帰途
船の中の豪奢な客室で、ピズロは深々と溜息をついた。
つい数時間前まで必死になってレスカ国を目指していたというのに、今はもう帰途に就いている。セインティアを飛び出してからの一連の流れがまるで夢のように思えた。
リアと軽く情報交換した後、ピズロは無理矢理この豪華客室に押し込められた。ちっとも眠くないし寝られる状況でもないというのに、いいから寝ろ!!と目を三角にして迫るリアに気圧されて渋々この部屋へ入った。はぁぁ~、と再び溜息をつきながらベッドへゴロリと横になると、精緻に描かれた美しい天井画が真上に見えた。
カモメと、小舟と、椰子の木と……。
縦横に描かれている規則性があるような、ないような、変な配列を考えながら、ピズロは漸くウトウトしている自分に気が付いた。
よく出来ている絵だ。小さな対象物と意味があるようなないような細かい描写。見ているうちに、気が高ぶっている客人はいつしか眠りに就くのだろう……。
ピズロは寝返りを打って目を閉じた。
そう言えば、最後にまともに寝たのっていつだっけ……?リア様があんなに怒るなんて、私はそんなに酷い顔をしているのだろうか…………。
ピズロは今朝のことを思い返しながら、夢と現の境界辺りをフワフワと漂い始めた。
★★★
「本当にそれだけでいいの?」
ピックランツは驚いたような目でリアを見た。
「うん、最低限の物だけでいいから。後は売るなり捨てるなり処分を頼む。」
「捨てるって……?宝石の付いているドレスとかあるよ?」
「そういうのはロザリーにあげてよ。流石にドレスのサイズは合わないから宝石だけ外してさ。」
「そんな……!!」
「おほほ!!お気になさらないでくださいまし!!」
戸惑っているピックランツの前に、クララが深々と膝を突いた。
「ピックランツ様、リア王女の滞在中、身も心も奔走して頂いたと伺っております。それに、私共が右も左も分からず到着した中、あなた様がリア様の手を取ってくださったことで全てが動き出したのでございます。侍女の私が口を出すのは差し出がましいと重々承知しておりますが、是非ともピックランツ様に受け取ってほしいと存じます。」
「そんなに大したことした覚えはないけど……?親友が王女だったからって、話してみたいと思うのが普通だろう?」
「その普通が普通であることの何と尊いことでございましょう!!」
「クララ……申し訳ないが抽象的すぎて何を言っているのかよく分からない。」
「結構でございます。要は、ピックランツ様に全てを受け取ってほしいと願うばかりでございます!」
「はあ。」
「まるで謎解きみたいだな!!」
他人事のようにリアは笑った。
「ピック、深く考えないで貰ってよ!宝石が付いてるのもあるけどゴミみたいのもあるからさ、派手な近衛服とか。」
リアがそう言った途端、
「何を仰るんですか!!」
クララから鋭い批判の声が飛んだ。
「え、クララ……?」
「あれが一番高く売れるに決まってます!!」
「は?何を言ってるんだ?あれは正規軍のじゃなくて闇市で買ったんだよ?」
「当り前です!!ああ、もう本当にわかっていない。ピックランツ様、どうぞあの馬鹿々々しい服はお売りになってくださいね、一番価値が出ますから。恋の記念などになさらずに。」
「恋してません!!」
「いえ、ロザリー様が。」
「恋してません!!」
「ならば結構でございます。」
「クララ、一体何の話をしているんだ?準備は出来たな?行くぞ。」
「はい。」
「ピック、済まないが後の整理を頼むよ。」
「任せとけ。」
ピックランツは笑いながら手を差し出し、そのままリアをを抱きしめた。リアもぎゅっと彼を抱き返す。
「ピック、ありがとな。」
「こっちこそ色々楽しかったよ。また遊びに来てね。」
「うん!お前も遊びに来いよ、ロザリーと一緒にさ!」
「楽しそうだなあ!」
「国賓だ、国賓。」
「いいねえ!君もちゃんと無事でいろよ。」
「ありがと!」
リアは自分の頬をピックランツの頬に合わせたが、勢い余ってゴン、と鈍い音がした。
「痛いぃ!!」
「ごめーん!じゃあ行くね、ロザリーによろしくな!」
ピックランツは頬を摩りながらリアに手を振った。
★★★
「リア様……一つつかぬ事をお伺いしますが……。」
ピズロは空飛ぶカモメだけを見てリアに尋ねた。
「何?」
「その……ピックランツ殿は……リア様の良い人なのですか?」
「はあ!?良い人って何だ!?」
「あ、違うんですか。でも、ピックランツ殿にとってはリア様を親友という名のとても大切な人だと思っているのではないでしょうか?」
「そうだと思うよ。私だってそうだもん。」
「ああ、やっぱり……。」
「何故そこでがっかりする?」
「リア様にそんな想い人がいたとは知らずに少しショックで……。」
「ピズロ、大丈夫か?話聞いてた?じゃあ逆に聞きたいんだけどさ、お前の目から見てピックはどういう風に見えた?」
「そんな、先程少しお話しただけで……。」
「何を言っているんだ?いいか、我々は少しお話しただけでも大きなことを決めなくてはならない場面が多々あるんだ。」
「……確かにそうですね。ピックランツ殿は……とても誠実な方のように見受けられました。それに天性の明るさがあると思います。」
「その通りだ。では、奥さんがいるのにどこぞの王女とよろしくやっているように見える?」
「奥さんがいる!?」
「何度か話題に出たと思うが?ロザリーって。」
「ああ!!」
「駄目だ、お前本当にやばい。客室で寝て来い。」
「だって客室は一室しか……。」
「いいから寝ろ!!寝るのがお前の仕事だからな!!」
リアに睨まれて、ピズロはじりじりと後退った。
★★★
船がグラリと揺れた。遠くでリアの声がする。
「天気はいいのに結構揺れるんだねえ。」
「来た時よりは荒れていますね。」
「こんなに晴れているのに?」
「晴れていても風があるでしょう?」
「ああ、確かに。」
「まあ、我々にとってはそよ風みたいなもんですよ。行路は順調です。」
「それは心強いな。」
リアの声と波の音が混じり合って耳に心地良い。
……リア様がお変わりなくて良かった……。
ピズロは眠りの淵を漂いながらぼんやりとそう思った。
シャウル様のことを告げてあんなに動揺してらしたのに気丈に振舞ってらっしゃる。いや、落ち込んでなぞいられない。強い気持ちを持って徹底的に捜索されるおつもりなのだろう……。
……それにしても、一月以上国を離れてらしたというのに全くお変わりない……。常に他国の上流階級に囲まれていたにもかかわらず、変に気取ることもなく、逆に怯えたりすることもなく、リア様はいつだってリア様だ。愛おしい…………えっ?
ピズロは突然胸に差し込まれるような痛みを感じて、自分自身に驚いた。
そう……そうなんだ。ずっと緊張状態が続いていたけれど、変わりないリア様を見るとほっとする。美しい、愛おしい、ずっとそばでお仕えしたい…………。
ピズロは痛みを抑えるべく、そっと胸に手をやった。
シャウル王子の件で、今の王宮は水面下でてんやわんやだ。事件を知らない殆どの貴族達も何かを感じているようで、リア様の皇太子即位式を一刻も早く行ってほしいと望まれている。そうしたらすぐに結婚、という話が上がってもおかしくはない。いや、寧ろその可能性の方が高いだろう。すぐ結婚に至らなくても婚約者くらいは確実に決まる。そうしたら私はどうすれば…………!!
……耐えられるだろうか?リア様の隣に夫然として立つ誰かに。いいや、耐え難い!!辛すぎて出廷するのも嫌になりそうだ。恋しくて気が狂いそうだ…………!!
その時ピズロの頭に、一度も浮かんだことのないある考えが過った。それは今まで考えもしなかった答で、彼は自分自身に恐れ慄いた。しかしそれは確信となって彼の胸を熱く燃やし始めた。
……私が、リア様の求婚者として名乗りを上げるのは不可であろうか……?
絵空事のような淡い夢が、急速に現実味を帯びたイメージに塗り替えられてゆく。
……不可では……ないんじゃないか…………?
……私は……何を恐れているのだ?一つは……リア様にこっぴどく振られること。もう一つは、父上にこっぴどく叱られること。ああ、こんなことなら、父上にもっと早く根回ししとけば良かったんだ!……父上に根回し?と言うことは、父上にはきちんと話せば分かって貰えると思っている。そうだ、父上は「恐れ多い」という理由で反対するだろう。でも理由はそれだけだ。結果がうまくいってもいかなくても、リア様を愛してるから結婚したいと説明すればきっと許してくれるだろう。そして、もう一つの不安は…………。
ピズロは逸る気持ちを抑えるべく、トントンと軽く胸を叩いた。
もう一つの不安は、リア様にこっぴどく振られること。
……ではどうだ?私がリア様に一生お仕えすることはほぼ確定している。こっぴどく振られないでリア様の隣に立つ誰かと対峙すること、或いはこっぴどく振られてそいつと対峙すること。だったら後者の方が全然いい!!少なくとも自分では駄目だったんだと納得することが出来る。
……ああ……そうすれば良かったんだ…………。
ピズロは肩の力が抜けて、安堵の息をついた。
そうと決まったら、この船にいる間がチャンスだ。上陸したら速やかにセインティアに向かうのだから、それどころではない。今すぐ胸の内を……と行きたいところだがやめておこう。私は通常の状態ではないし、リア様が仰ったように酷く窶れているのだろう。指示通りにちゃんと寝て……頭がクリアになったところでプロポーズだ!!
重い荷物が滑り落ちたかのように、ピズロはすとんと深い眠りに落ちた。今までの疲れが一気に彼を襲い、夢を見ることもなく眠り続けた。




