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亡霊に取り憑かれた王女  作者: 曉月 栞


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それぞれのレスカ ⑥クロード

 書庫は独特な匂いに満ちている。一般に書庫と呼ばれるものは、そこに収められる物によって特有の匂いを放つものだが、ここの匂いはどこのものとも違う。一体どれだけの冊子があるのだか分からないが、それぞれの紙には歴史があった。

 この書庫には、リード校に在籍したことのある学生の記録のみが保管されている。要求があればその意図に従って鍵を開けるが、そんなにしょっちゅう開かれる場所ではない。歴代の校長の中には余りの紙の多さに幾分か処分しようと考えた者もいたようだが、その重さに圧倒されてそれが出来た者はいなかった。重量の重さでは無い、歴史だ。

 この学校から多くの著名人が出た。有名無名を問わず、ここから羽ばたいて行った多くの者がこのレスカ国の歯車となり、今も国を支え続けている。そんな彼等の学生時代の記録を抹消するなど、心ある者にとってはとても出来ることではなかった。クロードは久し振りに開かれた窓から流れ込む新鮮な空気を吸い、秘密基地のような書庫を振り返った。

 そこには、一心不乱に書類を捲っている女性がいた。褐色の髪を掻き上げ茜色のドレスに身を包んでいる彼女は、大火事のように燃えていた。髪留めに使っている大粒の黒真珠が、燻ぶっている怨霊のように他を寄せ付けない空気を醸している。

 若者が真剣に何かに打ち込んでいる姿は本当に美しい。ロジワニース侯爵が目に入れても痛くないと豪語しているご息女ヴァネッサは、時折首を傾げながら猛烈な勢いで書類を読み込んでいた。しかし、そろそろ休憩した方がいい、これではオーバーワークだ。長年の経験でそれを知っているクロードは、そっとヴァネッサに声を掛けた。


 「ヴァネッサ様。」


 「………………。」


 「ヴァネッサ様。」


 「んあ?」


 ヴァネッサは敵意に満ちた目でクロードを見返したが、ふと自分の置かれた立場を思い出し、にこやかに笑った。


 「おほほほほ!!あら、失礼いたしましたわ!あんまり居心地が良いので、つい自宅にいるような気分になってしまって!」


 「それは光栄だ!ヴァネッサ様、少し休憩しませんか?」


 「そんな!ここを使わせて頂くだけでも申し訳ないのに!」


 「ご自宅だと思ってゆっくりなさってください。でも、今のあなたは根を詰めすぎです。少し休憩した方が良い成果を得られることもありますよ。」


 「はい。」


 ヴァネッサは素直に頷いた。


 「お茶にしましょう。」


 クロードはそう言って立ち上がり、奥の壁際にある一つの書棚をグイッと引き出した。彼はその裏へ回り、ヴァネッサからは見えないがガチャガチャと鍵を合わせている音がする。カチャ、と鍵が回った音が聞こえた後、クロードの鼻息と共にガゴーンと重い閂が外された音が響いた。ハアハアと荒い息遣いと、ガラスがぶつかり合う繊細な音がする。

 ヴァネッサは耳だけを研ぎ澄ませて、広げた冊子を見ているふりをした。知らない方がいいこともある。彼女は経験上それを知っていた。

 クロードが書棚の横から、ひょいと首を出した。


 「クロード先生、どういたしましたの?凄い音がしましたけど?」


 「お騒がせして申し訳ない。お茶の準備に手間取ってしまって。」


 クロードは茶色い液体が入った瓶と、小振りだがずっしりと重みのあるグラスを長テーブルの上に置いた。


 「あら素敵。ブランデー……という名のお茶のようですわね。見たことのないデザインだわ、クロード先生、拝見してもよろしいですか?」


 「どうぞ、どうぞ。」


 ヴァネッサはボトルを手に取って、判読し辛い文字に顔を近付けた。


 「ボトルのデザイン自体が垢抜けておりますわね。タ……ガ……ザ……タガ・ザンですって!?百年以上前の幻の銘酒ではないですか!!」


 「そうなんですよ!!」


 「クロード先生、よろしいんですか!?こんな大事な秘密を私なんかに明かしてしまって!!」


 「構いませんよ、あなたが秘密を守ってくださるならね。」


 クロードは笑いながら片目を瞑った。


 「絶対に秘密!という訳ではないのです。何人かこの存在を知っている教授もいます、煮詰まると一緒に飲みますんでね。鍵の開け方は私しか分かりませんが。」


 「本当に大変なお仕事ですわね。クロード先生が煮詰まることなんてあるのですか?」


 「大抵は生徒のことですよ。だからここに隠し扉があるのでしょう、校長室には無いのに。」


 「先生がお作りになればよろしいではないですか。」


 「それは名案だ!!」


 クロードは手を打って笑った。


 「前置きが長くなってしまいました。さあ、飲みましょう。」


 クロードは二つのグラスにブランデーを注いだ。ヴァネッサはその一つを取り、ほんの少量だけ口に含んだ。


 「ああ………………。」


 ヴァネッサは目を閉じて、その香りを楽しんだ。


 「む………………。」


 何か言おうとしたクロードも、口を閉じて黙り込む。


 「凄い……ですわね。」


 「うむ、凄いとしか言いようがない……。」


 「凄すぎて賞賛の言葉が見当たりませんわ。流石にこの国、いえ、世界で随一の学校ですわね。この学校が出来た時から存在するのですか?」


 「分かりません。代々の校長には、ずっと鍵の開け方を申し送られておりますが。」


 「それが守られているのも凄いですわね。」


 「他にもルールがあるのですよ。自分が飲んだ分だけ、その時代の最高と言われる酒を入れておくこととか。百年後の校長の為に。」


 「まあ!百年後の校長先生がどんな風に飲まれるのか見てみたいですわね!!」


 「私もそう思いますよ。」


 「クロード先生、こんなに素敵なお茶に誘ってくださってありがとうございます。」


 「いえいえ、集中した後には美味しいお茶に限ります、よい気分転換になる。」


 「本当に元気が出ますわ!」


 「百年物のパワーですからな!」


 「その通りですわね、逆に頭が冴えてきましたわ!クロード先生……記録の中で分からないものが幾つかあるのですが、伺ってもよろしいでしょうか?」


 「構いませんよ、何が分からないのですか?」


 「ええ、例えば……。」


 ヴァネッサは一つの冊子を引き寄せた。


 「このチェックは何ですの?殆ど付いておりますが、たまに何も付いていない学生もいます。」


 「ふむ……ああ、これは、必要な論文が提出されているかのチェックですな。当校は課題がとても多いですから。」


 「そういうことですか。隣に書いてある数字は出来栄え点ですの?大体1から5くらいですが、27なんていうのもありますけど。」


 「出来栄え点のようなものです。これは学術誌に掲載された回数です。」


 「まあ、本当に優秀ですのね!」


 グラスをちびりと含みながら頷いているヴァネッサを、クロードは横目で観察した。


 ……このご令嬢、他のご令嬢とは大分違うとは思っていたがやはりかなり変わっている。我儘で顕示欲が強いなどと陰口も叩かれているが、いやいや、他人の目に付かないものでも見えてしまうせいだろう。ロジワニース侯爵が、自分の代理としてあちこちへ行かせているのも頷ける。


 クロードはボトルを掲げ、ヴァネッサのグラスに酒を継ぎ足した。


 「ヴァネッサ様。」


 「はい。」


 「ヴァネッサ様は、普段何をされているのですか?お父上のお手伝いですか?」


 「ええ、そうですわね。」


 「お忙しい?」


 「今はとても。」


 「ああ、そうでした!!こうやってこちらにもいらしている訳ですしね!あ……!!そういえば、うちの教師の一人も、あなたと同じように何かを調べているみたいですね。リア絡み……いえ、リア王女絡みのようですので深く問わずに許可しましたが。」


 「ウィンディア先生でしょう?」


 「何故ご存じで!?」


 「他でかち合いましたもの。情報の共有はしませんでしたが。」


 「ああ!!」


 クロードは嘆息した。


 「そうですよね、うちだけでなく他にも行かれてらっしゃいますよね。それはお忙しいことでしょう……。」


 「クロード先生、どうされたのですか?」


 落胆しているクロードに、ヴァネッサは声を掛けた。


 「いえね……もしあなたにお手すきの時間がおありでしたら、うちで働いて貰えたらどんなに嬉しいかと思ったのですよ。」


 「まあ先生!!ご冗談を!!私本当に馬鹿ですのよ!!」


 「教師としてではありません、事務員として働いて貰えたら!」


 「事務員ですって!?」


 「あなた様が今、大変お忙しいのは分かります。それが落ち着いてお手すきになってからで構いませんので。……どうでしょうか?」


 「………………。」


 「優秀な教師が稀有なように、優秀な事務員というのも中々得難いのです。」


 「そんな!優秀とは限りませんのよ!」


 「いえ、優秀です。考えてみては貰えませんか?」


 「そんな……父の手伝いもございますし……。」


 「存じております。フルタイムでなくて構いませんから。」


 「………………。」


 「手の空いた時にちょっとだけでも。働き方はあなた次第。」


 「どうでしょう……本当にありがたいお話ですが、難しいかもしれません。」


 「そうですか……。」


 「私も歳ですし。」


 「お若いではないですか!」


 「いえ、結婚する年齢にしては、ちょっと……。」


 「結婚!?」


 急に出た言葉に、クロードは絶句した。

 結婚…………??

 そうか、若い女性にとってはそれが一番の関心事に決まっている。ついうっかり古参事務員と話しているような気分になってしまったが。そういえば、この人は何故まだ嫁いでないのだろう……?そうだ、思い出した!!数年前に、不幸な(幸運か?)婚約破棄事件があったのだ!!もし結婚話が進んでいるのなら、快く祝福すべきだろう。それにしても、ロジワニース侯爵は何も言っていなかったと思うが……。

 クロードは気を取り直して笑顔を作った。


 「そうでしたか!!それはおめでとうございます!!こんな話を持ち掛けてしまって大変失礼しました。」


 「いえ、そんな!!まだ…………。」


 「まだ表には出ていないお話なのですね。」


 「………………。」


 みるみるうちにドレスと同じ色に染まってゆくヴァネッサの顔を見て、クロードは嬉しそうに頷いた。

 ……若者はいいな。大人ぶっていても、時折はっとするような表情を見せる。これだから校長はやめられない。自分に出来ることは、若者の肩にそっと手を乗せることだけだ。

 クロードは自身の浅はかな考えを反省しつつ、ヴァネッサに声を掛けた。


 「あなたのこれからの人生が、実り多いものであることを心から願っております。今が一番楽しい時でしょう、陰ながら応援しておりますよ。」


 クロードが掛けた言葉に、ヴァネッサは頬を赤らめて押さえ、恥ずかしそうに俯いた。







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