった。
ピズロは仰向けで倒れていた。右手にがっしりと銀の燭台を握り込んで。
彼は常々、自分は武器を持たないと豪語していた。自分のような不調法な者が武器を持つと逆に危ないとも言っていた。
でも、彼は武器となる燭台を持っている。戦う意志があったのだろう。細かい傷は無数にあったが、致命傷になったのは左腋窩あたりに刺された深い傷。心の蔵を直撃された訳ではないが、命を奪うには時間の問題でしかなかっただろう。命が失われるまでの間、彼は何を考えていたというのだろうか。
……何故、お前は笑っている?
リアはピズロに覆い被さり、自分の頬を彼の頬に当てた。
……その諦めたような微笑みは何なんだ?最期にいい夢でも見ていたとでもいうのか?
涙が後から後から頬を伝い、ピズロの血を洗い流してゆく。
★★★
「ピズロは剣を持たないの?」
リアは、自分が書いた数式を凝視したまま、難しい顔でチェックしているピズロに尋ねた。あんまり見ている時間が長いので飽きてきて話し掛けたのだ。ピズロは答案から少し目を上げて頷いた。
「どうして?戦えないと危ないんじゃないか?」
「剣を持っている方が危ないんだよ。」
「?」
きょとんとしているリアに、ピズロは答案を机の上に置いて話し始めた。
「いいかい、リア。私だって幼少期には色んなことを習った。剣術、矢術、馬術、その他諸々。だけど何もかもからっきし駄目なんだ。で、次第にこう思うようになった。この腰の物は、持っている方が逆に危ないんじゃないかって。例えば誰かが私に害を加えようとしたとしても、あっという間に剣を奪われて切り付けられる自信がある。」
「凄い自信だな。ぐっと握り締めて離さなければいいじゃないか。」
「それが出来る人には私が言っていることがまるで理解が出来ないと思うよ。だけど本当にそうなっちゃうんだ。」
「へえー!!」
「もし手ぶらだったら殴られるくらいで済んだかもしれないのに、武器を持っていたが故に殺されちゃったら馬鹿らしいだろう?」
「なるほど、とても分かり易い説明だ。」
「まあね。だけどね、リア。」
「何?」
「実は……私にも武器があるんだ。」
「そうなの!?何の武器!?」
勢い込んで尋ねるリアに、ピズロは楽しそうに笑った。
「何だと思う?」
「何だろう……?毒とか?」
「違うな。」
ピズロは懐から小さな棒を取り出した。
「なーんだ?」
「何これ!触ってもいい?」
「いいとも。」
リアは小さな硬い棒をこねくり回して調べた。
「魔法使いの棒……にしては小さいような気がする。おお、ここのところが回るんだな……。ん……あ!!これペンなんじゃないか!?」
「その通り。」
「凄い!!あれ、でもインクは?」
「書いてごらん。」
リアが紙にさっとペンを走らせると滑らかな軌跡が出来た。
「おお!!こんなの見たことないぞ!!」
「祖父がレスカ国へ行った時に、私の為に特注してくれたんだ。携帯も出来るし私の宝物だ。」
「そうだろうねえ!!え、じゃあこれ、武器にもなるの!?どうやって戦うの!?」
「はは、それはものの例えだよ。」
「どういうこと?」
首を捻ったリアに、ピズロは丁寧に説明した。
「だからさ、私にとって武術を学ぶことは本当に無駄なんだ。その時間は全て勉学に費やしたい。」
「そうだよねえ。」
「沢山勉強して、武力に頼らない平和な社会を作りたい。」
「それ、私に言ってる?」
「え?ああ……そんなつもりは無かったけど、その方がいいのかもな。」
「…………。ピズロの言っていることも分かるよ。分かるけどさ、殴らないと……いや、殴っても分からない人間っているんだよ?」
「いるね。」
「そういう奴と、暴力なしでどうやって戦えっていうんだよ?」
「そこでこのペンの出番なんだよ。私に喧嘩を売るような奴がいたら、武力を使う前に口と理論で言い負かしてやる。」
「そうか!!それも一つの手だな!!」
「そういうこと。ご理解いただけたようで良かったよ。ところでリア、ここの数式、何故こうなったのか聞きたいんだけど。」
「ん?どこ?」
リアは机の上にある答案を覗き込んだ。
★★★
ピズロの胸はじっとりと血で湿っている。リアは手を血塗れにしながら彼の懐を探った。小さな硬い物が当たり引き出すと、それはいつものようにそこにいた。
子供の頃見せて貰って以来、何度も目にしたピズロの宝物。ふと懐に手をやり、それを取り出す仕草。だけど、ご主人様はもういない。
リアは、小さなペンをそっと自分の懐にしまった。




