ジェマーソンの苦悩
「アリアンルーシュキャロル王女が、もう間も無く留学からお戻りになられる。内々の通達だが、軍に所属することになるだろう。今後は王女のご尊名を気軽に呼び捨ててはならない。必ず敬称を。以上!」
これが当時の元帥(今は軍務大臣)の父親、アウヴィッシュ・フレデリック伯爵の御達しだった。
ジェマーソンには若干の抵抗があった。今まではリア、と気軽に呼んで、何度も武者ぶりついてくる彼女を転がし、打ち負かし、可愛がり、いつしかどう仕様もなく愛してしまっていたのだから。しかし、次期元帥としての噂に高い自分が、それを守らない訳にはいかないだろう。
そんな彼の迷いは杞憂に終わった。留学から戻った王女は、神々しいまでに美しく成長していたからだ。ジェマーソンにとってリア様、と呼び掛けるのは、今までもそうであったかのように他愛もないことだった。
驚いたのは美しさだけではない。リード校は頭脳だけでは卒業出来ないと言われている文武両道の最高峰、レスカ国のエクセレントスクールだが、彼女の動きはセイントレアにいた頃とまるで違っていた。
――――速い!!目に留まらぬ程速い!!
兵士達は度肝を抜かれた。
一瞬にして消えるような速さは、彼女が子供の頃から持っていた特性だった。しかし、追える者はもう誰もいない。
ジェマーソンは今のところ辛うじて二勝二敗で引分けなのが救いだが、それも殆ど運と言ってよいようなものだった。
ジェマーソンは、ふっと笑った。
彼には大事にしている子弟がもう一人いた。そう、その彼が十一歳になるまでは。いや、あれは自分の誤解だった。分かっている、分かってはいるがしかし、遣る瀬無い。
リアが留学から戻った後、彼とリア王女は盛大に殴り合っていた。共に十四歳、曾てじゃれ合っていた頃とは訳が違う。身体も顔面も血塗れで、泣きながら殴り合い、ボロ雑巾のようになっているところを兵舎の裏で発見された。兵士等によって引き離されても尚更に殴り掛かろうとする二人は、いつどちらかが気を失ってもおかしくないような状況で、自分の館、父親のアウヴィッシュ元帥の元へと運ばれた。
どんな話し合いが為されたのかは分からない。しかしこれ以降、ゼムビスト・セダンに限っては、決してリア王女に敬称を使ってはならないという令が、陛下のお墨付きで通達された。
梢の上を流れていく雲と門外の様子を伺いながら、ジェマーソンはリアに思いを馳せた。
折角お戻りになられたというのに、彼女はまた僻地へ行くこととなる。自国の為とは言えこんなに頻繁に、危ない土地へ遣ってよいものなのだろうか?いや、それどころか、彼女が無事に戻れるということを誰が確証出来る!?唯一無二の掛け替えのない存在だというのに!?違う……。違う、違う!!そうじゃないんだ!!私は、愛する人を戦地へ送って良いのか!?彼女を亡くしたら私はどうやって生きていけよう!?
ジェマーソンはぶるんと首を振った。
違う、違う……。私とは何か?私の能力とは何か?そう……私は冷静に人を評価出来る。簡単なようで、これが出来る者はあまりいない。だから私はこの地位にいる。難しい問題が起きた時、多くの知識人や軍人を派遣するよりも、リア様一人をお送りした方がその何人分もの価値がある。多くの批判があるのは知っている……。
戦いを長引かせず、無駄な命を一つでも作りたく無い。
それが彼女の、一環とした答だ。
その意を酌めるのは私だけだ。どんなに批判を受けようと、私は彼女を前線へと遣るだろう。本当は彼女の代わりに私が行きたい。しかし私が行くよりも、彼女の方がより鮮やかに、見事に、事態は解決されるだろう。
ジェマーソンは近日に受けた、ゼムビストの報告を思い出した。
それにしても!!単独でヘパーリン城へ出向くなんて!!いくら何でもやりすぎだ!!
いかん、いかん、冷静に、とジェマーソンが深く息を吸った時に、当のリアの姿が目に入った。
どうしたというのか?まるで隙だらけではないか!
リアは焦点の合わぬ目で、庭の木のように立ち尽くしていた。
チャンス……か?お声掛けしながらさりげなくエスコート出来るか?ちょっと抱いて腕を取る……?いや、いかん。他の御婦人なら何の問題もないが、この人、本当に珍しく自失している。下手に触ると攻撃してくるかもしれん。残念だが声掛けだけに留めておこう。
ジェマーソンはゆっくりと、目を見開いたまま微動だにしないリアに近付いた。
★★★
「リア様、どうなさいました?」
その瞬間、リアの手には剣の柄が握られていた。
ふう、とジェマーソンは息をつく。無闇に近付かなくて良かった。
「私ですよ、どうなさいましたか?」
ああ、とリアは柄に掛けた手を離した。
「ジェマーソンか、済まない、例の件で警戒していた。それよりお前こそ何やってるんだ?何故お前が衛兵をやる必要がある?」
嘘つき、とジェマーソンは心の中で毒づいた。
「時々こういうことをやるのですよ。直ちに身分がばれるのはよろしくないこともある。衛兵や下士官などに見える訓練を。」
なるほどな、とリアは呟いた。
「どうかなさいましたか?リア様がぼうっとするなんて珍しいですね。」
「ぼうっとしてた?」
「ええ。お声掛けするまで気付かないなんて、滅多にないことですから。」
「ああ、そうか。暫く都会から離れていたから調子が戻らないのかな。お前が衛兵をやってると聞い来たのだが、まさか訓練でやっていたとは。気付かなかった私の方がよっぽど頼りないな。」
リアは、ははは!と笑った。
「お前を呼びに来たんだ。間もなく、キーアパル伯爵達も到着するって。」
「ご足労をお掛けしてすみません。」
ジェマーソンは先を行くリアの後を追った。
こうして見るといつもと変わらないリア様だ。
だけど絶対、何かを隠している。まさかピズロにプロポーズされたとかではないだろうな。あ、まだ来ていないんだっけ。いずれにせよ、奴にだけは抜け駆けされる訳にいかん。




